取り巻く環境の変化
近年、エジプトを巡る状況が変化している。一つは、エジプト北部地中海沿岸における巨大天然ガス田、ズフル・ガス田の発見と、それに伴う東地中海ガスフォーラム(EMGF)の発足である。このフォーラムは、液化設備の整ったエジプトをハブ基地とする天然ガス開発のための国際的な枠組みで、エジプトに加えて、イスラエル、ヨルダン、パレスチナ、キプロス、ギリシャ、イタリアで構成される。同フォーラムが、実際にどう機能するかは現段階では明らかではないが、状況次第では東地中海地域の国家関係に影響を与える可能性がある。
二つ目は、中東地域におけるロシアと中国のプレゼンスの高まりである。スィースィー大統領は、西欧諸国との良好な関係を維持しながら、IMFの財政再建方針に従うなど歴代政権の政策を踏襲する一方、急速にロシアや中国との距離を縮めている。
目下の懸案事項は、エチオピアにおけるナハダ・ダム(グランド・エチオピア・ルネサンス・ダム:GERD)建設に伴うナイル川の枯渇問題である。エジプトとスーダンは、エチオピアが計画するレベルまでのダムの貯水に反対しており、現段階で交渉は膠着している。スィースィー大統領がこの問題に対してどのような対策を打ち出すのか、今後が注目される。以下、近年のエジプトの特筆すべき変化である、ロシアと中国との関係を概観する。
ロシアとの関係
スィースィー政権は、主に軍事部門を中心にロシアとの関係を強化している。エジプトがこの分野でロシアに接近するのは、過度な対米依存の解消が目的である。一方、ロシアはソ連時代に同国が中東地域に有していた影響圏の再掌握の一環としてエジプトを位置づけており、中東・アフリカ市場の足場としてもエジプトに拠点を形成する意図があると思われる。以下、着目すべき点を三つ挙げる。
第一は、エジプト北部地中海沿岸一帯におけるロシアの拠点形成である。それは、ロスアトム社が受注したダブアにおける原発建設(2017年調印)、ポートサイド東岸におけるロシア企業向け工業団地の建設(2018年合意)、リビア国境に近いスィーディー・バッラーニー空軍基地のロシア系軍事会社による使用(2018年頃)である。ロシア軍は、シリアの地中海沿岸都市フメイミームとタルトゥースにも拠点を有している。つまり、スィースィー政権下で、ロシア軍の拠点はエジプト北部一帯にまで伸長したことになる。現時点で、ロシアの拠点は「点」であり、「面」として地中海東部全面に影響力が及んでいるわけではないが、今後リビアの紛争が終結すれば、ロシアの「点」としての拠点は、リビア方面にまで拡大すると思われる。
第二は、スィースィー政権によるロシア製軍装備品の購入である。エジプトは、サーダート期の1972年にソ連の軍事アドバイザーとその関係者を追放し、1979年以降はアメリカから毎年約13億ドル相当の軍事支援を受けており、現在のエジプト軍の主要な装備品の多くはアメリカ製である。しかし、スィースィー大統領はムルスィー政権を倒した直後からロシアに接近し始め、ロシア製軍装備品を購入している。現在までの購入額は、サーダート、ムバーラク期の総額を上回るという。注目されるのは、アメリカでCountering America's Adversaries Through Sanctions Act(CAATSA法令)が施行された後に、トランプ、バイデン両政権による警告にも関わらず、ロシアとSu-35を24機購入する契約を交わしたことである。2021年には搬入が開始され、今後も順次納入される予定である。
第三は、退役軍人が経営する「民間」会社を通した、広範な関係の強化である。その範囲は、見えないところにまで及んでいる。その一例が、総合諜報庁の退役将校シャリーフ・ハーリド氏が経営する国内最大手のセキュリティー会社である。同社はロシア製機材を導入して、シャルム・エル・シェイク国際空港などの国内空港、主要公的機関、エジプト国内の外国公館、国立大学の警備を担っている。このように、国軍につながりを持つ「民間」会社を通して、エジプトの治安部門でもロシア製品が使用されるようになっている。
以上三点挙げたが、なかでも注目されるのはSu-35の購入である。スィースィー大統領が、アメリカとの関係が悪化するリスクよりも、ロシア製戦闘機を購入することに利を見出したことは留意すべきであろう。
中国との関係
スィースィーが大統領に就任して以降、エジプトにおける中国の存在は際立っている。実は、中国との関係はスィースィー以前から強化される傾向にあり、ムスリム同胞団を支持母体としていたムルスィー大統領(2012年-2013年在任)もまた、中東以外の最初の訪問国に中国を選ぶなど同国を重視していた。エジプトでは政治的志向を問わず、ムバーラク期の対米依存の解消を求める声は大きい。スィースィー政権にとって、中国の国際社会への影響力に加え、人権を口実に政治的圧力をかけない経済大国として、同国に代わる存在はない。
2014年12月、中国はエジプトと包括的戦略的パートナーシップの締結で合意して以降、2019年上半期には対エジプト直接投資が前年比で4.6%増加するなど、中国のエジプトへの投資は勢いを増している。しかし、貿易額でみると、2019年時点で中国の対エジプト貿易額は同国の総輸出のわずか0.5%を占めるのみであり、総輸入では0.1%以下であった。一方、エジプトの対中貿易額は同国の総輸出の2%であるが、総輸入は15%を占めるなど、最大の輸入先であった。この関係は両首脳の訪問にも反映されている。スィースィー大統領は、2021年6月までに計6回中国を訪問しているが、習近平首席は2016年に1度エジプトを訪問したのみである。つまり、中国にとってエジプトの重要性は貿易相手としてではなく、その地政学的な場所にあるといえよう。
現在、両国の関係強化の手段となっているのは、中国企業による複数のメガプロジェクトの実施である。その代表例が、カイロ東方40キロに建設される新行政首都である。当初はドバイなどペルシャ湾岸諸国の建設会社を中心に建設が進められる予定であったが、2016年の変動相場制の導入に伴うエジプトポンドの下落により、複数の企業が撤退した。その後、計画が変更され、現在は中国企業が中心となり、エジプト国軍傘下の企業と共同で建設が進められている。中国企業は、新行政首都建設に加え、高速鉄道の敷設でも主導的な役割を果たすことになっている。この鉄道は、スエズ湾沿いにあるエジプト・中国スエズ経済貿易協力区から、新行政首都とカイロを経由し、地中海沿岸を結ぶものである。この高速鉄道の敷設により、エジプトにおける中国のプレゼンスはさらに高まることが予想される。
中国との関係で注目されるのは、中国は今後も政治的に不関与でいられるかという点である。少なくとも、米政府を刺激するような状況は散見される。例えば、2015年から地中海において中国海軍と共同で軍事演習が実施されているが、この地中海の主要港であるアレキサンドリア港、アブー・キール港、デヘイラ港の運営には、中国系港湾運営会社が関わっている。また、米政府はエジプトにおける5G 市場を巡り、エジプト政府に中国企業の締め出しを求めているが、2018年にはカイロ北東にあるバドル市において、中国の光ケーブル製造企業Hengtongとエジプト企業の合弁会社が設立された。
以上の通り、スィースィー政権によるロシアと中国への接近は、単なる対米依存の解消という域を超える勢いである。エジプト政府にとって、ナハダ・ダムの貯水問題や東地中海ガスフォーラムを軌道に乗せるには、アメリカを始めとする西欧諸国との良好な関係が必須である。しかし、ダム問題に限らず、エジプト政府が重要と考える問題に対する欧米諸国の対応次第では、今後さらにエジプトがロシア中国陣営へ接近する可能性が高まるだろう。
(2021年6月16日脱稿)