研究レポート

北朝鮮版「保護する責任」?―「海外同胞権益擁護法」の含意―

2023-03-31
飯村友紀(日本国際問題研究所研究員)
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「『大国間競争の時代』の朝鮮半島と秩序の行方」研究会 FY2022-6号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

北朝鮮の人権問題に対するスタンスを瞥見するとき、そこには―少なくとも公的文献の記述上―一定の論理構造(ロジック)の存在が見出される。整理のために概括するならば、それは大略以下のようなものである。

まず、北朝鮮における「人権」概念の特質が、そのようなロジックの根底に定置される。すなわち、北朝鮮の文脈において、人権は「社会的存在としての人間」が政治生活・経済生活・文化生活等を営むにあたって与えられ、行使しうる権利として位置づけられる。ゆえに、社会に網羅されていることが人権付与の前提とされ、個人の自由権・平等権を基本的人権とみなす他国―「帝国主義者たち」―の人権概念との差異が強調されるのである。

さらにここから、それら他国における人権状況へと筆は進み、人権に対するロジックはいわゆる資本主義社会の反動性に対する批判に接木される。これらの国々において人権は支配階級の利益を代弁するものに堕しているとの筆致で、他国においてこそ深刻な「人権問題」が表面化しているとの逆批判がなされるのである。

そして、そのような他国の状況との対比として、社会主義体制が人民の利益を代表していること、ゆえに社会主義国(つまり北朝鮮)において人権が完全に保証されていることが示されることとなる。「人民大衆が主人となり、すべてが人民大衆のために徹底的に服務するわが国の社会主義制度下においてはいかなる人権問題もありえ」ず、西側諸国による人権批判は「社会主義政権が敵対分子に適用する権利行使を、あたかも人権蹂躙であるかのように非難する」にすぎない、との解釈が導かれるのである1

ここで要点となるのは「社会的存在としての人間」に人権が付与され、なおかつそのような人間によって社会主義体制が構成されている、とのエトスであろう。なんとなれば、北朝鮮の文脈においてはここから、国際法上の根本としての「国家主権」と人権を一体化させる見解が生じうるためである。「人権にして国権、国と民族の自主権」とのフレーズにその点がよく示されていよう2。そしてこの点こそが、「非核化の強要」と「人権問題」を「国家主権(尊厳)に対する侵害」という共通項で括って西側諸国への反論に動員する北朝鮮の特有の論調を可能たらしめているのである3

もとより、このような修辞は本質的には現実の人権問題にプロパガンダ上対応するためのものであり、したがって「守勢的」な性格を強く帯びたものと見るべきであろう。ただし、近年においてはロジック上、新たな傾向が看取されるようになっている。その契機となったのは、2022年2月、最高人民会議第14期第6次会議で採択された新法「海外同胞権益擁護法」であった。

同法は前年の2021年1月、党第8次大会で党規約が改正され、序文に「朝鮮労働党は全朝鮮の愛国的民主力量との統一戦線を強化し、海外同胞の民主主義的な民族の権利と利益を擁護・保証する」との文言が盛り込まれたことを受けた後続措置・具体化措置に相当し、金正恩自身が2022年の朝鮮総連向け新年メッセージの中で「同胞たちが切望する施策を実行していく」と予告していたものである。その全文は北朝鮮側からはいまだ公表されていないが、韓国側出版物の記載に従えば4、全5章・54条からなる同法は、「海外同胞」を「共和国の国籍または外国の国籍を持って他国に居住・生活する朝鮮民族」と定義しつつ、彼らに対し様々な権利―国籍の有無に応じてランク分けされる―を付与することを主たる内容としている。特に北朝鮮に投資する「海外同胞」に対し、税金の減免・有利な土地利用権の提供・銀行貸付の優先権や各種の優待措置が適用されることが強調されており、この点から同法は基本的には既存の「合営法」よりもさらに高度な優遇措置を在外コリアンに付与する投資奨励策としての性格を持つものと認識されているようである5

しかし、同法の眼目は「国家は過去を問わず、思想と理念・政見と信仰の差異を超越して各階層の海外同胞を民族自主の旗印、民族大団結の旗印のもとに固く束ね、祖国統一と民族共同の繁栄を成し遂げるための闘争へと積極的に促す」(第5条)との文言が示す如く、より広範な在外コリアンを北朝鮮の指導下に包摂せんとするところに置かれていた。上述の様々な恩典はそのためのツール(論拠)に位置づけられるものであるが、同法は特にこの点でさらに踏み込んでいた。「海外の朝鮮公民に対する侵害行為は許容されない。中央対外事業指導機関と該当機関は海外の朝鮮公民に対する民族的差別と迫害・弾圧をわが共和国の自主権と民族的尊厳に対する侵害行為とみなし、相応の対応措置を取らねばならない」(第21条)と、在外コリアンを北朝鮮本国が積極的に「保護」する姿勢を打ち出していたのである。「海外同胞の民主主義的な民族の権利と利益、国際法で公認された合法的権益を擁護保証することに先次的な意義を付与し、社会政治的・文化的支援と物質的傍助を限りなく拡大強化して同胞群衆を固く束ね、かれらが自らの愛国・愛族的本分を尽くすようにすること」を同法の「基本原則」と描写する文献の筆致からも、単なる投資奨励策を越えた同法のそのような含意が看取される6

さらに付言すれば、金正恩体制の掲げる統治理念「人民大衆第一主義」と通底する論理構造をそこに見出すこともおそらくは可能であろう7。すなわち、指導者が人民のために尽力し、それに呼応した人民が体制を擁護固守する、との双方向性(レシプロシティ)を描く「人民大衆第一主義」と同様のメカニズムの中に広く在外コリアンを組み込むべく、ロジックの前段としてかれらに対する「保護」を強調する点に、同法の最大の特徴が存しているのである。文献上、同法の採択に接した在外公民の反響として、海外同胞の権利と利益が具体化・法化されたことを喜ぶ声が紹介されるのみならず「尊厳高い自主の強国にして堂々たる軍事強国であるわが祖国の法が峻厳な重みと底力でわれわれの権益と福利を図ってくれるとの信頼」があふれている、との記述がなされていることは、そのような政策的意図のさしずめ表徴ということになろうか8

そしてここから、先に触れた人権に対する北朝鮮の新たなスタンスが浮かび上がることとなる。「人権にして国権であり国家主権」との認識の下に国連総会・安保理で人権問題が議論されることを国家の自主権に対する侵害行為として非難・反発する「従来型」の傾向に加え(直近の例では、北朝鮮外務省声明(2023年3月12日付)、国連駐在代表部プレスリリース(同19日付))、そのような主権を在外公民に敷衍しつつ、かれらに対する弾圧行為をこれ以上座視しないとの姿勢を打ち出す方向性が、次第に顕現しつつあるのである。

その先鞭となったケースが、2022年9月の「日朝平壌宣言」発表20年に前後して展開された一連の言説であった。宋日昊・日朝国交正常化担当大使が日朝交渉を停滞させたとして日本の姿勢を批判する談話中、ことさらに「日本で繰り広げられるあらゆる不当千万かつ無分別な反共和国・反総連策動の一つひとつをもれなく記憶し、必ず清算する」と言及したことに示されるごとく9、海外同胞権益擁護法が主要な「海外公民団体」「海外同胞組織」と規定する在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を対日批判の焦点として位置付け、その権益保護を唱える言説が、公的媒体上にたびたび登場したのである。のみならず、このケースにおいては本国が在外公民の権利保護のため一種の実力行使に出たことも公言されていた。2017年9月以来5年ぶりとなった日本列島上空を通過するミサイル発射に関連して、「われわれが10月4日に行った新型地上対地上中長距離弾道ミサイルの発射は、持続する朝鮮半島の不安定な情勢に対処して敵に送る警告である」と述べつつ、そのような警告の対象が日本であることを明言した談話中、「不敗の国力を備えた共和国の堂々たる海外公民」としての「総連と在日朝鮮人に対する迫害と弾圧は、すなわちわが共和国の尊厳と自主権に対する挑戦・蹂躙とみなす」との方針が闡明され、北朝鮮の文脈上、いまや国外にも同国の主権が及ぶに至ったこと、そしてその「保護」の方策に武力介入が含まれることが明らかとなったのである10。冒頭に見た「守勢的」姿勢と対比すれば、海外同胞権益擁護法後の北朝鮮において、いうなれば「保護する責任(R2P)」概念を敷衍したかのごとき「攻勢的」なロジックが現出しているさまが見出されよう。文献上、北朝鮮はR2Pに対し国家主権を侵害するものとしてこれを強く否定・批判しているが、そのような批判の文言を通読するとき、対象国で「集団虐殺犯罪と戦争犯罪、種族抹殺犯罪、反人道的な罪が明白かつ確実に存在することが立証される場合」に「保護する責任」に基づく武力干渉が認められる点に関しては―注意深く―留保を付していることがわかる。また国連憲章が認める武力行使の形態としての国連安保理決議の正当性を、安保理の有名無実化を根拠として否定する一方、主権侵害に対する自衛権の行使としての武力行使に関しては否定しない姿勢もそこに見出すことが可能である。同法採択以前の2020年時点でそのような解釈が登場していたことは11、このような展開に照らすとき、けだし示唆的といえる。

むろん、現時点ではこれらの言説上の変化は、一義的にはプロパガンダとしての性格をより強く帯びていると見るのが妥当である。先の宋日昊談話およびミサイル発射を「警告」とした論評が『労働新聞』上に掲載されず、対外メッセージとして発出されていることからも、北朝鮮当局のこの新たなロジックに対する一種の慎重さが看取される。しかしながら、本欄に瞥見したロジックの変化がまさに核能力の向上と―それ自体がNPTに反するものであるにせよ―軌を一にして起きていることもまた事実であり、そのような現実と言説の「リンク」のありようが今後いかなる経緯をたどるのか、留意する必要がありそうである。

(2023年3月31日校了)




1 高ジョングム「人権問題の発生とその歴史的変遷」『歴史科学』2016年第1号、72頁およびロ・チョンヒョク「人権の公正な基準に対する理解」『金日成総合大学学報(哲学・経済)』2016年第1号、41頁。

2 李ヨンヒ「国際人権法の本質」『法律研究』2020年第3号、43頁。

3 「朝鮮外務省趙チョルス国際機構局長による談話」朝鮮中央通信社、2023年3月22日付。

4 『北韓法令集(下)』国家情報院、2022年、941~951頁。

5 「わが国家の海外同胞重視政策の具現である『朝鮮民主主義人民共和国海外同胞権益擁護法』(2)」在外コリアン向け宣伝サイト『柳京』掲載記事(http://www.ryugyongclip.com/index.php?lang=prk&type=gisa&categ=9&no=39888&pagenum=19)。

6 「法規解説 海外同胞権益擁護法について(1)」『民主朝鮮』2022年3月20日付。

7 「人民大衆第一主義」については昨年度「研究レポート」を参照。飯村友紀「『人民大衆第一主義』のレトリックと表現形態―ポスト『先軍政治』期経済運営の『前提条件』」(https://www.jiia.or.jp/research-report/korean-peninsula-fy2021-08.html)。

8 「民族教育の命脈をしっかり引き継いでくれる熱い愛情」『民主朝鮮』2022年5月29日付、「金正恩元帥様はわれら海外同胞の運命の天であられる」『労働新聞』同5月11日付。

9 朝鮮中央通信社、2022年9月16日付談話。

10 「日本反動の反共和国・反総連策動は高い代価を伴うこととなろう―朝鮮中央通信社論評」(2022年11月16日付)

11 ここでは北朝鮮のR2Pに対する解釈として、朴ヒチョル「『保護責任』論とその法律的性格」(『金日成総合大学学報(法律学)』2020年第2号、80~92頁)を参照した。