研究レポート

北朝鮮の強要戦略に直面する韓国政治の分断

2023-02-10
渡邊武(防衛研究所主任研究官)
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「『大国間競争の時代』の朝鮮半島と秩序の行方」研究会 FY2022-5号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

平和を希求すべきだという思いにおいて人々はほとんど対立しない。しかし、誰が平和を乱しているかについては論争の余地がある。脅しをかける外部勢力に直面したなら、人々は一致団結して立ち向かう――そのようなことが常に起きると考えるべきではないだろう。ほとんど誰も外敵の存在を否定しないような時であってさえも、少なからぬ人々が自国の軍隊や盟邦が人々を危険に巻き込んでいると糾弾することもあり得る。

平和への希求には人々を分裂させる性質があり、それが韓国政治に現れている。前任の文在寅大統領は、朝鮮半島における緊張継続の原因として韓国軍内の「親日残滓」を強調し、将来の平和のためこれを清算せねばならないと主張した。

政権交代後も、一方の国内勢力が韓国軍の行動を緊張につながる政治的企図と見なす状況が続いており、それは朝鮮半島の安全保障に影響を与えよう。影響が顕在化し得るのは、北朝鮮が一連の攻撃的行動を終えてからである。抑止力の補完を政治行動と見なす立場からは、交渉の機会のため韓国が一定の同盟協力を進めないと約束する必要があるとの議論が生じやすい。

北朝鮮は米韓合同訓練の再開や日米韓協力などの韓国軍のとる行動にあわせる形で緊張をエスカレートさせた。北朝鮮が、韓国軍の行動や日米との提携により事態がエスカレートしたとの印象を作り出すほど、韓国内においては、韓国軍が政治目的で日米と提携し平和交渉の機会を遠ざけているとの見方が強化され得る。

現在の韓国政府が同盟強化のオプションを持ったまま交渉に臨もうとしても、それに反対する議論が韓国内で生じれば、米軍のプレゼンスを引き下げたい米国内の人々を喚起するかもしれない。軍隊が平和の障害となる政治勢力と見なされ得る韓国の分裂した状況は、北朝鮮の強制外交が成功する可能性を高めている。

大量報復とキル・チェインの浮沈

進歩系の文在寅政権から尹錫悦政権への交代は、軍隊が過去の保守政権下で進めていた戦略を再確認することにつながった。そうした軍事戦略の再浮上は、大統領選挙における尹錫悦の勝利から間もない2022年4月1日に始まっている。同日、文在寅政権最後の国防部長官である徐旭(当時、元陸軍参謀総長)は、ミサイル発射の兆候があれば発射の原点と指揮・支援施設を精密打撃する能力があると述べた。これは差し迫ったミサイル脅威を除去するプリエンプションたる「キル・チェイン」(kill-chain)戦略であり、文在寅政権の後半期において韓国軍は、このときに至るまで公に主張していなかった。

尹錫悦政権が発足すると、新たに任命された李鐘燮国防部長官(元合同参謀本部次長)は、韓国軍が、北朝鮮による攻撃の「源泉」だけでなく「指揮・支援勢力」まで精密打撃する能力を有すると強調した。これは、軍が文在寅政権期にほとんど公に言及しなくなっていたもう一つの戦略、大量膺懲報復(KMPR)の確認である。

キル・チェインとKMPRの始まりは延坪島砲撃があった保守系の李明博政権期にさかのぼる。2010年の延坪島砲撃以降、韓国軍は北朝鮮に対する先制とより強力な報復の戦略を構築し始めた。同じく保守系となった次の朴槿恵政権期、韓国軍はこれらに韓国型ミサイル防衛(KAMD)を加えて「3軸体系」の概念を導入したのであった。

朴槿恵政権との交代で発足した進歩系の文在寅政権も明示的に3軸体系を否定しなかった。しかし文在寅政権が2018年9月19日に北朝鮮の金正恩との首脳会談で署名した軍事合意書の履行に注力するようになると、韓国軍は3軸体系への言及をやめていくこととなる。

進歩政権はおそらく、軍のことを平和のための要求に従おうとしない政治勢力と見ていた。2019年3月1日、文在寅大統領は「親日残滓の清算」のため軍に合意書の完全履行をするように迫ったのだった。

このときの大統領演説によれば、親日残滓の清算とは「われらの心にひかれた38度線」を消し去ることだった。北緯38度線は南北の分断を指す韓国の政治用語である(朝鮮半島の軍事境界線は北緯38度線に近いもののそれと同じではない)。

大統領はその意味を、植民地支配が終結した後も親日派が「独立運動家」を抑圧し「理念の烙印」によって北朝鮮との対峙を深めたと説明した。そして文在寅大統領は、韓国軍が北朝鮮と衝突してきた海において、共同漁労水域を設定して2018年の軍事合意書を履行する必要性を強調したのである。

演説時に至るまで韓国軍は共同漁労水域の設定を積極的に推進していなかった。文在寅大統領は、軍の姿勢を事実上の「親日残滓」と定義し、そうした進歩系の施策に従うよう求める圧力を強めたのであった。

演説と同じ2019年、文在寅政権は軍に3軸体系戦略の維持を許す姿勢を転換した。同年1月10日、韓国国防部は3軸体系の概念を大量破壊兵器による「全方位」の脅威に対応する能力を構築する考えと置き換えることを発表した。全方位の概念は、北朝鮮に集中せずに標的を広めることとなる。また概念置き換えの方針を発表したときに国防部は、KMPRとKAMDの継続だけを説明し、キル・チェインに言及することを避けた。

文在寅政権が進歩系のとらえる北朝鮮との平和の実現に向けた努力を強化したとき、キル・チェインは実質的に軍事戦略の概念から外された。キル・チェインの浮沈は、北朝鮮を標的とする戦略を進める軍と、その背後に親日派の存在があると主張する進歩系の政治勢力との間にある競合関係を反映していたのである。

北朝鮮の強要戦略と韓国の分断

軍をめぐり分裂する韓国の政治状況がある。おそらくそれが故に、北朝鮮の強要戦略は、韓国全体というよりも韓国軍を標的としている。

効果的な強要を進める者は、標的内のアクターが何を動機としてエスカレートに対応するかを理解し、それに基づいて標的が要求に従うように動機づける(Alexander George, The Limits of Coercive Strategy, Westview Press, 1994, pp.288-289)。北朝鮮の行動は、韓国軍を平和の妨げとなる政治勢力だと捉える同国内の人々を、米韓軍の態勢強化や日米との三国間協力の推進への反対に向かわせる上で適合的であった。

2022年4月に韓国国防長官がキル・チェインを再確認した翌日、朴正天・朝鮮労働党中央委員会書記(前朝鮮人民軍総参謀長)は、韓国軍による先制攻撃があれば北朝鮮は「容赦なく全ての軍事力をソウルの主要目標と韓国軍をせん滅することに集中する」と警告した。また同月4日には、金与正・朝鮮労働党中央委員会副部長もキル・チェインに関わる発言を非難した。それによれば、もともと韓国は北朝鮮の主要な敵ではないが、先制攻撃に向かうのなら韓国軍が核攻撃の標的となると述べた。

北朝鮮は、韓国内で絶対的な合意を得ているとはいえない戦略を韓国軍が改めて主張することにあわせて行動をエスカレートしていた。その行動は明らかに、核攻撃の危険が生じる原因を、単一の韓国ではなく国内のアクターとしての韓国軍に帰そうとするものである。朴党書記の発言によれば、キル・チェインの再確認は「韓国軍部」の「反共和国軍事対決狂気」、すなわち国家全体の利益に従うプロフェッショナリズムではなく、恣意的な立場を反映するものであった。

韓国軍を標的にすることは、軍の目標追求を止めない限り、核による戦争に巻き込むと韓国の人々を脅す強要戦略である。韓国軍への攻撃の意思を表明したとき、朴書記は韓国の首都ソウルに言及した。「もし南朝鮮軍がわが国家に対する先制打撃のような危険な軍事行動を敢行するのなら」、朝鮮人民軍が「ソウルの主要目標と韓国軍」をせん滅するのだという。

韓国軍をせん滅する力を強調するのなら、朴党書記は人口密集地の施設が標的に含まれることを想起しなくてもよい。ソウルへの言及によって朴書記は、韓国軍を標的とすることが韓国市民に被害をもたらす前触れだと知らしめたのである。

こうした発言に続く形で、「戦術核運用の効率性」を高めるためというロシアのイスカンデル-Mと似た外見の短距離弾道ミサイル発射が行われた(『朝鮮中央通信』2017年5月29日)。北朝鮮は韓国市民を核戦争に巻き込まれると恐れさせることで、彼らが韓国軍に反対する動機付けをしようと企図していた。もしこのミサイルが以前のものより韓国軍への攻撃能力が高いのだとすれば、そうした軍事目標に近い都市の市民に、核による破壊が及ぶとの信ぴょう性を与えることになろう。

「親日」国防と米韓合同演習

北朝鮮が次に標的としたのは、韓国軍が海上の境界線として扱う北方限界線(NLL)であった。実のところNLLは、文在寅大統領による親日清算の課題に関わっている。それ故にこの行動も、将来的に韓国軍への国内における反対を拡大することと一貫性がある。

韓国軍の合同参謀本部によると2022年11月2日、北朝鮮が発射したミサイルのひとつはNLLを越えて韓国領海に近い海上に着弾した。合同参謀本部はこれを2018年9月の南北軍事合意書への違反だと非難、尹錫悦政権の大統領府も南北分断以来はじめて北朝鮮がNLLを侵犯する形でミサイルを発射したと強調した。

韓国軍と尹錫悦政権による糾弾はNLLをこえて着弾したミサイル発射が軍事合意書への違反につながるとの印象を与える。しかしミサイル発射が軍事合意書に違反するといえるのは、NLLを越えたからではなく、合意書がミサイル発射のような軍事行動を禁じる水域に着弾したからであった。

韓国軍と保守勢力は軍事合意書が境界線としてのNLLに基づいているべきだったと考えているだろう。進歩系最大の「共に民主」党もNLL以南へのミサイル発射を非難したが、同党の文在寅政権は軍が主張するNLLの地位を確保することに重点を注力してはいなかった。そのことは合意書の履行をめぐる軍と進歩政権の摩擦につながり、やがて文在寅大統領が軍内に「親日残滓」があると非難するに至ったのであった。

交渉当時、韓国軍は合意書で軍事活動が禁じられる平和水域にNLLの南北両側が均等に含まれることを条件とした。この場合、NLLは平和水域を定義する基準線となり、それが南北を隔てる事実上の境界線であったことが確認されることとなる。

北朝鮮は、NLLの法的地位にかかわる韓国軍の主張を支持する、そのような条件を受け入れることはなかった。そして文在寅政権は、NLLの海上境界線としての地位の確認よりも軍事合意書への署名を優先したのである。

最終的な合意において、軍事活動が禁じられる水域がNLL南北を均等に含むことはなかった。合意された水域はむしろ、南北軍が衝突を繰り返してきた黄海においてNLLの南側の海域をより広く包含していた。

ただし、軍事合意書におけるその水域が、「平和水域」と呼称されることはなかった。機能は平和水域とほとんど同一であるにもかかわらず、合意された水域には正式には名称がなかった。これにより韓国軍はNLLを基準線としない平和水域が公式化されることを避けることができている。

以来、韓国軍は平和水域の設定に向けた交渉を積極的に進めたことはなく、合意された水域を一方的に「緩衝水域」と呼んだ。緩衝水域との呼称は、本件は終わりであり、交渉すべき事項は残されていないかのような印象を与える。そして軍事合意書の目的のひとつは平和水域の設定であったが、平和水域は合意書の署名から4年たっても存在していない。韓国軍はおそらく、平和水域の設定を回避するため緩衝水域との名称を使い始めたのであろう。

韓国軍の平和水域への抵抗が、軍が親日残滓を清算していないという文在寅大統領による糾弾の背景にあったと考えられる。2019年3月の演説で、親日清算に向けて軍に課された具体的要求のひとつは、「漁民たちの船を魚で一杯にする夢」を実現することだった。言い換えれば軍への要求は、NLLについての憂慮にかかわらず、共同漁労水域の設定を進めることであり、同水域は平和水域とも重複する。

韓国軍を政治的理由で北朝鮮との緊張を高めてきた親日組織ととらえる進歩系の人々が韓国内には存在し、その人々と韓国軍との間にある主要な相違点のひとつがNLLである。

NLLに関わる親日残滓の清算に向けた演説は、検察と警察の改革を要求する大統領の発言から程ないころになされていた。大統領の発言によれば、検察と警察は強圧的な日本植民地の政治制度を継承しているが故に、生まれ変わらねばならない(2019年2月15日)。文在寅政権は、司法と安全にかかわる機関を全般的に親日派の影響を受けていると糾弾し、軍による北朝鮮との対峙をその証拠として強調していた。

政治制度に潜む不正義な勢力を清算することと、韓国軍を北朝鮮が標的となる既存の戦略から後退させること。それらが文在寅政権の概念において重複していたのであろう。

親日清算を要求する演説の翌日(同年3月2日)、文在寅政権は主要な米韓合同演習であった「キー・リゾフブ」と「フォール・イーグル」を「終了」すると発表した。緊張緩和と米朝対話を期待してのことだという。韓国軍が米軍との演習をやめることで緊張が緩和し、対話が進展するという議論は、NLL問題と同様に、緊張緩和ができない原因を実質的に韓国軍側に帰しているといってよい。

2022年になり、韓国軍は文在寅政権の止めたもう一つの米韓合同演習、「ビジラント・ストーム」(中止当時は「ビジラント・エース」)を再開する。実は、それにあわせて北朝鮮によって行われたのが、NLLの南側水域に着弾するミサイル発射だった。これは、韓国内で軍と他者の違いを際立たせ、韓国全体ではなく韓国軍の立場がエスカレーションの原因となっているとの印象を韓国内に残し得る。

韓国の政治に影響を与えようとする北朝鮮による軍事行動の効果は今のところ顕在化していない。しかし長期的な効果として、韓国軍が不当な政治的目標に従い北朝鮮との緊張を高める親日組織と糾弾される政治構造を改めて浮上させることは考えられよう。

軍の北朝鮮への対応をめぐる韓国内の分裂は継続している。2022年10月7日、大統領選挙における尹錫悦の競争者であり、「共に民主」党(文在寅政権期の政権党)代表である李在明は、韓国海軍による日米とのミサイル防衛訓練への参加を「親日国防」と非難した。李の非難は、党内派閥の違いに関わらず、彼が文在寅大統領と見方を共有していることを示していた。この日米韓の海上訓練は、北朝鮮による一連の威嚇的なミサイル発射への対応として実施されたものである。

結語

国家の独立を妨げ、平和を乱したものは誰か。この点において尹錫悦大統領は文在寅大統領と対照的なことを語った。

2022年の光復節(8月15日)演説で尹錫悦大統領は、次のように主張している。独立運動は日本帝国が終焉する1945年で完成するのではなく、そこには「共産主義勢力に立ち向かい自由民主主義国家を建国する過程」までが含まれる。そして「共産侵略に立ち向かい自由民主主義を守るために戦った方々」も「独立運動家」であることを忘れてはならない。

この場合、北朝鮮こそが独立の完成を妨げる敵対者である。軍隊の任務はこれを標的とする戦略を適切に実行することとなる。

文在寅大統領の親日清算演説での認識に基づけば逆に、北朝鮮を標的とする戦略こそが独立の完成を妨げてきた。北朝鮮との対峙は、親日派が独立運動家を弾圧するために恣意的に高めたものだからである。

韓国の政治的分裂は継続している。北朝鮮が韓国軍にエスカレーションの原因があると繰り返し印象づけるならば、韓国軍および、それと提携する日米が平和に反する政治勢力との見方が補完されよう。日米韓協力の一角において、政治的分裂が、敵対者の強要戦略への脆弱性を生み出している。

(2月1日校了)