「人民大衆第一主義」-金正恩体制の特質?
2021年1月、朝鮮労働党第8次大会では主要議題のひとつとして同党規約の改正が上程され、改正された同規約の序文においては「人民大衆第一主義」政治が新たな「社会主義基本政治方式」に据えられた。2016年5月の前回大会の時点で「先軍政治」に同様の位置付けがなされていた点(金正恩「事業総和報告」)、党第8次大会期間を通じて報道上、「先軍政治」への言及が皆無だった点を考慮すれば、金正恩体制は執権から10年を経てイデオロギーにおける脱「先軍政治」化を果たし、新たなフェーズに入ったということになろう。さらに同大会の席上、殊更に党総書記(総秘書)職の復活が喧伝され、金正恩の推戴・就任がこれに続いたこともふまえるならば、後継体制の発足直後からスローガンとして標榜されてきた「人民大衆第一主義」には今や指導者としての金正恩を特徴づけ、同時に父祖との差別化を図る表徴としての役割が付与されるに至った、とも解釈されよう。
では、このような「先軍政治」から「人民大衆第一主義」へのシフトは、語感から得られる直接的なイメージ―すなわち軍事から経済(とくに民生)への重点対象の移行―とはたして同義なのか。また経済的苦境の中で、字義通りには民衆の生活水準の向上と強く結びつくと推量される「人民大衆第一主義」は北朝鮮の文脈上、どのように実現されるのか。統計的・数量的把握が困難な北朝鮮経済の方向性を見通すためのヒントとすべく、最近の北朝鮮の文献類を題材として素描を試みることとしたい。
「人民大衆第一主義」の論理構造
これらの疑問を切り口に北朝鮮の言説を瞥見するとき、まず気付かされるのは「人民大衆第一主義」のロジックに内包された一見レシプロカルな構造の内実である。たとえば、「人民大衆を革命と建設の主人とし、人民大衆に依拠して人民のために滅私服務することについての政治理念」との定義がなされる「人民大衆第一主義」(『錦繍江山』2022年第3号、49頁)は、修辞上においてこそ「人民大衆」の判断を出発点とし、指導者がその利益を最大化するための施策を行うとの装いを取っていたものの、実際の意思決定・政策遂行のプロセスに関しては正反対のベクトルが投影されていた。つまり「領導者は人民のために雄大な構想を繰り広げ、人民はその構想と決心を輝かしい現実として花開かせる、まさにこれが共和国においてのみ見ることができる人民大衆第一主義政治の偉大な画幅である」(『統一新報』2021年7月17日付)との文言が端的に示すごとく、「人民」にとっての利益の判断はあくまで領導者(金正恩)によってのみなされ、「人民」はそのような判断に基づいて行われる政策に接する(あるいは関与する)ことで体制への信頼を深める、との構図を所与のものとしていたのである。たとえば近年夏季に頻発する豪雨災害に対し、公的文献上で金正恩によって迅速に対策が講じられたことが報じられるとともに、被災地の農場員が「自分の役割を果たすことができず敬愛する元帥さまに心配をかけていることだけをもってしても恐れ多いのに、このように恩情のこもった措置を採って下さるとは、われわれのように大いなる愛と信頼をいただく者が他にいようか」との激情とともにさらなる忠誠と報恩を決意する―といった「ストーリー」が展開されるさまからは(『労働新聞』2020年10月8日付)、このような構図が端的に看取される。もちろん、これは一義的には金正恩体制期において統治の安定性を左右する要素としての民意の位相の高まり―それを考慮しない強引な政権運営はもはや当局にとっても敢行しがたい―を反映したものであろうが、その対策としての政策決定の双方向性にこのようなベクトルの不均衡がなお強く残存し、それをもって「党は人民を天のごとくに尊んで師匠とみなし、人民は党を母のように無限に信頼して従うという一心団結こそが朝鮮の真の姿であり、主体革命の天下之大本である」(『金日成総合大学学報(歴史学)』第67巻第1号、34頁)との総括が付される点が、「人民大衆第一主義」のロジックの第一の特徴なのである。
そして「人民大衆第一主義」のロジックは、その実現過程に関しても一種特異な構造を秘めていた。すなわち、基本的絵図として、まず何よりも「党中央(訳註:金正恩)の唯一領導体系を立てる事業の理想的な目標」として「全党と全社会が一つの頭・一つの体となるようにすること、言い換えれば全国が党中央と思想と意思・行動を同じくして一つの生命体となるようにすること」が掲げられ(金正恩「施政演説」2021年10月)、各級党組織と勤労団体に「すべての事業を党中央の意図に合わせて正確に組織展開し、イルクンと勤労者たちを呼び起こして(中略)革命課業を立派に遂行してい」くことが求められる(第1次市・郡党責任秘書講習会(2021年3月))とともに、その際にイルクン・勤労者らに通底するべき基本原理として「人民大衆第一主義」が位置付けられる(党第6次細胞秘書大会(2021年4月))。ただし一方で、そのプロセスはあくまでイルクンと勤労者(すなわち人民)の間でのみ完結するものとして描かれていたのである。特に、金正恩が「人民大衆第一主義」を党の指導思想の本質として定式化するとともに「人民大衆に対する滅私服務」を党の存在方式として位置付けたとの説明、わけても金正恩が「人民生活向上と人民の福利厚生」を党事業の中心に据え、それに対する取り組みを基準として党・行政イルクンへの褒賞と叱責が行われるに至ったとの挿話を媒介として、指導者としての金正恩自身は責任の埒外に安着するとの構造が露わとなっていた(『金日成総合大学学報(歴史学)』第66巻第1号、16~22頁)。さらにそのようなイルクンに対する綱紀粛正の断行―「勢道と官僚主義」の剔抉―を「幹部革命」の名の下に公言することで、イルクンを指導者と人民の間の結節点(一種の遮断弁)としつつ、同時にイルクンらの精神的刷新を経済的成果と直結させる思考様式が顕現していたのである。
「今こそ、鋭く提起される経済問題を解く前にまず幹部革命を起こすべき時であり(中略)わが党が自らの発展の全行程において一貫して重視してきた幹部革命は現局面に合わせていっそう高い強度をもって、先次的に深化させねばならない全党的な重大課業である(後略)」「幹部革命においてわが党が特別に注目すべきは事業作風と道徳品性であり(中略)幹部らが自身の事業作風と道徳品性に党の権威と姿が込められていることを常に肝に銘じなければならない(後略)」
(党中央委員会第8期第2次政治局拡大会議(2021年6月))
そこにおいて党・行政イルクンに求められる人民への細心の配慮が、その実「悪性腫瘍のような反動的思想文化の害毒性と後禍を明白に認識させ」ること、「異色的な生活風潮が浸透する余地を残らず掌握して必要な事前対策を立て」ることにまで及んでいた点から(金正恩「青年同盟第10次大会に送った書簡」(2021年4月))、このような「人民大衆に対する滅私服務」が監視の色彩を色濃く帯びていたこと、すなわち人民に対する統制強化にこそ当局の真意があったことはもはや自明であろう。ともあれ、このようなレトリックの操作の結果、指導者たる金正恩は現地指導時の挙措、あるいは実効性が必ずしも定かではない人民生活安定のための「特別命令」の発令(党中央委員会第8期第3次全員会議(2021年6月))といったパフォーマンス的行動によって「人民大衆第一主義」の体現者としての地位を一方的に占めつつ、実際の政策展開過程において「滅私服務」する―人民を統制する―責務はイルクンにのみ帰せられ、なおかつその過程で生じうる齟齬や蹉跌はイルクンの責任に帰せられるとともにその綱紀粛正が「人民大衆第一主義」のイデオロギーをさらに補強する、との構造が現出していたのである。
以上の考察からは、イデオロギーとしての「人民大衆第一主義」の要諦は、生活水準の向上という可視的成果を指導者の責任を韜晦しながら実現し、なおかつ民意の収れんと政策への反映を上意下達式に行うとともにその過程で人民への介入・統制の強化を図る点にある、との像が浮かび上がる。党の領導の下に全人民を思想的に一色化せんとする志向性は北朝鮮当局にとって恒常的に存在してきた問題意識であるが、形式上にせよ民意への配慮を強調せざるをえず―「人民を偉大な首領さまを奉るがごとくに戴くべし」(『労働新聞』2020年6月2日付論説)―なおかつ可視的な経済的成果をもってそれを裏付けなければならない状況下でそのような志向性を維持すべく企図した苦衷の痕跡が色濃く看取される点が、あるいは金正恩体制期の「人民大衆第一主義」イデオロギーの最大の特徴ということになろうか。
政策的含意
さて、それではここまでの知見より―もとよりイデオロギー政策自体の帰結をさらに注視する必要があるが―どのような含意を導きうるのか。特に経済面に引き付けるならば、ただちに想起されるのは経済政策の担い手としてのイルクンへのプレッシャーが「上から」のみならず「下から」の形で、さらに高潮する蓋然性であろう。これは党第8次大会後の経済運営が「内的動力」の標榜の下に統制強化(各単位の裁量権の回収)にシフトしていることとも一定以上符合するものであり、今後の動向が注目される。また、軍事力の強化が再度公言されるのみならず、特に最近に至って「今後もわれわれは引き続き国防力の強化に国家のすべての力を最優先で集中していく」「国家の核戦争抑制力を押し固める必須不可欠の事業を無条件に、絶対的に支持・声援してくれた全人民の信頼と熱烈な祖国愛なくしては今日の驚異的な主体的国防発展の姿を考えることはできず(中略)、真の自衛の力・絶対的な力を自身の手で建設し力強くつかんだ偉大なわが人民に熱烈な祝賀を送る」(新型ICBM「火星砲-17」発射実験に際しての金正恩発言(2022年3月):傍点筆者)とのレトリックで軍事力増強の当為性が語られるに及んでいることからは、「人民大衆第一主義」の一環として軍事力強化が進められる事態とともに、民生経済に充当されるリソースのさらなる減少を所与のものとした上で「人民生活の向上」のプレッシャーに対処することが当局の問題意識の根幹となることが強く推量される。それが思考・行動のベースとなった際にいかなる経済運営が行われることになるか、注視する必要がある。そして、いまひとつ付言すべきは、「人民大衆第一主義」のロジックに見られたこのような一種迂遠な構図―結論において旧態依然ながらその内実において変化が進んでいる、ないしは結論を維持するためにそこに至る過程が修正されるとでも表現すべきか―が、その隠微さ、あるいは外見上の同一性ゆえに可視化されにくいとの点であろう。このことからは、特に金正恩体制下における人民生活向上のプレッシャーの高潮が外部から「見えにくく」なり、それゆえにこの要素が北朝鮮当局にとってのセンシティヴな問題として、政策立案・実施の過程に影響を及ぼしていることがともすれば捨象されかねないとの示唆が導かれる。もとより公定イデオロギー(ないしプロパガンダ)と現実の間には相応の懸隔が存在し、また当局にとってもイデオロギー政策の推進がいっそう困難なものとなっていることは北朝鮮当局自身が一定程度率直に吐露するところとなっているが1、北朝鮮当局の思考・行動様式の「基本型」と、その背景を十全に勘案したアプローチが、なお「不可視の存在」であり続ける北朝鮮に分け入る上で引き続き求められよう。
(3月31日校了)
1 「(金正恩は:訳註)実際に党宣伝部門のイルクンらの苦労が多いとおっしゃりつつ、すべてが困難な中でも党と人民の期待に応える自覚をもって心臓を燃え上がらせ、大衆教養と思想改造に惜しみなく力を注いでいる宣伝部門のイルクンたちによってわが党の思想前線が守られている、と高く評価された」『労働新聞』2022年3月29日付(党第1次宣伝部門イルクン講習会に寄せた金正恩の書簡)。