韓国の第20代大統領選挙が2022年3月9日に実施される。選挙は国民の直接投票によって行われ、上位得票者による決選投票はなく、一度の投票で最も多く得票した候補が当選となる。大統領の任期は一期5年で再任は認められておらず、現職の文在寅大統領は出馬できない。1987年6月の民主化を経て施行された現行憲法の下で、8人目となる大統領を選ぶ今回の選挙は、韓国の現代政治史において、どう位置づけられるのか。歴史を辿りながら、朴槿恵大統領の弾劾、罷免と文在寅政権誕生の意味を踏まえて、考えてみることとする。
「独裁政権」対「反政府民主化勢力」の時代(1948~1987年)
分断国家である大韓民国の初代大統領となった李承晩は、政府樹立から朝鮮戦争を経て、米国を中心とする秩序の中で、冷戦の最前線に位置する反共国家として生きる道を選択した。その一方で、強権的手法によって恣意的な憲法改正を繰り返しては権力を私物化しようとし、終身独裁体制の構築を試みた李承晩は、不正選挙に怒りを爆発させ、政権打倒を叫ぶ学生らが主導する反政府デモに屈して下野し、亡命を余儀なくされた。
その後、軍事クーデターを主導して権力を奪取した朴正煕は、経済企画院を組織し、政府主導による輸出指向型工業化戦略の下、効率重視の経済開発に邁進して目覚ましい高度経済成長を成し遂げた。その一方で、中央情報部を設置すると、反共の名の下に国内の反政府勢力に対する監視と取締りを徹底し、国民の自由と民主主義を制限して、人権を蹂躙する強権的な権威主義体制を正当化した。厳しい弾圧に抵抗する学生や野党、在野勢力は、軍事独裁政権の打倒を掲げ、国内外で反政府、反独裁民主化運動を展開した。
18年あまりにわたった朴正熙時代が大統領暗殺という形で終焉を迎えると、混乱の中、粛軍クーデターを主導して軍を掌握した全斗煥は、光州で起きた民主化運動に陸軍空挺部隊を投入して鎮圧し、大統領に就任した。全斗煥政権は、経済成長を持続させることに成功した一方で、国家安保にかこつけた情報機関や軍、警察による監視、統制、弾圧の横行は激しさを増し、強権的な権威主義体制は一層強化された。自由と民主主義の実現を訴える学生や、経済成長の果実の分配を求める中産層は、野党、在野勢力とともに反政府民主化運動の中核となって軍事独裁政権の打倒を叫び、遂には、翌年にソウル五輪を控えた1987年6月、全斗煥政権から全面的譲歩を引き出して、民主化時代への扉を開くことに成功した。
40年に及んだ権威主義統治下の韓国は、安全保障の確保を前提とした経済成長至上主義で、北朝鮮との体制間競争の勝利に向けて邁進する強権的な指導者率いる独裁政権と、学生や野党、在野組織などからなる反政府民主化勢力との間の「民主化」を巡るせめぎ合いが政治を動かした時代であったといえよう。
「三金政治」と「地域主義」の時代(1987~2003年)
経済成長を成し遂げ、民主化の時代を迎えた韓国において、政治を動かす機軸となったのは「地域主義」であった。60年代から長きにわたり、政治の現場で主要な役割を果たしてきた三人の政治指導者、金泳三、金大中、金鍾泌は、民主化後、それぞれが出身地域を中心とする地盤(慶尚南道、全羅道、忠清道)で圧倒的な支持を集める地域主義の政治を主導し、「三金政治」と呼ばれた。特定の指導者の周りに、地域を共有する支持者らが凝集して私党的政治集団とも言うべき政党ができ、権力の座を目指して離合集散と合従連衡を繰り広げる。三金に盧泰愚(慶尚北道)を加えた「一盧三金」の戦いとなった民主化後初の直接選挙制による大統領選挙は、地域主義による政治の時代の幕開けを象徴するものであった。
そして、金大中大統領の誕生は、地域主義の時代に一線を画すこととなった。金大中は、朴正熙、全斗煥、盧泰愚、金泳三と続いた慶尚道出身者に代わる、初の全羅道出身の大統領となった。与野党の政権交代を初めて実現し、「国民の政府」を名乗った金大中政権は、光州事件という傷を負い、それまで権力の中枢から遠ざけられてきた疎外感をもつ全羅道出身者や、民主化運動の過程において政治権力の外に置かれてきた在野勢力の有力者を政権に積極登用することで、既得権層に衝撃を与え、韓国政治に地殻変動を起こしたのである。
理念対立と格差の時代(2003~2017年)
金大中政権が幕を下ろすと、特定の政治指導者に依拠する三金政治と地域主義という、民主化以来、韓国政治を動かしてきたパラダイムは終わりを迎えることとなった。続く盧武鉉政権の誕生は、韓国政治が新たなステージに足を踏み入れたことを意味していた。
盧武鉉は慶尚南道の出身でありながら、全羅道を地盤とする与党の大統領候補となり、当選を果たした。テレビ討論後の世論調査によって他党候補との一本化を実現したほか、血縁や地縁といった韓国社会の伝統的な人的ネットワークより、インターネットを通じて結合した若年層を中心とする不特定多数の"ネティズン(ネット市民)"の支持を集めるなど、一躍、反既存政治の象徴的存在となった。日本統治からの解放後に生まれた世代に属する商業高校卒の人権派弁護士出身で、政界に転じて以降、一貫して地域主義の打破に愚直に挑んでは挫折を繰り返してきた政治遍歴を持つ盧武鉉は、朴正煕や全斗煥に連なる勢力と手を結ぶことによって大統領にまで上り詰めた金泳三や金大中とは異なり、軍出身の政治勢力とのしがらみを一切持たなかった。韓国政治の新しい時代の到来を感じさせるのに十分な人物であったといえよう。
果たして、歴代政権の下で形成された、政官財にマスコミを加えた既得権の解体や、外交や安保における自主、国際協調より当事者としての立場を重視する北朝鮮政策など、既存の枠組みと接近方法を再考することも躊躇しない盧武鉉政権の果敢な政治姿勢は、米国や北朝鮮との関係を巡る保守、革新の認識の違いを明確化させ、韓国政治に「理念対立」という新たな対立軸をもたらすことになった。盧武鉉政権の5年間、韓国社会は絶えざる摩擦と対立に翻弄され続けたのである。
盧武鉉の対立と摩擦を煽る挑発的で安定性を欠く政治手法に辟易し、また格差拡大を食い止められずにいる経済運営に失望した国民の期待を集めて誕生したのが李明博政権であった。李明博は、高度経済成長を支えたサラリーマン神話を体現する立志伝中の人物ともいえる企業経営者としての実績に加え、政界転身後も、首都ソウルの市長として、市民生活に関わる大型事業を次々と推進し実現させるなど、高い行政手腕を発揮した。国民は、「脱理念、実用主義」を掲げた李明博に、実利を優先する経済大統領として、格差の解消と生活の改善を託したのである。
しかるに、盧武鉉政権の下で激化した理念対立による摩擦は、安全保障や北朝鮮政策において歴代政権が堅持してきた価値や基本戦略に対する信頼をも揺るがしかねないもので、韓国社会に深刻な動揺と亀裂をもたらしていた。2期10年続いた革新政権の間、権力から排除される悲哀を初めて味わった保守勢力は、政権復帰を果たすと、一気に軌道修正をして巻き返しを図ろうとし、革新勢力の懸念は的中した。実用主義の名の下で理念対立から脱却するのは容易ではなかったのである。そして、盧武鉉の自殺は、李明博政権と保守勢力による恣意的な政治報復が招いた悲劇であるとの激しい批判を巻き起こし、脱理念どころか、理念対立は怨念化することが避けられなくなった。
さらに、続く大統領に朴槿恵が選ばれたことは、韓国社会の亀裂の修復を一層困難なものにすることとなった。朴槿恵の政治的アイデンティティの核心は、朴正熙の娘であることそのものであり、朴正熙は、反共安保を掲げた強権的な統治体制の下で経済発展を成し遂げ、長きにわたって韓国の政治と社会の主流をなしてきた保守勢力の象徴にほかならない。自他共に認める盧武鉉の永遠の秘書室長である文在寅が事実上の野党統一候補となったことで、2012年の大統領選は、保守対革新、朴槿恵対文在寅の一騎打ちとなった。維新独裁の再来阻止と盧武鉉政治の復活阻止が叫ばれる選挙戦は、さながら朴正熙対盧武鉉の代理戦の様相となった。朴槿恵政権下において、理念対立はさらに熾烈なものとなることが避けられなかったのである。
そして、その朴槿恵大統領が、任期を全うできずに弾劾、罷免される事態となったのである。
「ろうそく革命」と文在寅政権による正統性の追求(2017年以降)
「ろうそく革命」と呼ばれる憲政史上初の政治変動を、保守対革新の理念対立の枠内で捉えるのは短絡的であろう。ろうそく集会の参加者たちは、保守、革新を問わず、改善する兆しが見えない生活の中で、真摯に努力しても報われることのない理不尽な社会と、大統領との個人的関係を悪用して国政を壟断したとされる崔順実(チェ・スンシル)ゲート事件のような、既得権層による権力を笠に着た横暴が黙過され、反則と特権がまかり通る歪んだ社会の現状に怒りを爆発させたのである。常識と原則が通じる社会、公正で正義のある国を取り戻すことを求めた"ろうそく民心"は、理念対立を前提として、保守の理念や政策を否定し、革新を積極的に評価、選択したものとは、必ずしも言えない筈であった。
ところが、政権復帰を果たした革新勢力、とりわけ文在寅政権とそれを支える与党主流派にとって、ろうそく革命と文在寅政権の誕生は、あくまでも理念対立の枠組みの中に位置づけられるものであった。そしてそれは、韓国政治のヘゲモニーが保守から革新へ移行した単純な政権交代にとどまるものではなく、道徳性と信頼性が揺らぐ中、その価値までもが揺らぐ深刻な打撃を受けた韓国の伝統的保守の終焉の始まりとして捉えられた。もはや、保守と革新が拮抗する理念対立の構図は崩壊へ向かい、主軸となる革新勢力の周りに、特定の極端な政治集団の利害を代弁するに過ぎない保守勢力が付随する新たな構図へと韓国政治がパラダイム転換していくための、逃してはならない機会だったのである。
文在寅大統領が掲げた聖域なき「積弊清算」は、当初、公正な社会、正義のある国を取り戻すための取り組みとして、広く国民の喝采を浴び、政権運営の最大の原動力となった。しかし、文在寅政権のイデオロギーに基づく歴史観は、保守勢力を、かつて日本の朝鮮半島支配に協力する反民族行為を働いた親日派の系譜と規定し、民族の正統性を欠きながら、既得権を手に社会の隅々で権勢を振るってきたそれら親日保守既得権勢力を一掃してこそ脱植民地化が完成し、本当の意味で解放が実現するというものであった。そうすることで、初めて民族正気を取り戻し、欠如したまま放置されてきた韓国政治の正統性を確立して、大韓民国を本来あるべき軌道に戻すことができるというわけである。
そうした歴史認識に基づく積弊清算の追求は、必然的に、保守が主導してきた大韓民国のこれまでの歩みを否定することにつながり、保守勢力を標的とした政治報復の様相を呈していくこととなった。文在寅政権にとって、積弊清算は、単純に権力と癒着した既得権の解体と公正な社会の実現にとどまらない、解放後も反共安保と経済開発の名の下で温存されてきた親日派とその残滓を清算することで本来あるべき正義を回復し、正統性を確立するための作業なのである。その目的は、この国を主導してきた親日保守既得権勢力を一掃して旧体制を打破し、韓国政治の主流を交代することにほかならなかった。理念対立の先鋭化により、社会により深刻な分裂がもたらされるのは当然の帰結であった。
文在寅政権とその核心勢力にとって、解放後、冷戦構造の中で、対日協力者としての断罪を免れ、生き延びることに成功した親日派は、祖国分断に加担し、軍部独裁と結びつくことで既得権を独占して、社会の隅々に巣食ってきた。そうした正当性のない勢力によって、正統性が欠如したまま歪んだ国が作られ、今日まで誤った道を歩んできたのであり、それは必ず正されなければならないものであった。
負けられない戦いと韓国政治の新たな潮流
ろうそく革命と文在寅政権の誕生以降、革新与党は、全国同時地方選挙、国会議員総選挙と、勝利を積み重ねてきた。文在寅政権には、国民によって与えられたこの流れを後戻りできないものにして、「完全に新しい国」を作る責任があり、そのためには、次期大統領選挙に勝利して革新政権を持続させることは、是が非でも実現しなければならない必須課題であり、果たさなければならない重大な責務である。2期10年の革新政権の後、保守政権が復活したことで、振出しに戻ることを余儀なくされたかつての苦い経験は、その思いをさらに切実なものとするに余りあるものであった。
1987年6月の民主化を経て、韓国政治を動かす機軸は、三金時代の地域主義から、盧武鉉政権の誕生で顕在化した理念対立へと推移し、いったんは脱理念の実用主義にシフトするかに思えたものの、国民生活の改善に目処が立たないまま、韓国社会の亀裂は深刻化していった。朴槿恵大統領の弾劾、罷免は、保守勢力に致命的ともいえる打撃となったが、文在寅政権による理念偏重の政権運営は、保守陣営を刺激してその危機感を煽り、ますます理念対立を先鋭化させる結果を招いている。
そうした中、雇用や住居、教育などを巡る格差の解消が置き去りにされたまま迎える第20代大統領選挙では、保守や革新の理念より、自分にとって切実な日々の生活に関わる政策を重視する20代30代の「MZ世代」がその多くを占める無党派の浮動層や、ジェンダー格差解消を巡る認識の相違から注目される若年層を中心とした女性票の動向が鍵を握ると言われている。先鋭化する理念対立とは距離を置いた形で、世代間対立やジェンダーギャップといった多様な要素が投票行動を大きく左右する可能性を秘めていることは間違いのないところである。
振り返るに、若年層や無党派層を中心とした韓国政治の新たな潮流が表面化したのは、2012年の第18代大統領選挙の過程で巻き起こった「安哲秀現象」にまで遡る。政治経験皆無で政党にも属さない人物が、選挙戦の帰趨を左右する台風の目となったのである。その背景には、与野や保守革新の違いを問わず、理念対立や権力闘争に明け暮れて、問題解決能力を失った既存の政党や政治家全体に向けられた国民の不信と失望があった。
ろうそく革命とその後の理念対立の先鋭化によって、しばし見えにくくなっているだけで、格差の拡大に歯止めをかけることが出来ずにいる韓国社会の閉塞感は今も解消されておらず、不満のマグマは溜まり続けている。若者や女性を発信源とする新たな地殻変動は、果たして起こるのか。来たる大統領選挙において示される韓国国民の民心が注目される。
(1月12日校了)