韓国と北朝鮮の関係が転機を迎えている。米中の戦略競争とウクライナ戦争が国際秩序に変動をもたらしている中、南北朝鮮は新しい国際秩序に順応する形でナショナル・アイデンティティーの強化を図っている。金正恩委員長は「わが国第一主義」を掲げ、「民族」よりも「国家」を強調するようになった。一方、尹錫悦大統領は自由民主主義国との連携強化を掲げ、北朝鮮との差別化を鮮明に打ち出している。国際秩序の影響を強く受けざるを得ない双方にとって、このような動きは必然的な過程であるとも言える。南北の対立が深まる中での統一論議は、こうした文脈の中で理解されるべきである。両国のナショナル・アイデンティティーの強化は、短期的には統一論と緊張関係を生み出すが、長期的には「1民族2国家」をもとにした共存の基盤として機能するであろう。
敵対的な「1民族2国家」としての共存を探る
2023年12月26〜30日に開催された朝鮮労働党中央委員会第8期第9次全員会議で、金正恩委員長は、「北南関係は、同族関係、同質関係ではなく、敵対的な二つの国家関係、戦争中にある二つの交戦国の関係に完全に固着した」と語った。そして、「一つの民族、一つの国家、二つの制度に基づいたわれわれの祖国統一路線と相反する『吸収統一』、『体制統一』を国策とする大韓民国の奴らとは、いつになっても統一をすることはできない」とした。韓国とは民族的仲間意識を持っておらず、統一路線も異なるため、統一できないという内容である。まさに統一拒否宣言であり、敵対的な「1民族2国家」として共存する道を模索していることを示した。
統一拒否宣言は、2024年の1月16日、最高人民会議第14期第10次会議でも再確認された。金委員長は、北朝鮮内でこれまで築き上げられてきた統一に関する憲法上の表現や原則の削除、また関連建築物の撤去について言及した。そういった作業を通して、「民族の歴史で『統一』、『和解』、『同族』という概念自体を完全に取り除く」べきだと述べた。金日成・金正日時代に形成されてきた原則を否定し、共存のあり方を抜本から見直した新たな対南政策を立案したことを明らかにした。
こうした金委員長の一連の発言は、冷戦終結を受けて南北が打ち出した「南北基本合意書」(1991年12月13日)からの転換を意味する。南北は同合意書で、双方の関係を国と国の間の関係ではなく「統一を志向する過程で暫定的に形成された特殊な関係」であるとし、平和統一を成就するための共同の努力を傾けることを謳った。当時の北朝鮮は、冷戦が終結したことを受け、それまでの南北関係のあり方を変化させようとしていた。南側の代表団と会見した金日成主席は「二つの政府が共存しうる」(1990年10月18日)と明言し、さらに翌1991年1月1日の新年辞では統一問題にふれ、「どちらかがどちらかを飲み込んだり、どちらかに飲み込まれたりしないという原則の下」、「連邦制統一を漸次的に完成させる用意」があると語った。北朝鮮が劣勢に置かれていたため、従来の連邦制統一方案のままでは自らの体制を守ることができず、韓国に吸収統一されると判断したからである。こうした南北間の合意は、浮き沈みを繰り返しながら、共有されてきた。
そして、2000年6月に初めての南北首脳会談が開催された際、金大中大統領と金正日委員長は、「6・15南北共同宣言」に「南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案は共通性があると認め、この方向から統一を指向していくことにした」という一文を盛り込んだ。それまで南北はそれぞれ連合制と連邦制を主張し、統一問題に対する双方の差を埋めることができずにいた。しかし、金正日が自国の主張に修正を加えたことで、韓国との合意形成が可能になったのである。また金正日から権力を継承した金正恩は、2014年に「低い段階の連邦制」を継承する姿勢を表明し、「連邦制」に固執することなく、韓国が掲げる「国家連合」案との調和を図る方向性を示していた。しかしそれ以上の具体的な方針は示さなかった。そしてその10年後、北朝鮮は統一拒否を宣言したことになる。
ナショナル・アイデンティティーの強化
何が金正恩委員長の「統一政策」に変化をもたらしたのか。注目すべきは、2018年前後から「わが国家第一主義」を掲げるようになり、「民族」よりは「国家」を強調するようになった点である。金正恩は金正日時代の 「わが民族第一主義」を「わが国家第一主義」に置き換え、民族と国家の概念を操作しはじめた。金正日時代には、「朝鮮民族(わが民族)第一主義」を掲げることで社会主義と自らの尊厳を守ることに重点を置いていたとすれば、金正恩時代には、執権初期の経済と軍事部門の成果を土台に「わが国家第一主義」を掲げるようになった。2019年の「新年の辞」で、金委員長は、「わが国家第一主義を信念」にして、「愛国の熱意を抱き、誠実な血と汗で祖国の偉大な歴史を記して行かなければならない」と語り、「わが国家第一主義」を新しい統治理念として提示した。革命の主体が民族ではなく、北朝鮮の人民であることを示した点で注目された。『民主朝鮮』は、金正日の「わが民族第一主義」を金正恩が「わが国家第一主義」へ昇華発展(2019.3.26)したとし、「民族」という枠組みから「国家」という枠組みへ移行したことを明確化した。「1民族2国家」の枠組みで南北関係を捉えていく作業を進め始めたのである。さらに2021年には、党規約から「民族解放」路線の表現を削除した。不可能な路線を廃棄し、国家建設に専念する意味を強める形で代替路線を策定したと思われる。
こうした「国家」の強調は、国内対応に留まらなかった。2023年以降、韓国への対応にも変化が起こり始めた。同年7月には、現代グループの会長玄貞恩が訪朝を申請したが、このとき対応に当たったのは、南北業務の窓口であった「祖国平和統一委員会」や「朝鮮アジア太平洋平和異委員会」ではなく、外務省である。国家と国家の関係を想定した対応をとったことを示している。また、韓国の呼称変化にも変化が現れた。同月、金与正朝鮮労働党副部長は談話の中で韓国を、「南朝鮮」、「傀儡」だけでなく、「大韓民国」という呼称を使用したが、翌月8月の朝鮮人民軍海軍司令部での演説において、金正恩委員長は韓国を「『大韓民国』のごろつき」(8.28)と呼んだ。韓国の呼称を「大韓民国」としたことは、統一を志向する分断国家同士ではなく、普通の国家間関係として見做すようになったことを示していると思われる。
他方、韓国の尹錫悦大統領は外交・内政において理念を重視している。「共産全体主義」という造語で北朝鮮を呼び、国内の進歩勢力を北朝鮮に同調する「反国家勢力」と規定した。2023年6月28日、自由総連盟69周年式典では、「北朝鮮のために制裁解除を泣訴し、国連軍司令部解体と終戦宣言」を求めたとして文在寅前政権を批判した。続いて同年8月15日の光復節の祝辞では、自由民主主義と共産全体主義には明確な差異があるにも関わらず、「共産全体主義に盲従し、捏造と扇動で世論を歪曲し、社会を撹乱する反国家勢力が相変わらず蔓延している」として進歩勢力に対する批判を強めた。同演説で特に注目されたのは、独立運動を「自由民主主義国家をつくるための建国運動」として定義したことである。独立運動を日本からの独立を目的としたものよりは、自由民主主義国家である韓国を建国するものであったと、その意義付けに変化を加えたのである。この発言は、1948年8月15日を「政府樹立日」ではなく、「大韓民国建国の日」として見做すニューライト(New Right)の主張を取り入れた結果であろう。これは、金正恩政権の打倒や核武装論を主張してきた金暎浩統一部長官をはじめ、複数のニューライト系列の人物が政権に入っている影響だと思われる。しかし、この発言は1919年の日本統治時代の朝鮮で起こった3・1運動後、中国の上海市で結成された「大韓民国臨時政府」の法統を継承しているとする憲法前文に反する発言で、国内では直ちに反論が提示された。
尹錫悦大統領は、更に、1920年代の独立運動家洪範図(ホン・ボムド)の共産主義履歴を問題視し、陸軍士官学校にある洪範図銅像の移転を通して文在寅前政権との差別化を図った。ついに8月28日の与党の研鑽会では、「一番重要なのは理念」と語るまでに至った。尹大統領が北朝鮮に厳しく対応しながら、国内で理念重視の姿勢を繰り返して示すのは、「自由民主主義国家の韓国」を北朝鮮と差別化しようとしているからであろう。北朝鮮との比較の中でナショナル・アイデンティティーを求めているのである。
こうした理念重視の姿勢は、文在寅前政権の路線を「偽の平和」と批判し、「力による平和」を重視することにも表れている。こうした方針に従い、統一部は2023年1月に統一方案の修正作業に入った。統一部は大統領に対する業務報告で、「変化する国際情勢と南北の力学関係などを反映し、『民族共同体統一方案』を修正・補完して2024年に発表する準備」を進めると報告している。ここで、「変化する国際情勢」とは「新冷戦」の状況を指していると思われる。また、「南北の力学関係」が、戦術核を含む核開発を指しているとすれば、長期的な共存を目的に設定されていた「南北連合」の実現が難しいと見做し、韓国主導による統一をより強めるようになると思われる。
尹政権の下、現在の南北関係を反映した統一部の組織改編も進められた。尹大統領は「これまで統一部はまるで北朝鮮支援部のような役割を果してきた」(2023.7.2)として、統一部が北朝鮮との交流と支援事業を担当してきたことに否定的な意見である。そして北朝鮮との交流協力や対話を担当してきた4つの組織を統合した。その一方で、拉致や捕虜問題を扱う部署を新設し、それまで問題提起を控えた課題に積極的に取り組む方針を示した。
基盤としての新しい相互抑止体制
ナショナル・アイデンティティーを強化することを可能にしたものは何なのか。核をもとにした新しい相互抑止体制が確立しつつある点があげられる。2019年2月のハノイ米朝首脳会談が成果無く終わったことで、北朝鮮は非核化から核保有へと舵を切り、韓国をターゲットにした戦術核の開発に乗り出した。2021年1月、第8回党大会で「国防力発展5カ年計画」を策定し、対米戦争に備えて超大型核弾頭の生産を続けながら、対南戦争に対しては戦術核兵器の開発を推進するようになった。そして2022年にロシアによるウクライナ侵攻が開始すると、北朝鮮は戦術核の先制使用まで盛り込んだ核戦略を打ち出した。それに対し、韓国は米国と「核協議グループ(NCG)」を設立し、戦略核潜水艦の韓国寄港を行うなど、米国の拡大抑止の信頼を高める対応をとった。
そもそも分断国家は「分断」という未完の状態から「統一」という完成を求める。大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も例外ではない。相手からの軍事的な侵略によって併合される可能性がある上、相手より経済的に劣勢になると、相手に吸収されてしまうこともありうる。分断国家同士の対立が安全保障分野だけでなく、経済を中心とした厳しい体制間競争、すなわち国家建設競争に発展しやすいのは、それ故である。金正恩がナショナル・アイデンティティーを強化しているのは、こうした分断国家が持つ呪縛から、抜け出すためであろう。核武装によって抑止力を確保したという自信がそれを可能にしている。長期的共存に向けた新しい南北関係は形成途上にある。
(2024年3月31日校了)