研究レポート

ASEANの秩序戦略とインド太平洋構想

2022-03-31
湯澤武(法政大学グローバル教養学部教授)
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「インド太平洋」研究会 FY2021-7号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

東南アジア諸国連合(ASEAN)は、2019年6月のASEAN首脳会議において、およそ1年半に及ぶ協議の末、ASEAN独自のインド太平洋構想であるASEAN Outlook on the Indo-Pacific (AOIP)を採択した。AOIPは、2016年から2018年にかけて日本やアメリカ、オーストラリア、インドなどから次々と提示されたインド太平洋構想(FOIP) に対するASEANとしての回答であるともいえ1、ASEANが「インド太平洋」という地政学的概念を用いて、地域構想を打ち出したことは、日米が主導するFOIPにASEANが賛同したものとして、関係諸国から歓迎する声があがった。AOIPと日米のFOIPは、それぞれが構想の目的として「ルールに基づく秩序形成」を掲げるなど、確かに両者には構想の名称以外にも顕著な共通点がある。しかし一方で、AOIPと特にアメリカ版FOIPの間には秩序の形態や秩序構築へのアプローチに関して根本的な違いを見ることができる。本稿は、主にASEANの秩序戦略の観点から、AOIPの特徴やASEANがAOIPを打ち出した動機やその背景を考察する。

I. AOIPの特徴-「ASEAN中心性」の追求

AOIPの文書は全体で5 頁という短いものだがそこにはASEAN独特の国際秩序観が示されている。文書は、①背景と根拠、②インド太平洋に対するASEANの見解、③目的、④原則、⑤協力分野、⑥メカニズムから構成されている。紙幅の関係上、内容についての詳細は避けるが、まず①では、インド太平洋地域に地政学的なシフトが起きているという認識が提示されたうえで、「相互不信の深化や誤算、ゼロサムゲーム的な行動パターンが生起することを回避する必要性」が強調されており、これは米中間の対立と競争の先行きに対するASEANの懸念を暗に示していると考えられる。そのうえで①は、「誠実な仲介者」であるASEANがインド太平洋の地域協力に関するビジョンの形成においてリーダーシップを発揮し、中心的な役割を果たしていく必要性を主張し、その根拠として「過去数十年間、ASEANは包摂的な地域協力のアーキテクチャの発展を主導してきた」ことをあげている。そして①の末尾には、AOIPの目標として「ASEAN中心性をインド太平洋の地域協力の基本原則とし、東アジア首脳会議(EAS)といったASEAN主導のメカニズムをインド太平洋における対話と協力実行のプラットフォームとする」ことが掲げられている。これらの認識を踏まえて、②では主にインド太平洋を「競争ではなく対話と協力の地域」、「全てのアクターにとって発展と繁栄の地域」、「ASEANが中心的かつ戦略的な役割を果たす地域」とするインド太平洋に対するASEANの見解が示されている2

次に③④では、主にASEANが提示するインド太平洋地域秩序の原則や秩序構築へのアプローチが示されている。前者は、ASEAN中心性、包摂性、主権尊重、内政不干渉といったASEANが重視する規範や国連憲章、国連海洋法条約などの国際法、またASEAN憲章といったASEAN独自のルールが含まれる。ここでは特にASEANの「不戦条約」ともいえる東南アジア友好協力条約(TAC)を地域秩序の基盤となるルールとして、インド太平洋地域の国際関係に適用すべきことが強調されている。後者に関しては、ASEAN共同体、EAS、ASEAN地域フォーラム(ARF)、ASEAN国防相会議(ADMM)プラスといったASEANを中核とする地域制度などを活用し、地域諸国間の経済協力や海洋協力、連結性、持続可能な発展目標(SDGs)といったASEAN の「優先協力分野」の実施を推進していく必要性が謳われている。最後に⑤において、これら協力分野の内容について簡単な説明が提示されている。

以上AOIPの概要を簡単に説明したが、ASEANのインド太平洋構想とは、端的にいえば、冷戦終結以降、ASEANを中核とする包摂的な地域協力のアーキテクチャ(ASEAN中心性)の構築を通して、アジア太平洋地域における秩序形成の一翼を担ってきたという自負心に基づき、インド太平洋というより広い地域においても、「ASEAN中心性」の追求を通して秩序構築を主導していくというASEANとしての意思表明であるといえる。インドネシアが主導したAOIPの作成過程では、ASEANの地域構想の名称に「インド太平洋」という文言を用いることやインドネシアが提示したAOIPの協力分野などに関して加盟国間で意見の相違があり、上述のように構想がある程度まとまるまで1年半ほどかかったことが指摘されている3。しかし、「ASEAN中心性」の維持をASEANの地域構想の目的とすることについては、当初から加盟国間に暗黙の了解があった4。なぜASEANは常日頃からマントラのように唱えている「ASEAN中心性」という概念の追求を自らのインド太平洋構想の目的として設定し、それを対外的に提示する必要があったのであろうか。

II. AOIPを提示した動機とその背景

その最大の理由は、①ASEAN諸国にとって、「ASEAN中心性」の追求は、ASEANの伝統的な戦略目標、すなわち東南アジア諸国の自立性と中立性の確保およびASEANが理想とする「包摂的」地域秩序の維持に必要不可欠であるとともに、②米中の対立にASEAN諸国が翻弄されるなかで、「ASEAN中心性」を阻害しかねない地域構想(FOIP)がアメリカから提示されたことで、今後もASEANは中立性を維持しながら、自らが理想とする包摂的な秩序形成を自立的に追求していくという意志を対外的に強く打ち出す必要があったからである。

1) ASEANの秩序戦略-「ASEAN中心性」を基盤とする包摂的秩序の形成

ASEAN加盟国の殆どが列強国による植民地化を経験し、また冷戦期も東南アジアには大国間の対立があらゆるレベルで波及したことから、ASEAN諸国は自らが望まない域外大国による国内および地域の諸問題への干渉を排除し、各国が国民統合や経済開発といった国益の増進に専念できる地域環境を構築することに共通の利益を見出している。端的にいえば、この政治的・経済的に自立した地域の形成こそが、ASEAN諸国が最低限共有する地域秩序の在り方であるといえる。この目標追求のためのASEANの戦略は一般的に「ヘッジング戦略」と称されるが、それはASEAN側からすべての域外大国に「等距離」に関与し、特定の大国から支配的な影響力を受けることを回避する、そして大国同士を相互に牽制させることを通じて、大国の影響力を相殺することで、地域の自立性を維持するという考えである5

「ASEAN中心性」が、ASEANのヘッジング戦略の象徴となったのは、冷戦終結による戦略環境の変化に対するASEANの懸念(東アジアにおける米軍のプレゼンスが大幅に縮小し、それによって生じた力の空白を埋めるべく、日中など地域の主要諸国が軍拡に乗り出すことで、東南アジアの地域秩序が急速に不安定化しかねないという懸念)への対処として、ASEANが日米中といったすべての域外大国を内包する地域制度、すなわちARFの設立に乗り出してからである。ASEANの具体的な狙いは、①日米中を含む地域制度を設立し、米国の東アジア地域への関与を担保することで、中国と日本の軍事的台頭を抑制する、②さらに地域制度を通して大国間に対話のチャンネルを設けることで、大国間の信頼醸成と共通の規範形成を促進し、東アジアの地域秩序の安定化及び東南アジアの自立性を確保していくということであった6。この実践として、ASEANは1994年に政治・安全保障対話と協力の推進を目的とするARFを設立し、その後97年にASEANプラス3(APT)、2005年にEAS、さらに2010年にはADMMプラスの設立にも尽力した。

客観的にみて、これらASEAN主導の地域制度が、大国間の信頼醸成や実効的な規範形成に役割を果たしてきたとは言い難いが、これらの地域制度は、ASEANが「誠実な仲介者」として、すべての地域諸国に等距離に関与し、地域協力を主導する正当性を与えてきた。換言すれば、東アジア全体を重層的にカバーする唯一無二の対話と協力のプラットフォームとして存続するこれらの地域制度は、中小国の集まりであるASEANが、毎年のように大国を含む全ての地域主要諸国の首脳・閣僚を東南アジアに呼び集め、東南アジアの平和と発展への関与を確約させるとともに、それら諸国をTACに加盟させるなど、地域秩序の形成過程においてその物質的パワーに見合わない政治的影響力を発揮させることを可能にしたといえる。

さらにいえば、2000年代前半以降、ASEANは経済面においても「ヘッジング戦略」の一環として、アジア太平洋の主要諸国と経済的連携関係を「等距離」で強化してきた。たとえば、2002年には中国との間で包括的経済協力枠組み協定に署名し、2007年にはサービス貿易についての協定も締結した。日本とは2003年に包括的経済連携構想の枠組みに署名し、その後2008年に日ASEAN経済連携協定が締結された。その他、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インドとも自由貿易協定(FTA)を締結してきた。こうしたASEANを中核とするFTAのネットワーク(「ASEAN+1」型のFTAとも称される)の発展は、東南アジアの経済成長の源でもあるサプライ・チェーンの深化と拡大に寄与してきたが、これは経済分野における「ASEAN中心性」の追求であったといえる。

こうして冷戦終結以降、アジア太平洋地域には政治、安全保障、経済分野において、大国を含むすべての地域主要諸国がASEANを中心とするアーキテクチャ(制度的ネットワーク)によって互いに結びつく「包摂的」な地域秩序が形成され、そのなかでASEANは多大なる利益を享受してきた。

2) 米中対立による包摂的秩序の弱体化とアメリカ版FOIPへの懸念

しかしながら、このASEANが理想とする包摂的秩序は、2010年代前半ごろからほころびを見せるようになった。それは主に南シナ海における中国の現状変更的行動がエスカレートし、また中国が自国を中心とするあらたな経済圏構想である「一帯一路」構想を打ち出したことで、米中間の軍事的・経済的影響力をめぐる競争が激化したことによる。米中の対立は否応なく東南アジア諸国を巻き込み、ASEANが大国の権力政治に翻弄される事態が目立つようになった。たとえば、2015年11月に開催されたADMMプラスの閣僚会合では、南シナ海問題に関する文言を共同声明に挿入するかどうかで米中が激しくもめ、結果として議長国であったマレーシアが共同声明の発出を断念した。これはASEAN主導の地域制度が、地域諸国間の相互信頼を醸成する場というよりも、むしろ大国間の権力政治の場になりつつあることを示唆するものであった。

このような傾向は、2017年に誕生した米トランプ政権が対中強硬策を打ち出してから、さらに顕著なものとなった。トランプ政権は、軍事面では主に南シナ海において、「航行の自由作戦」の定例化や軍事演習の活発化といった対中けん制策を打ち出し、当初は中国の現状変更的行動を懸念するASEAN諸国もこれらの政策を歓迎していた。しかし、その後米中間の軍事的緊張が極度に高まると、東南アジアが大国の軍事的対立の最前線になるとの懸念がASEAN内に広がり、アメリカにも自制を求める声がでるようになった。また経済面においてトランプ政権は、ハイテク製品の輸出制限や通信インフラからの中国製品の締め出しなどを進めたが、それらの措置は将来的に中国を含めたアジア全体のサプライ・チェーンを分断しかねないとの懸念をASEAN内で広めることになった(ベトナムなど逆に米中の関税合戦から恩恵を受けた国もあったが)7。  

トランプ政権は、2017年10月ごろから政策演説などを通して、アメリカのFOIP構想を披露していったが、その内容は漠然としたものであり、当初は特にASEAN諸国の注意を惹くものではなかった。しかし、2017年12月の国家安全保障戦略(NSS)と2018年1月の国家防衛戦略(NDS)がともに中国を「修正主義勢力」と指摘したうえで、同盟国や友好国との軍事協力の強化に重点を置いたこと、そしてその前後から上述の対中強硬策が次々と打ち出されたことで、ASEAN諸国の多くはアメリカ版FOIPを対中封じ込めのための有志連合形成を目的とする「排他的」な秩序構想、つまり「ASEAN中心性」の存在意義を希薄化しかねない構想であると見なすようになった。このようなASEANの印象は、アメリカが日米印豪戦略対話(Quad)の強化に乗り出したことや、Quad関連会合の共同声明に「ASEAN中心性」への支持が繰り返し明記されたにも拘わらず、トランプ大統領がEASを連続して欠席したことなど(結局在任中一度も参加しなかった)によってさらに強まったといえる8

AOIPはこれらASEAN諸国が共有する懸念を強く反映したものであり、日米が主導する「インド太平洋」というあらたな地政学的概念を受け入れつつも、東南アジアも内包するその概念のもとに、自らの意向のままあらたな秩序形成を図ろうとする域外大国をけん制する目的も含んでいた。米中の対立激化によって、域外大国のASEANへの投資や援助が活発化したという事実もあるが、過去30年もの間、アジア太平洋地域における包摂的な秩序形成の一翼を担ってきたという自負心を持つASEAN諸国にとって、その影響力の源ともいえる自らを中核とする包摂的な地域協力のアーキテクチャが、域外大国の勢力争いによって、時には権力政治の道具と化し、アメリカの首脳の関与も見込めず、形骸化していくことは受け入れがたいことであったといえる。AOIPは、そのような流れをくい止めるべく、今後も「ASEAN中心性」の追求を通して、自らの自立性と中立性に資する秩序形成を図っていくというASEANの対外的な意思表明であったといえる。

おわりに

ASEANは2022年で設立55年を迎えるが、それは域外大国の干渉や政策変更に伴う戦略環境の変化に翻弄された歴史でもあった。しかしASEAN諸国は、単に大国が生み出す国際秩序を受け入れることで、その組織的生存を確保してきたわけではない。ASEAN諸国は政治的結束力の弱さなどの内的問題を抱えながらも、東南アジアを揺るがす戦略環境の変化に直面した際は、組織として地域の自立性と中立性の確保を目的とした秩序構想を打ち出し、自らが理想とする秩序を切り開こうとしてきた。冷戦終結を機にASEANが乗り出した「ASEAN中心性」に基づく包摂的な地域制度構築の取り組みはその代表事例であり、AOIPの提示は、そのようなASEANの組織的行動パターンの延長線上にあるものと理解できる。しかし当然ながら、ASEANがAOIPを推進していくのは容易ではない。地域主要諸国が「ASEAN中心性」への支持を繰り返し表明してはいるものの、大国によるASEAN加盟国への選択的アプローチやASEAN加盟国間における米中への距離感の違い、ASEAN主導の地域制度に対する信頼性の欠如、Quadや米英豪の安全保障枠組み(AUKUS)といった大国主導の「ミニラテラル」な枠組みの台頭など「ASEAN中心主義」は様々な障害に直面している。AOIPの展望についての考察は、紙幅の関係上別稿に譲ることにしたい。




1 Dewi Fortuna Anwar, "Indonesia and the ASEAN outlook on the Indo-Pacific", International Affairs, Vol.96, No.1, 2020, pp.111-129

3 Hoang Thi Ha, "ASEAN Navigates between Indo-Pacific Polemics and Potentials", ISEAS-Yusof Ishak Institute Perspective, April 20, 2021, https://www.iseas.edu.sg/articles-commentaries/iseas-perspective/2021-49-asean-navigates-between-indo-pacific-polemics-and-potentials-by-hoang-thi-ha/
鈴木早苗、「ASEANのインド太平洋構想(AOIP)の策定過程」、研究レポート、日本問題研究所、2021年11月19日 https://www.jiia.or.jp/research-report/indo-pacific-fy2021-02.html

4 Tan See Seng, "Consigned to hedge: south-east Asia and America's 'free and open Indo-Pacific' strategy", International Affairs, Vol. 96, No.1, 2020, pp.131-148. 

5 Evelyn Goh, "Great Powers and Hierarchical Order in Southeast Asia: Analyzing Regional Security Strategies," International Security, Vol.32, No.3, 2007, pp.113-157. Evelyn Goh, "Institutions and the Great Power Bargaining in East Asia: ASEAN's Limited Brokerage Role" , International Relations of the Asia-Pacific, Vol.11, No.3, 2011, pp.373-401. 福田保「東南アジア諸国とアジア―5つのバランシング戦略」福田保編『アジアの国際関係―移行期の地域秩序』春風社、2018年、147-166頁。

6 Evelyn Goh, "Great Powers and Hierarchical Order in Southeast Asia". Ralf Emmers, Cooperative Security and the Balance of Power in ASEAN and the ARF. London: Routledge 2003.

7 Simon Tay and Jessica Wau, "Choosing sides: ASEAN in the US-China contest", East Asian Forum Quarterly, October 2019. https://search.informit.org/doi/epdf/10.3316/INFORMIT.281562847309112

8 Tan See Seng, "Consigned to hedge".