研究レポート

ASEANのインド太平洋構想(AOIP)の策定過程

2021-11-19
鈴木早苗(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
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「インド太平洋」研究会 FY2021-2号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

1.インドネシアの外交とAOIP策定の背景

AOIPの発表を主導したインドネシアにとって、「インド太平洋」という概念は馴染みのあるものだった。2013年5月、インドネシア外相が「インド太平洋友好協力条約」構想を発表したことがあるからである。ASEAN加盟諸国のこの構想への支持は得られなかったが、東南アジア友好協力条約(TAC)の精神を主軸におき、大国間の緊張緩和やASEAN中心性の維持を訴えるものだったといわれる1。こうした基本路線は、AOIPに至るインドネシアの提案にも反映されている。

2014年誕生したジョコウイ政権は、Global Maritime AxisあるいはGlobal Maritime Fulcrumを掲げ、海洋国家としてインドネシアを位置づけ、海洋分野で国際協力を進める考えを表明し、インド太平洋はその中核に置かれた。そのためにインドネシアが活用しようとしたのがIndian Ocean Rim Association (IORA)である。2015年から2017年までインドネシアは議長国を務め、IORAにおいて海洋分野での協力を進めようとしていた2。いいかえれば、インドネシアはこの新しい外交政策の推進のために、ASEANを活用しようという発想は当初は希薄だったものと考えられる。

インドネシアがインド太平洋の構想をASEANの構想として提案しようとしたきっかけは、2017年11月のトランプ政権によるインド太平洋政策の発表にある3。同政策は、対中貿易紛争をはじめ米中対立が激化する中で、中国を排除した協力を前面に出していた4。中国を警戒しながらもインフラ開発など経済協力において中国との関係を重視したいインドネシアは、アメリカの政策により中国排除とインド太平洋が結び付けられることを懸念した。また、ジョコウイ政権は、インド太平洋協力の枠組みとして注目されるようになった日米豪印の戦略対話(Quad)の制度化がインドネシアを軽視する動きととらえた5。2018年初め、インドが「ASEANのリーダーシップのもとでインド太平洋地域の平和と繁栄を」とASEAN重視を掲げたこともインドネシアを後押ししたものと考えられる6

2.加盟国の消極姿勢からAOIP発表へ

2018年2月、非公式ASEAN外相会議でインドネシアはASEANのインド太平洋構想を発表することを提案する。提案の初期から、AOIPの骨格となる諸原則が提示されていた。すなわち、開放的で透明性のある、包摂的な(open, transparent and inclusive)といった原則や7、アメリアと中国両国が参加する東アジア首脳会議(EAS)を協力のための組織的基盤とすること8、協力と友好、国際法の尊重9、海洋協力、連結性の強化、持続可能な発展などを協力分野することなどである10。アメリカのインド太平洋政策に対して、EASをプラットフォームにし、包摂性を重視し、中国を取り込んだ形での協力を志向するというメッセージを打ち出した。

こうした諸要素を盛り込んで、2018年8月、インドネシアは概念ペーパーを加盟各国に回覧した。しかし、ASEAN諸国の反応は概して消極的、あるいは無関心なものだった11。特に、フィリピンとカンボジアが最も消極的と報道された12。ASEAN's Indo-Pacific Conceptとするインドネシアに対し、マレーシアはASEAN Inter-Oceanic Conceptを提案するなど、構想名の対立もあった13。こうしたことからわかるように、加盟諸国は、インド太平洋構想を発表することでアメリカや中国がどう反応するかについて意見の食い違いがあったとみられる。こうした意見の違いは、アメリカと中国とそれぞれ異なる安全保障関係を結んでいるASEAN各国の事情を反映している14。2018年11月の首脳会議では、合意に至らず、翌年に持ち越された15

2019年に入り、議長国タイの後押しも受け、インドネシア提案について加盟諸国は協議を継続した。タイは、TACの原則を盛り込むことを提案したとみられ16、インドネシアも安全保障の側面ではなく経済成長のための構想という側面を前面に押し出した17。こうした努力もあって、3月には加盟諸国はインドネシアの概念ペーパーを承認した18。ただし、最後まで、中国の意向を受けたカンボジアが、freedom of navigation and overflightの文言を削除するように要求し、シンガポールが説得して文言を残すといったやりとりがあったとされる19。そのシンガポールも、AOIP発表を見合わせて、もう少し議論を尽くすように加盟諸国に求めていた20。また、インドネシア提案には、インド太平洋連結性マスタープランの策定、持続可能な発展目標に関するインド太平洋フォーラム、安全な航行・自然災害対策のためのインド太平洋フォーラムの開催など具体的な活動が含まれていたが、削除された21。つまり、ASEAN諸国は、インド太平洋における協力においてその指針を発表することには合意できても(それでも最後まで対立があった)、その具体化までには合意できなかったのである。

3.AOIPと日本

2019年6月に発表されたAOIPは、内政不干渉、開放性、包摂性、国際法の尊重、競争よりも対話の重視、海洋協力・連結性強化・SDGs・そのほかの経済協力の推進、EASに代表されるASEAN主導の枠組みでの協力推進を掲げた。Acharyaは、原則に「自由(free)」を掲げないことで中国に配慮し、freedom of navigationを挿入することでアメリカに配慮したと分析している22。AOIPに対しては、域外国からの支持が相次ぎ、インフラ整備に対する財政的支援などが表明された。日本も、自国の自由で開かれたインド太平洋政策(FOIP)とAOIPの原則を共有し、連結性強化を通じた質の高いインフラ協力を進めていく点などをASEANと合意している。

しかし、そのASEANには、AOIPのもとでどのような協力をどのように進めていくのかという点で、コンセンサスはない23。AOIPの策定過程でみられたように、AOIP発表に消極的な加盟国をインドネシアが押し切った印象すらある。他の加盟国にとっては、AOIPはASEANの合意というよりも、海洋協力やインフラ協力を進めたいインドネシアの政策であるという意識が強いのかもしれない。一方で、AOIPが域外国からのさまざまな支援の呼び水になることは、全てのASEAN加盟国が歓迎するだろう。つまり、どのような構想のもとであっても、実質的な協力が得られるのであればよしとするプラグマティズムも存在する。ただし、協力の中身や方法は加盟各国で異なる可能性は高い。

日本としては、そうした状況を見極めつつ、AOIPを活用してFOIPのもとで実現したい協力を推進していくことが求められる。すでに、質の高いインフラ開発とASEAN連結性の強化が関連づけられた。インフラ開発は域外国が競争してASEAN諸国を支援しようとしている分野である。日本は、ASEAN、日メコン協力などサブリージョナルな協力、加盟各国に対してこれまでおこなってきたインフラ開発支援が質の高いものであることをアピールするとともに、さらなる質的向上を実現すべく新たなプロジェクトを提案することが求められる。その際、ASEANという枠組みを重視しつつも、サブリージョナルな協力や加盟各国との二国間協力を中核に置くことが重要である。なぜなら、インド太平洋協力は、特定の国際制度に紐づけられるというよりは、さまざまな国々が異なる相互作用を展開しながら、互いにつながるネットワークのような性質を持つ可能性が高いからである。またそうすることで、ASEAN加盟各国の異なる事情に沿った協力が可能になる。たとえば、AOIPの提案者であるインドネシアと2国間のインフラ協力を進めていき、AOIPのもとでの協力のモデルケースとして打ち出していくことも一案である。こうした柔軟な協力は、原則や方針に留まっているAOIPの履行を後押しすることにもなろう。




1 福田 保 (2014) ASEANと「インド太平洋条約」構想『「インド太平洋」時代の日本外 交』外務省外交・安全保障調査研究事業中間報告書;福田 保 (2015) ASEANと「インド太平洋」 『「インド太平洋」時代の日本外交』外務 省外交・安全保障調査研究事業最終報告書

2 Shofwan Al-Banna Choiruzzad (2020) The confluence of the two seas: the rise of the Indo-Pacific region and ASEAN Centrality. In: Ergenc, Ceren (ed) ASEAN as a method : re-centering processes and institutions in contemporary Southeast Asian regionalism. Routledge.

3 Amitav Acharya (2019) Why ASEAN's Indo-Pacific outlook matters, East Asia Forum. https://www.eastasiaforum.org/2019/08/11/why-aseans-indo-pacific-outlook-matters/ Accessed on 23 September 2021.

4 The Straits Times, 10 November 2017

5 New Straits Times, 7 March 2018; The Straits Times, 21 January 2018

6 The Straits Times, 8 January 2018

7 The Jakarta Post, 8 February 2018

8 The Jakarta Post, 26 March 2018

9 The Jakarta Post, 9 May 2018

10 The Jakarta Post, 10 September 2018

11 The Jakarta Post, 15 August 2018

12 Bangkok Post, 4 December 2018

13 The Jakarta Post, 6 November 2018

14 Choiruzzad (2020)

15 The Jakarta Post, 16 November 2018

16 The Jakarta Post, 13 March 2019

17 The Jakarta Post, 20 March 2019

18 The Jakarta Post, 13 June 2019

19 Bangkok Post, 2 July 2019

20 The Jakarta Post, 13 June 2019

21 Bangkok Post, 28 June 2019

22 Acharya (2019)

23 Nazia Hussain (2019) ASEAN joins the Indo-Pacific conversation, East Asia Forum. https://www.eastasiaforum.org/2019/08/16/asean-joins-the-indo-pacific-conversation/ Accessed on 23 September 2021.