研究レポート

抑止と同盟から考えるロシア・ウクライナ戦争

2022-03-29
鶴岡路人(慶應義塾大学准教授)
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欧州研究会 FY2021-8号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

2021年秋以降、ロシア軍がウクライナ国境地帯に集結し、懸念が高まっていたが、ついに2022年2月24日にロシアはウクライナに侵攻した。それから約1カ月経過した本稿執筆時点(3月23日)で、ウクライナ軍はロシア軍の攻勢に対して激しく抵抗し続け、ロシアは当初の計画通りに作戦を遂行できない状況になっている。この侵略、そして戦争に関してはさまざまな側面が存在するが、ここでは、抑止と同盟の観点から、戦争にいたる過程と開戦後の展開についての分析を試みたい。

今回の事態でNATO(北大西洋条約機構)の観点からのロシアに対する抑止とは、「もしロシアが○○をすれば、NATOは△△で対応する」ことを示す行為であり、△△をロシアが避けたい、そして、△△を実施するNATO側の脅しの信憑性が高い限りにおいて、ロシアが○○を断念することが期待されることになる。△△には、例えば米国の介入が該当するだろう。これがNATOによる対露抑止である。ロシア側にとっても同様であり、「もしNATOが○○をすれば、ロシアは△△で対応する」という脅しをかけることになる。それによってNATOが行動を変えるか否かが問われる。

ただし、ここで立ちはだかるのが、ウクライナはNATO加盟国ではないという事実であり、米国を含めたNATO諸国はウクライナに対する防衛義務を負っていない。そうしたなかで、対露抑止はいかに捉えることができるのか。

以下では、こうした抑止と同盟の観点で今回の事態を鳥瞰し、全体の構造を明らかにするとともに、今後を左右する注目点を抽出することにする。

米国・NATOはなぜ介入しないのか

ウクライナ国境地帯へのロシア軍の集結が進むなかで米国は、ロシアによるウクライナ侵攻を防ぎたかった、つまり抑止したかったことは確かだろう。ただし、そこには明確な限界が存在した。2021年12月の段階でバイデン米大統領はすでに、「(防衛)義務はウクライナには至らない」と述べ、ウクライナへの米軍部隊派遣について記者に問われた際には、「それは選択肢にのぼったことすらない(There never were on the table)」と言い切っていた。

事実関係として、米国がウクライナに対する防衛義務を負っていないことは確かだ。ウクライナはNATO加盟国ではない。本来はここで思考停止してはいけないのだが、そのことが行動しない免罪符であるかのように便利に使われてきたのが現実である。

しかし、防衛義務が存在しないことは、集団的自衛権の発動が不可能であることを意味しない点には留意が必要である。国際連合憲章は、集団的自衛権を国家固有の権利として認めている。他国を軍事的に支援するのに安全保障条約は不可欠ではない。実際、湾岸戦争のときの米国とクウェートが同盟関係だったわけではないし、「イスラム国」に対する有志連合による空爆などの作戦は、イラク政府からの要請に基づき、米国や英国、フランスなどがそれぞれ集団的自衛権を発動して対処した。ここでも、イラクとそれら諸国は同盟関係にあったわけではない。

したがって、米国ないしNATOがウクライナを軍事的に支援するか否かは、同国がNATO加盟国であるか否かによって自動的に結論が導かれるのではなく、あくまでも米国・NATO側による政治判断である。「NATO非加盟国だからしょうがない」ではないのである。その判断にあたって考慮されるのは、(1)ウクライナの重要性――同国を守る価値があるのか――と、(2)誰と対峙することになるのかである。

もっとも、この2つを完全に分離して考えることはできない。「ウクライナはNATO加盟国ではない」という主張は(1)に該当するが、バイデン大統領が繰り返している「(ウクライナに介入すれば)第三次世界大戦になってしまう」という議論は、(2)に関するものである。2つは並行して使われるのである。仮に(2)がより強調されているのだとすれば、NATO加盟国の防衛にも疑念が生じることになるが、バイデン大統領はNATO加盟国については「1インチたりとも」手を出させないと警告している。

そのうえで、「ウクライナにおいて」米国がロシアと戦うことがなくても、そのことは、ロシアの行動を抑止することが米国の国益の一部であることを否定するわけではない。ウクライナを防衛することと、(米国の望まない)ロシアの行動を抑止することは、本質において異なり、前者の意思がなくても、後者の必要性は減少しないのである。

もっとも、ここでの議論は、バイデン政権がウクライナへの米軍派遣をそこまで明確に否定しなければ、ロシアによるウクライナ侵攻が抑止できたはずだという趣旨ではない。いずれにしても抑止不能だったかもしれない。それでも、「ウクライナはNATO加盟国ではない」という議論が、米国の関与を否定するカードとして安易に使われ過ぎたことは指摘しておきたい。

エスカレーション・コントロールをめぐる攻防

そうした米国・NATO側の事情は、ロシアとの抑止の関係にも大きな影響を及ぼしたと考えられる。端的にいって、NATO側はロシアの抑止に失敗したのみならず、ロシアによるウクライナ侵攻開始後も、「エスカレーション・コントロール」における失敗を続けていると評価せざるを得ない。

エスカレーション・コントロールとは、主にすでに最初の抑止が崩れた状況下において、次の段階に進む――つまり、エスカレーションする――のを抑止することを指すが、ここで重要になるのは、次の段階に進む覚悟である。これが欠けると、先方に一方的に抑止されることになる。

ロシアは、NATO側による次なる措置を封じるための抑止メッセージを繰り返し発してきた。例えば、ウクライナ上空の飛行禁止区域設定や、ポーランドなどからウクライナへの戦闘機供与、さらには一部NATO加盟国が保有する旧ソ連製の防空システムS-300のウクライナへの供与などに関して、そうした行為は「戦闘への参加」とみなすと警告してきた。ロシアによるエスカレーション・コントロールである。

飛行禁止区域の設定は、ロシアによる警告がなかったとしても、実際のオペレーションにおいてロシア軍機との交戦が発生することに加え、設定開始に先立ってロシア側の防空システムを叩く必要があることなどから、いずれにしても困難だった可能性が高い。他方、ポーランドが保有する旧ソ連製のMiG-29戦闘機をウクライナに供与する案は、ロシアの警告によって迷走した部分が大きかったようにみえる。ポーランドは、自ら直接供与することを躊躇し、ドイツの米軍基地まで運び、そこからは米国・NATOに対応を任せようとした。しかし今度は米国がそれを認めず、結局(少なくとも当面は)立ち消えになった。ロシアの警告を前にNATO側が右往左往したような姿であった。

これは、ロシアがエスカレーション・コントロールの主導権を確保し、NATO側を一方的に抑止している状況だといえる。このこと自体が極めて由々しき事態なのだが、NATO側において、こうした状況に対する問題意識すらあまり聞こえてこないことが、抑止という発想の不足を示しているのかもしれない。

次なる課題は、ロシアによる生物化学兵器、さらには核兵器の使用をいかに抑止するかである。これは、NATOにとっていわば「最後の砦」である。バイデン大統領は、化学兵器の使用に関して、「厳しい代償を伴う」と警告している。これはNATO側から発せられた、久しぶりの対露抑止メッセージであり、エスカレーション・コントロールの主導権を獲得する試みである。

3月24日に開かれたNATO首脳会合後に発表された声明は、生物化学兵器が使用された場合には「深刻な結果(severe consequence)」を招くと警告し、ストルテンベルグ事務総長は、「化学兵器のいかなる使用も、今回の紛争の性格を完全に変化させる」と述べている。また、バイデン米大統領は、化学兵器が使用された場合に軍事行動で対応するかと問われ、「対応する」と答えている。化学兵器を含む大量破壊兵器の使用は、NATOにとってやはり大きな局面の変化であることが窺われる。その段階になれば、それはもはやウクライナ支援という次元ではなくなるということである。

NATO側によるこうした抑止のメッセージが効果を発揮するか否かは、「厳しい代償」や「深刻な結果」の実効性をロシア側がいかに評価するにかかっており、その警告の信憑性を高めることが米国を筆頭とするNATO側には求められる。

別の観点で考えれば、飛行禁止区域や戦闘機・防空システム供与に対して、ロシア側がしきりにエスカレーションの警告を行うのは、ロシアがそれらを恐れているからだといえる。その意味では、皮肉なことに、「やって欲しくないこと」を明示してくれているようなものである。NATOの介入を恐れているのである。この事実は、NATO側がロシアを抑止し、エスカレーション・コントロールの主導権を十分に確保できる素地があることを示している。

そして、今日の状況から全面核戦争にいたる間には、さまざまな段階(エスカレーション・ラダー)が存在するのであり、戦闘機の供与がそのまま核戦争に直結するわけではない。そうであるかのように装って恐怖を煽るのがロシアの狙いである。抑止の世界では、行動しないか核戦争かの二択ではないのである。米国においてもNATOにおいても、そうした抑止に関する理解は、軍を筆頭に各所に存在しているはずだが、最後に問われるのは、エスカレーションを覚悟したうえで抑止を構築できるかであり、政治指導者、さらには国民の理解が不可欠になる。

抑止手段としての経済制裁?

なお、今回の事態において、米軍関与の可能性が明確に排除された後、かわって抑止ツールとして重視されたのが経済制裁である。これまで経済制裁は、好ましくない行動がなされてしまった後の懲罰として発動されるものという理解が一般的だった。今回は、米国単独でも米欧間でも、そしてG7(主要7カ国)の枠組みにおいても、ロシアによる「さらなる侵攻(further invasion)」がある場合には「甚大な結果と厳しいコスト」を招くというロシアに対する警告がなされてきた。経済制裁発動を示すことで、ロシアによる侵攻を防ぐという抑止のメッセージだった。米ホワイト・ハウスは、新たな造語まで使い、経済制裁を「経済的抑止措置(economic deterrence measures)」だと説明していた。

結果として、経済制裁の脅しは、ロシアのさらなる侵攻を抑止することに失敗したわけだが、その過程では、侵攻に先立って(少なくとも一部の)制裁を発動することで効果が出るという議論が提示されたが、他方で、経済制裁という抑止手段を発動してしまえば、(その後は)抑止ができなくなるという反論もあった。議論が深まる前に侵攻が開始されてしまったともいえるが、今後、経済制裁を抑止としていかに位置づけられるかについてはさらなる検討が求められる。

抑止も無論万能ではない。そしてロシアによるウクライナ侵攻は、それを防ぐという抑止が失敗した姿でもある。ただし、ひとたび侵攻が行われた時点で抑止が全て崩壊するわけでもない。生物化学兵器の使用などの次なるエスカレーションを防ぐのも抑止の役目である。

それでも、実際の侵攻が始まってしまった後では核兵器使用の威嚇への対処がさらに困難になることは否定できない。そのため、核兵器を有する現状変更国家に対峙するにあたっては、最初の行動を抑止することがやはり重要なのである。これも、ロシア・ウクライナ戦争の重要な教訓であろう。