ドイツを変えた「プーチンの戦争」
2022年2月27日、ドイツのオラフ・ショルツ首相が連邦議会の特別会議で画期的な演説を行った。それまでの政策を転換し、ウクライナへの武器供与、ロシアに対する厳しい経済制裁、防衛費の増額、ロシアへのエネルギー依存からの脱却などに踏み切ることを表明したのである。この演説は、ドイツの安全保障政策の劇的な変化を予告するものであり、国際的にも大きな反響を呼んだ。あるいは、衝撃を与えたと言ってもよいかもしれない。
無理もなかろう。2021年12月に発足したショルツ政権――社会民主党(SPD)、緑の党、自由民主党(FDP)の3党連立。各党のシンボルカラーから「信号連合」と呼ばれる――は、ロシアがウクライナ国境付近に軍を集結させるなか、ロシアに対して曖昧で煮え切らない態度をとり、同盟国から不信の目で見られていた。ショルツは、ロシアとドイツを結ぶ海底ガス・パイプライン「ノルド・ストリーム2」の認可停止を渋っていたし、ウクライナへの武器供与も拒んでいた。22年1月26日、ドイツはウクライナに連帯の証として軍用ヘルメット5000個を送ったが、これは逆にウクライナおよび同盟国の失望を招いた。同月末には駐米ドイツ大使エミリー・ハーバーが本国に向けて、合衆国でドイツは「信頼できないパートナーと見なされている」と忠告したし、ラトヴィアの国防相にいたっては、ドイツは「非道徳的で偽善的だ」とまで発言していた1。他方で、インフラテスト・ディマップ社による2月3日時点での世論調査によると、ドイツ人の71%はウクライナへの武器供与に反対し、「ノルド・ストリーム2」の停止に賛成するドイツ人は29%に過ぎなかった2。つまり、ショルツ政権の躊躇は、ドイツ世論を反映していたとも言える。
しかし、「プーチンの戦争」がドイツを変えた。すでに2月22日、ショルツは「劇的に変化した状況」に鑑み、「ノルド・ストリーム2」の認可手続き停止をついに表明した。そして、24日のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、ドイツの動きも加速する。26日にベルリンを訪問したポーランドのマテウシュ・モラヴィエツキ首相が、ドイツは「エゴイズム」から脱却せよとカメラの前で叱咤したことも刺激となった。その日、ショルツは対戦車兵器1000基、携帯型地対空ミサイル「スティンガー」500基をウクライナに供与すると発表した。また、やはりそれまで躊躇っていたロシアのSWIFT排除にも同意した。そして、27日のショルツ演説にいたる。「ほんの数日間でドイツの外交政策が180度転換した」のである3。
ショルツ演説の骨子
ではここで、2月27日のショルツ演説の具体的な中身を確認しよう4。まず印象的なのが、約30分の演説のなかで「時代の転換点(Zeitenwende)」(公式の英訳版ではwatershed)という語が5回も出てくることである。「2022年2月24日は、われわれの大陸の歴史における時代の転換点になりました」という文章で演説は始まる。まさにプーチンの侵略によって時代が変わってしまったのだ。ショルツは言う。「もはや世界は、それ以前の世界とは同じではありません」。「プーチン大統領はウクライナへの侵攻によって新しい現実を創り出したのです」。この「新しい現実」を前にして、「われわれの自由、民主主義、豊かさを守る」ために、「われわれ自身に強さが必要です」とショルツは主張するのである。
このショルツ演説は、ドイツが取り組むべき課題を5つ挙げ、それぞれに対する具体的対応を論じるという構成をとっている。まず第1の課題は、「絶望的な状況にあるウクライナを支援する」ことである。このためにドイツは、紛争当事国に殺傷能力のある武器を供与しないという原則を覆し、ウクライナへの武器供与を決断した。
第2の課題は、プーチンに戦争をやめさせることである。そのためドイツは、ロシアのSWIFT排除などを含む「未曽有の規模の制裁パッケージ」を決定した。ここで注意すべきは、ショルツがあくまでこの戦争を「プーチンの戦争」と呼び、ロシア市民には連帯を呼びかけていることである。「第二次世界大戦後のドイツ人とロシア人との和解は、われわれ共通の歴史の重要な一章であり続けます」とショルツは強調している。
第3の課題は、プーチンの戦争が他のヨーロッパ諸国に波及するのを防ぐことである。ここで求められるのはNATOの結束であり、そのためにドイツはNATOの東方、すなわちリトアニアやルーマニアやスロヴァキアでの防衛強化へのいっそうの貢献に努めるとされる。
第4の課題は、ヨーロッパの平和を守り、「われわれの自由と民主主義を守る」ことである。それには連邦軍の強化が必要であり、そのためにショルツは、2022年に1000億ユーロの特別基金を計上し、さらに「今後毎年、GDPの2%以上を防衛費として投じる」とした。ここでのポイントは、こうした措置が、同盟国に言われたからというだけでなく、「われわれのため、われわれ自身の安全保障のため」に必要だと説明されたことである。
またショルツは、NATOの核共有のため、老朽化した「トーネード」の後継として、ステルス戦闘機F-35の購入も視野に入れると述べた(実際、これを受けて3月14日にクリスティーネ・ランブレヒト国防相がF-35を調達すると表明している)。
さらに、ロシアに依存しない、安全なエネルギー供給の確保も強調された。「将来を見通したエネルギー政策は、われわれの経済や気候にとって決定的なだけでなく、われわれの安全保障にとっても決定的に重要なのです」とショルツは主張する。そのために、たとえばガス備蓄の拡大や、LNG基地2つの新設が約されている。
第5の課題としては、引き続き可能な限り外交での問題解決を追求することが挙げられる。もちろん、現在のロシア側に対話の姿勢は欠けている。しかし、ドイツとしては、あくまでロシアとの対話は拒まず、「この極限状況でも対話のチャネルを開けておくことが外交の使命です」とショルツは述べている。
こうして5つの課題を説明したショルツは、最後にドイツの歴史的な責任について強調する。「われわれ自身の歴史に鑑みても、われわれが何に責任を負うのかは明らかです。われわれはヨーロッパの平和に責任を負っています」と。
主要政党・政治家の賛同
このショルツの衝撃的な演説の後、連邦議会は一種異様な雰囲気で進んだ5。自党の選挙公約で「防衛費GDP2%」に反対し、ウクライナへの武器供与にも反対していた緑の党のアンナレーナ・ベアボック外相も、次のように述べて路線転換を正当化した。「このプーチンによる国際法違反の侵略戦争を経て、われわれの世界はいまや別のものになってしまった。...われわれの世界が別のものになったのならば、われわれの政策もまた、別のものにならねばならない」6。財務相でありFDP党首のクリスティアン・リントナーは、ロシアへの経済制裁がドイツ経済に打撃を与えるとしても、それは「自由に伴う代償(Preis der Freiheit)」だと言い切った7。SPDの連邦議会院内総務であり、平和主義者で知られるロルフ・ミュッツェニヒも防衛費GDP2%に賛成した。緑の党のロベルト・ハベック経済相は、「無条件の平和主義という立場」について、「わたしは尊重するけれども、それは間違っていると考える」と発言した8。
首相の決断と世論の支持
2月26日から27日にかけての政策転換について、ショルツ首相は、首相府長官や政府報道官ら4人の側近との協議を経たうえで、ほぼ独りで決断していったようだ9。閣議もなく、個別の案件について担当閣僚に電話で承諾を得る程度であった。また、27日の演説内容についても、連立相手はおろか、自党SPDの閣僚にも、ほとんど事前に知らせていなかったという10。
とはいえ現在のところ、最大野党のキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)を含む主要政党も世論も、ショルツ首相の決断を概ね支持している。連立与党内で反対しているのは、SPD内の左派や、緑の党の青年部くらいである。また、連邦議会翌日の28日の世論調査(Forsa社調べ)では、ウクライナへの武器供与について「正しい」と答えたドイツ人が78%(「正しくない」は16%)。同じく、防衛支出の即時増額に賛成するドイツ人も78%であった11。わずか数週間で世論も逆転したのである。
本当にドイツは変わるのか
かかるドイツの変化を目の前にして、内外の識者は次々に驚きを表明した。高級週刊紙『ツァイト』の編集者は、ドイツの外交・安全保障政策の「青春時代ないし未成年期は終わった」と評した12。米ジョンズ・ホプキンス大学の現代ドイツ研究所(AICGS)の所長は「プーチンは意図せずしてドイツに革命を起こした」と表現した13。ドイツ・マーシャル財団(GMF)の著者たちは「いま世界が目撃しているのは、自由民主主義的な諸価値を守るためには軍事力を行使することを厭わない、第6のドイツの誕生である」と述べた(歴史家のフリッツ・スターンが言う「5つのドイツ」、すなわちヴァイマル共和国、ナチ体制、西ドイツ、東ドイツ、統一ドイツに次ぐ「新しいドイツ」の誕生ということ)14。
とはいえ、本当にこの「革命」は完遂され、「新しいドイツ」が誕生するのだろうか。実のところ、ドイツの外交・安全保障政策が実際にどのくらい転換するかは、いまだ不透明である。安全保障を専門とするゾフィア・ベッシュとザーラ・ブロックマイアーは、ドイツの安全保障政策の転換が貫徹されるには、連邦政府および議会が次の4つの課題をクリアする必要があると述べている。第1に、新しい時代に適合した、長期的な視野をもった新しい戦略を策定すること。第2に、増額する防衛費を有効かつ効率的に使うため、関連する(悪名高き)官僚制度を改革すること。第3に、外交・安保・防衛政策の決定過程を改善するため、ドイツ版「国家安全保障会議(NSC)」を創出すること(実際、今回もたとえばSWIFT排除をめぐって首相と外相と財務相は相矛盾したことを述べており、意思統一は重要な課題である)。第4に、そうした転換の必要性を世論に説明し、広範な理解を得ておくこと15。とくに第4の課題は重要だろう。いまは非道な戦争に対する憤慨により、安保政策の転換について広範なコンセンサスがあるものの、世論はうつろいやすい。たとえばロシアに対する経済制裁がドイツ国民にも大きな「痛み」をもたらしたとき、その「痛み」に耐えうる論理が必要となろう。
さらにショルツ首相は、「信号連合」という、志向の異なる3つの政党の連立を維持しながら、自らの演説を行動に移していく必要がある。そもそも此度の安全保障政策の転換をめぐっては、連立3党はそれぞれ、自党のアイデンティティに反する決定を受け入れる必要があったし、これからもある。SPDは、もともとロシアとの経済交流を通した和解を重視してきた政党だし、平和主義的傾向も強い。緑の党も、そもそも平和運動に源流をもつ政党である。さらにFDPは緊縮財政を重視してきた政党である。各党のリーダーたちが、予想されうる自党内の異論をどこまで抑え込めるのかはわからない。
本当にドイツは変わっていくのか。戦争の帰趨はもちろん、政府、議会、各党、世論の動向に今後も注目が必要である。