1. 半導体をめぐる米中紛争
半導体をめぐる通商・産業政策が安全保障上の課題であるとの認識は、もはや常識になっている。グローバル市場で半導体の最終需要に占める軍需は、全体の2%相当の政府需要のまた一部でしかないが、その軍事的重要性は疑うべくもない。例えば目下のウクライナ戦争において、米国国家情報長官室は、西側の経済制裁による半導体不足や、第三国経由で規制を潜脱した西側半導体の調達が、それぞれロシアの戦闘能力に影響していることを明らかにしている1。
こうした足元の兵器の性能を超えて、半導体技術の優劣はより大きな戦略的意義を有する。それはAIのもたらす軍事的優位である。AIは、大量のデータを人間の肉体的・精神的限界を超えて揺らぎなく処理することにより、現場指揮官の意思決定を支援できる。他方、AIで敵国に劣れば、ドローンなどの敵国のAI制御による攻撃に対抗することは困難となる。特に米国にとっては、今後10年以内に軍でのAI採用を加速させなければ、潜在的な敵国である中国を含め、他国に対する軍事的優位は失われる、という2。
豪州戦略政策研究所によれば、中国は「AI、計算及び通信(Artificial Intelligence, Computing and Communications)」部門10項目のうち、AIアルゴリズム及びハードウェア・アクセラレータ、そして先端高周波通信(5G等)など7項目において世界をリードしており、3項目でトップの米国を凌ぐ結果となった3。AIの重要性に鑑み、このようなリードを許すことは、米国の安全保障を脅かすことに他ならない。
しかし、米国自身はAIシステムに要する5nm〜7nmプロセスのチップ製造を台湾に依存し、また、半導体の組立、テスト、パッケージング(OSAT)といった後工程も台湾、中国、シンガポールに依存している。こうした半導体製造工程の重要部分のオフショアリングもまた、偽造デバイスの混入、及び自然災害や地政学的紛争による遠隔地のサプライチェーンの混乱など、安全保障上のリスクとなる、という4。
これらを踏まえ、米国はこの2年間で2つの措置を講じた。ひとつは2022年10月の対中半導体輸出規制強化である。今回は輸出管理規則(EAR)の改定によって、AI及びスーパーコンピュータ向けの高性能(HPC)半導体(演算能力4800TOPS・メモリ帯域幅600ギガバイト/秒以上)及びその設計用ソフトウエア、また対象HPC半導体を搭載したコンピュータ、及び半導体製造装置等の規制に乗り出した5。また2023年10月には製造装置の対象範囲を拡大した6。この措置によって、中国は先端チップの入手及び先端チップの製造能力の発展を妨げられる7。規制は先端チップの製造工程や製造技術・材料等の供給に広範に及ぶので、その生産・開発には中国はこの全工程の国産化を余儀なくされる8。この措置にはオランダと共に日本も協調しており、日本は2023年5月にいわゆる貨物等省令を改正して、洗浄やエッチング等に用いる半導体製造装置の輸出管理を強化した9。
他方、米国内の先端チップ製造能力強化については、2022年8月に成立したCHIPS & Science法(以下、「CHIPS法」という。)10によって、先に施行されているCHIPS for America法11の実施予算総額527億ドルが交付され、その第一弾の助成公募(半導体製造施設に関する投資)が2023年3月に開始、その後6月(半導体製造装置・素材に関する3億ドル以上の投資)、そして10月(同3億ドル未満)の都合3回に分けて募集が行われた。こうした資金的支援を見込んで半導体産業の国内投資が増大し、リショアリングが進んでいることが確認されている12。
2. 変容する安全保障の時間的枠組み
こうした対応の意図を、サリバン安全保障担当補佐官は、先端ロジック及びメモリー半導体において、米国は中国に「可能な限り大きなリードを維持する(maintain as large of a lead as possible)」13ことにあると説明する。そこから窺えることは、半導体をめぐる安全保障は何らかの緊急事態に直面した短期の対応ではなく、ある程度長い時間的枠組みを想定した戦略的意図である。半導体の製造工程は、設計、それぞれが細分化された製造の前工程・後工程、更に各段階で使用される装置や部材等の製造と、非常に複雑な国際分業とサプライチェーン構築が進んでいる。こうした工程の全てとは言わずとも基幹部分のリショアリングだけでも、長期間を要することは想像に難くない。
Heath (2020) は、安全保障の性質が近年変容していることを、いくつかの要因から説明するが、その中に脅威の一時性(temporality)を挙げている14。つまり、昨今の安全保障上の脅威とは、一時的かつ具体的な脅威や眼前に迫る敵を除去することで危機が回避できる性質のものではなく、拡散的で恒久的であることを指摘する。具体的紛争を伴わない米中対立のリスクはこの種のものと言え、上記の米国の対応もこれに即応していることを窺わせる。
安全保障、特に経済安全保障とその対応策の時間軸については、Pinchis-Paulsen (2023)が以下のようなより詳細な整理枠組みを提示している15。
短期:既存の市場を変更しない、既知の脅威に対する緊急かつ一時的な対応。 | 長期:備えと不測の事態の可能性。下記の対応は、政府が市場構造を所与のものと考えていないことを示唆。 |
短期1:再武装 武器、弾薬、軍需品などの「核心的な」軍事利益に関連する貿易制限。 |
長期1:自給自足 国内経済の回復力を高めるための貿易制限。 長期1A:国内生産能力の向上(対内) 長期1B:貿易の多様化; 複数の供給源(対外) |
短期2:不安定供給 重大な供給不足の問題に対処するための一時的な回避策を必要とする緊急事態に関連する貿易制限。 |
長期2:市場の破壊と再形成 経済的敵対勢力の弱体化/減速、あるいは国家(またはその企業)による重要物資の設計、生産、流通、取引の支配を防ぐための貿易制限。 長期2の措置は、グローバル市場を破壊し、構造化することを目的としており、市場構造やサプライチェーンを再構築するために、長期1や短期2の措置に関与できる将来的な計画を必要とする。 |
出典:Pinchis-Paulsen (2023) pp.45-46を翻訳・一部修正
個々の項目について詳述は割愛するが、米国のCHIPS法は「長期1A」、輸出制限は「長期2」に属する。つまり、CHIPS法は米国内の半導体生産能力を補助金によって促進する制度であり、また輸出制限は中国の半導体製造・AIにおける技術的優位を抑止するための制度である。更にCHIPS法は、補助金交付の要件に受領者による対中投資の制限(いわゆるガードレール条項16)を含んでいることから、「長期2」の側面も有する。また、チップ4の結成や昨年5月の日米商務・産業パートナーシップ(JUCIP)閣僚級会合における半導体協力基本原則の締結など、米国は併せて「長期1B」に相当する措置も講じている。
他方で特にトランプ政権以後、米中関係がある種の緊張を孕んでいることは事実だが、「短期1」が前提とするような危機は米中間に見当たらない。昨年11月のAPECサミットでは1年半ぶりに米中首脳会談が開催されており、関係改善に向けた友好的なムードさえ演出されている。
3. WTOはこの現実に対処できるか
既に中国は米国の輸出制限をWTO紛争解決手続に付託している。米国の制度は輸出の許可・制限に該当することから、GATT11条1項に適合しない可能性は高い。同項の「数量制限(quantitative restriction)」とは、輸出入のフローに制限的効果を与える措置であればこれに該当し、必ずしも強制的である必要もないからだ17。
その意味において、本件紛争では安全保障例外(GATT21条)の適用が争点となる。本件で適用可能性があるとすれば、既にパネルによる解釈・適用の実績がある同条(b)(iii)あるいは同(ii)のどちらかということになろう。残余の条文は適用される局面がより限定的で、米中半導体紛争はこれに該当しない。
このうち(b)(iii)については、ロシア・貨物通貨事件及び一連の後続事案のパネルによって、「戦時」と並置される「国際関係の緊急時」を、実際または潜在的な武力紛争を想定し、主に防衛・軍事上の関心に係る事態を意味する、と解釈されている18。これに対して米国・香港原産表示事件は「国際関係の緊急時」は軍事・防衛上の問題に限定されないが、それでも国家間関係の破綻に至るような深刻な事態を意味するものと解釈した19。上記のように米中にこうした具体的な危機は存在しておらず、危機的事態と措置の同時性が求められる(b)(iii)の援用は困難であろう。
もうひとつの可能性は、当該措置を(b)(ii)の「軍事施設に供給するため直接又は間接に行なわれるその他の貨物及び原料の取引」に関する措置として正当化することである。確かに対象物資は「その他の貨物及び原料」なので極めて広く、対象取引も「直接又は間接」の双方を含むことから、民間で半導体を搭載した製品(コンピュータ)を軍に納入するような取引も含まれる。Pinchis-Paulsen (2023)は、(b)(ii)の文言は安全保障上の懸念に関する長期的計画を考慮して意図的に曖昧にされていると説明し20、本稿で取り上げたような措置にも同項が適用できる可能性を示唆する。
しかし起草過程では「軍事施設(military establishment)」の定義が明確にされておらず21、その範囲はむしろ狭く武力組織そのものを意味すると解せる22。また、文言は取引の目的を軍事施設に供給する「ため(for the purpose of)」と限定していることから、ただ単に軍による利用可能性があるというだけで物品のあらゆる取引を規制する措置まで正当化するものではない。そのように解釈しないと、米国のアルミ・鉄鋼製品に対する通商拡大法232条関税のような保護主義的な措置も含めて、おおよそいかなる通商制限も正当化され、実質的にGATTの原則が意味を失ってしまう。
また、具体的紛争に発展していないものの、CHIPS法もWTO協定抵触の可能性は否定できない。例えばCHIPS法の補助金が他の加盟国の半導体産業または半導体輸出に悪影響を与える場合、補助金及び相殺措置に関する協定(SCM協定)5条・6条違反の可能性はある。安全保障を目的とした長期的視点に立つ産業政策である同法プログラムのGATT21条適合性については、やはり上記で輸出制限について指摘したのと同様の問題点が指摘できる23。
4. 求められる安全保障の再定義
パンデミック、気候変動、人権、経済など、従来の軍事・防衛以外の多様な政策課題が安全保障化(securitization)する昨今、安全保障の意味や性質は変化しつつある。本稿で論じた米中半導体摩擦はその顕著な一例であり、時間的枠組みの変化もそうした変容の一側面と言える。
GATT21条は1946年に起草され、「鉄のカーテン」演説当時の安全保障観を反映するもので、激変する現代の安全保障環境をそこに投影すること自体に無理がある。司法積極主義批判に端を発する昨今の上級委員会危機を踏まえると、この条文の解釈・適用によって安全保障の意味内容を規定する責務を紛争解決手続に負わせることは、リスクが大きい。その意味では明らかに安全保障例外は改正を必要としているが、昨今の米中対立やウクライナ情勢を踏まえると、合意形成は非現実的だ。
しかしそれでも安全保障観をめぐる共通理解の醸成は必要だ。既存のWTO理事会・委員会によって最低限何らかの多国間監視を確保するとともに、その中で慣行の集積から安全保障目的の通商措置の範囲について緩やかな共通理解の形成を目指すべきだろう。例えば本稿で検討したような予防的な考慮に基づく時間枠組みの変化については、パンデミックや気候変動などを勘案すれば、比較的共通理解は得られやすい側面ではないだろうか。