1. 活発化する中国の調停外交
調停外交(仲介外交)とは、武力あるいは法的手法ではなく外交手段を用いて、当事者の同意のもと、部外者の力を通じて衝突を管理するプロセスである1。スイスやドイツなどの西欧諸国にとって調停外交は馴染み深い外交手段であるが、近年の新興大国も調停外交を利用し、国際的なプレゼンスを高めようとしている2。
21世紀に入り、中国も国際舞台での発言力と影響力を高めるツールとして、調停外交に力を入れ始めている。調停外交のケースとして、中国は多国間の調停外交がすでに動き出しておりかつ国際的に注目度が高い問題を選ぶことが多く、また一帯一路沿線国の問題に特に関心を寄せているという3。
ミャンマーのパンロン会議やロヒンギャ問題をめぐる調停はいずれも継続中でありながら、中国自身の社会安定や一帯一路の行方を左右する重要な事例となる。本稿はミャンマー紛争問題における中国の調停外交を通じてその特徴を明らかにする。
2. ミャンマー:パンロン会議とロヒンギャ問題
ミャンマーの平和プロセスにおいて、多くの国が調停外交に尽力している。2013年にミャンマー国民和解担当日本政府代表に就任した日本財団会長の笹川陽平は100回以上もミャンマーに足を運び4、日本政府も経済協力、資金援助、人材育成などを通じてミャンマーの民主化を支援してきた。
中国も2013年ごろからミャンマーでの調停外交に乗り出した。2011年6月から、国軍とカチン州の反政府組織カチン独立機構(KIO)との戦闘がエスカレートするようになり、テイン・セイン政府の主導する平和プロセスが動きだした後も中国の国境に近いミャンマー北東部での武力衝突は断続的に続いていたからである。
2.1 パンロン平和会議とパンロン協定
2015年に停戦合意文書が調印されたことでタイとミャンマーの国境地域は平和を取り戻しつつあったが、中国とミャンマー国境地域での衝突は途絶えることなく、むしろ激しくなる傾向にあった。
ミャンマー北部の衝突の解決を促進するために、中国主催のパンロン(Panlong)平和会議が2016年8月31日から9月4日にかけて開催された。しかし武装解除を求めるミャンマー政府と自治を求める少数民族勢力との隔たりは大きく、2016年10月以降、北部同盟5とミャンマー国軍との武力衝突がむしろ激しくなった。
2017年3月に衝突を逃れようと多くの難民が中国に流入した。こうしたなか、2017年5月24日から29日にかけて、中国は第2回パンロン平和会議を主催し、少数民族勢力に停戦協定を結ぶよう促した6。第2回の会議に先立ち、アジア問題特使である孫国祥が北部同盟の代表と昆明で会談した。こうした努力が実り、北部同盟の代表もパンロン平和会議に参加し、参加者の間でパンロン協定が調印された。しかしながらパンロン協定は衝突を防ぐうえで大きな前進をもたらすことはできず、会議後も紛争が続いた。
そして2018年7月11日に、第3回パンロン平和会議がネピドーで開催された7。この会議においては紛争解決につながる合意に達することすらできなかた。その後、北部同盟と政府の間で交渉はクーデター直前まで続けられていた8が、衝突はいまなお続いている。
2021年2月1日、ミャンマー国軍はアウンサンスーチー国家顧問が率いる政権を覆すクーデターを実施し、政権を掌握した。クーデター以降、2021年9月に国民統一政府(National Unity Government: NUG)が設立され、カチン州の政治家であるDuwa Lashi Laが大統領代理となり、国軍に対して全面戦争を宣言した。また国軍に反発する一部の民主派は少数民族武装勢力と共闘し、各地でゲリラ戦を展開している9。
こうしたなか、中国は国軍トップが率いる政府との関係強化を図りながらも、アウンサンスーチー前国家顧問や少数民族武装勢力との関係をも維持しようとしている。そして、中国はミャンマー問題に関する東南アジア諸国連合(ASEAN)の5つの主張を支持しつつ、外部による不当介入に反対する立場を表明した10。
こうした行動原理に基づき、2021年7月に、中国政府はカチン独立軍 (Kachin Independence Army: KIA)に1万回分のワクチンを提供し、また同月にミャンマー政府にも73.6万回分のワクチンを提供した11。2021年8月21日から28日にかけて、アジア問題特使の孫国祥がミャンマーを訪問し、国軍トップであるミン・アウン・フライン(Min Aung Hlaing)と会談した。その際に、孫国祥はアウンサンスーチーとの面会を求めたが断られた12。ミャンマー滞在中に、孫国祥は国軍と抗戦している一部の少数民族武装勢力との話し合いも持ったが、北部同盟のなかの4つの組織が国軍との交渉を拒んでいるという13。
2.2 ロヒンギャ問題
2017年8月下旬、ミャンマーの治安部隊がロヒンギャの武装集団に対する掃討作戦を実施し、60万人以上のロヒンギャ人が隣国のバングラデシュに逃れた14。
このロヒンギャ危機が発生する前から、中国はロヒンギャ問題をめぐる調停外交を展開していた。2017年4月24日から27日に孫国祥がバングラデシュを訪れた際に仲介を申し出たのである15。
2017年11月に中国政府は「停戦、帰還、発展(止暴、遣返、発展)」の三段階構想を打ち出した16。王毅外相はバングラデシュとミャンマーを訪問し、その成果として11月23日にミャンマーとバングラデシュの両国は難民を速やかに帰還させる方針で合意した。そして2018年1月16日に、両国政府はさらに2年以内に帰還を完了させることで合意した17。
中国の調停外交は目に見える成果を生み出していないが、その後も努力は続けられた。2021年1月19日に、ロヒンギャ難民問題をめぐり、羅照輝外交部副部長がバングラデシュ、ミャンマーとの三者オンライン会議を主催した。王毅がその前の週(2021年1月)にミャンマーを訪問した際に提案した難民帰還に関する試験的な取り組みを実現するためのオンライン会議であるが、中国は「まず試しに実行する(先行先試)」政策を強く主張し、早期に最初の帰還を実現しようとした。そして、参加国は三者会議の持続的な開催、貧困撲滅、コロナ対策、ロヒンギャ問題を国際化させない、政治問題化させないことについて合意したという18。
3. 中国の調停外交の変化と特徴
21世紀に入り、中国は調停外交を積極的に行っている。中国にしてみれば、アジアにおける中国の調停外交は大国としての中国のプレゼンスを高め、また中国の周辺環境の安定化を図り、一帯一路構想を推進する上で重要な役割を果たせる。こうしたことから、中国は積極的に紛争のホットイシューに関与している。
ミャンマーの国内紛争に多くの国が積極的な外交展開を見せており、調停外交を行っている。調停外交に関しては、スイスやノルウェーの調停外交で見られるいわゆる「補助・促進型のアプローチ(facilitative approach)」と、アメリカやロシアの調停外交に多く見られるような「命令型のアプローチ(directive approach)」がある19とするならば、現段階の中国の調停外交はその中間にあるといえる。調停外交が停戦や平和に結びつけるように、中国はワクチンなどの経済援助をテコにしている。こうした外交努力により中国は紛争当事者へのアクセスという貴重な政治資源を手にしている。他方において、ロヒンギャ問題に際する中国の調停外交の在り方などでも明らかとなるように、西側先進国との理念と価値観の違いから、中国の調停外交は国際的な評価には必ずしもつながるとは限らない。
以上