『日本と中国』解題

川島真・東京大学教授

 『日本と中国』は、日本中国友好協会(以下、日中友好協会)の会報である。1950年2月9日に第一号が刊行され、現在まで発行されている。その時々の中国情勢、日中関係に関わる事象について報道し、また時には日中友好協会としての見方、立場を示し、そして同協会の地方支部の活動を伝えるなど、会員相互の連絡機能も果たしていたと考えられる。無論、日中友好協会としての立場が反映された記事が少なくないが、寄稿原稿などもあり、それぞれの時期の日本の言論の一端を垣間見ることができるし、これまであまり注目されてこなかったテキストや歴史的事実も多分に含まれていると考えられる。

周知の通り、日中友好協会は1966年以降、分裂状態にある。この分裂は、ベトナム戦争や中ソ対立の激化を背景に、日本共産党と中国共産党との関係が悪化したことを受けて生じたものである。中国共産党と距離を取ることにした日本共産党の系統に属する日中友好協会は、『日中友好新聞』を発行し続けた。中国共産党と日本共産党との関係改善を受けて、1990年代後半にはこの協会も中国共産党との関係を修復した。

 他方、1966年に中国との交流を重視し、日本共産党と距離を取ることにした系統に属する日中友好協会は、「日中友好協会(正統)」を名乗った。この組織は、会報である『日本と中国』を刊行し続けた。この日中友好協会の「分裂」について『日本と中国』は、「10月25日の日中友好協会常任理事会で、私たちは、この共同声明の承認を拒否したひとにぎりの非友好常任理事ときっぱり手を切りました」(『週刊 日本と中国』復刊第一号、日本中国友好協会(正統本部)、1966年11月21日)などと伝えている。

 このデータベースは、1950年2月20日の第1号から1975年12月15日の復刊第433号までを採録している。日本の対中感情が極めて悪化し、八割以上が中国に「親しみ」を感じない状態にある現在、八割近くの人々が中国に「親しみ」を感じていた時代のことはもはや歴史である。ましてや、戦後初期から日本と中華人民共和国との関係の進展を望んだ人々の動機や活動に至っては、現在の、とりわけ若い世代からはなかなか想像し難い。この『日本と中国』という史料は、果たして「日中友好運動」とはどのようなものであったのか、ということを理解する上での基本史料だと言えるだろう。

 ただ、この史料を歴史研究で使用する場合には留意が必要だ。どの史料にも言えることだが、史料には限定性がある。この史料に記されていることは、基本的に日中友好協会という特定の組織の立場に基づく。また、日中友好運動も多様で、この組織が全てということでもない。ただ、これらの限定性を踏まえても、この史料がこのようにデジタル化された意味は大きい。「日中友好運動」という現代史の一側面を理解する手がかりを、この四半世紀分の史料が与えてくれるであろう。

【2023年10月】

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