『日中文化交流』解題

川島真・東京大学教授

 『日中文化交流』は、1956年3月に成立した日本中国文化交流協会(以下、日中文化交流協会)の会報(月刊)であり、創刊号は1956年9月1日に刊行された。日中文化交流協会は、文化関係者による日中友好団体で、初代会長は日本社会党委員長を務めた片山哲元総理であった。国交がない状態の中で、日中文化交流協会は、中国人民対外文化協会との間で「日中文化交流協会に関する申合せ」を締結し、それに基づいて交流を実施していった。

 創刊号の巻頭言が女優の乙羽信子による「中国の印象」であったように、「文化」の範囲は幅広く、書道や絵画、文学などから、伝統芸能、演劇、映画、学術、そしてメディアや芸能界、スポーツ、宗教もそこに含まれていた。『日中文化交流』は、巻頭に日中双方の各界を代表する人物による巻頭言が掲載され、様々な交流イベントの計画や結果、交流日誌、また様々なエッセイや論説も掲載されている。書き手には倉石武四郎や藤堂明保、西順蔵、あるいは井上清のような研究者から宇都宮徳馬、西園寺公一などに及び、中国側の書き手には郭沫若、巴金の名も見える。その論調は、文化大革命期にそれを基本的に支持したように、中国に「寄り添う」ことを基調としている。興味深いのは、創刊号が6頁だったものが、1961年6月30日の50号には16頁となり、1966年1月1日の100号が28頁となったように、文化交流活動の進展に伴って分量が増加していることである。

 このデータベースは、1956年9月1日に刊行された創刊号から1972年12月1日の188号までを採録している。これまで日中国交正常化以前の日中関係については、政治や経済を中心に論じられてきたが、文化大革命の時期にあっても文化交流は一定の制限下で継続していた。この『日中文化交流』は、この時代の「日中友好運動」の多様性や広がりを知る上でも重要な史料であろう。

【2023年10月】

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