領土・歴史センター

北九州市における対中交流の歴史と現在
大連市との友好都市関係の足跡をたどって

2024-08-29
早田寛(日本国際問題研究所若手特任研究員)
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「日中関係」というともっぱら両国政府間の政治的関係が想起されがちである。しかし、現実には企業を中心とした経済関係、また文化交流など、日中関係は多様である。ゆえに、日中関係は様々な分野、アクターからなる関係の束として理解するのが妥当であろう。その一端を担っているのが、地方自治体間の交流である。本稿は、自治体間の日中交流の事例として福岡県北九州市と遼寧省大連市との関係を検討することで、地方自治体の視点から日中関係の再検討を試みる。

北九州市は日中国交回復後の最初期にあたる1979年に大連市と友好都市提携を締結し、今年で友好関係45周年を迎えた。友好都市、姉妹都市関係制度は、その存在こそ多くの人々に認識されているものの、その内実や、国家間関係に与える影響は往々にしてほとんど意識されない。しかし本稿で検討するように、北九州市と大連市の友好都市関係は、環境問題をはじめ様々な領域で実務的な協力関係を形成してきた。そしてその背景には、北九州市が歴史的に培ってきた中国との関係がある。本稿では、北九州市の対中交流の歴史を振り返るとともに、それが現在に至る大連市との友好都市関係にいかに引き継がれてきたかを論じたい。

安川敬一郎と孫文----対中交流のはじまり

北九州の対中交流の起源は、友好都市締結の半世紀以上前、1910年代にまで遡る。北九州と中国の関係を語る上で、明治時代を代表する実業家・安川敬一郎の存在は欠かせない。

北九州地域における炭鉱経営で財を成した安川は、その豊富な資金力で、日本亡命中の孫文を経済面で支援したことで知られている。1913年3月に九州を訪れた孫文は、同月16日に安川が創設した明治専門学校(現在の九州工業大学)にて講演を行い、同日安川の邸宅に宿泊した。その際、孫文は「世界平和」の扁額を揮毫し、安川に寄贈した。旧安川邸の大座敷には2024年現在、この扁額の複製が掛けられている。また、孫文の安川邸訪問から110年を迎えた2023年11月には、彫刻家でもある呉為山中国美術館館長が制作した孫文像が旧安川邸に寄贈された。旧安川邸に立つ孫文像は、安川と孫文の関係が戦後の北九州の対中交流へと継承されてきたことを物語っている。

なお、安川は1915年に電気用品メーカーの安川電機を創業しているが、後に見る通り、この安川電機が戦後の北九州における対中交流において大きな役割を果たすこととなる。

孫文揮毫の書「世界平和」(旧安川邸にて展示。複製)(筆者撮影)

中国より旧安川邸に寄贈された孫文像(筆者撮影)

姉妹都市提携以前の対中交流

終戦後、1972年に至るまで日本と中華人民共和国との間には国交がなかったものの、北九州では国交回復以前から活発な対中交流が行われ、1960年代にも北九州市1はたびたび中国からの訪日団を受け入れた。国交回復前の北九州市訪問団は、多くの場合、北九州の工業技術に関心を持っていた。新日鉄、岡野バルブ、そして安川電機などの地元企業がたびたび中国の業界団体から構成される訪問団の視察を受け入れた。安川電機には後に国務院副総理、中国共産党上海市委員会書記を歴任する黄菊がかつて研修生として派遣されていたことを、黄が1990年頃に北九州市を訪問した際に自ら明かしている。これは安川電機の対中交流の記憶がのちの中国の中央指導部にも継承されていることを示す好例であろう。

1972年に日中共同声明が調印されると、その翌月に北九州市は市経済局に中国貿易対策室を設置し、対中経済交流への準備をいち早く進めた。その後1970年代を通して中国から多くの訪日団が北九州市を訪問した。1960年代に引き続き業界団体による工場視察が数多く行われたほか、スポーツ、文化面での交流も行われた。たとえば、1974年以降、複数回にわたって中国卓球代表団が北九州を訪問した。1971年の米中ピンポン外交に参加し、後に国際卓球連盟会長も務めた徐寅生も代表団の一員として北九州市を訪れている。一方、北九州市からの訪中団も複数組織され、経済交流、港湾開発などの分野での協力が模索された。

日本の西の玄関口にして日本屈指の工業都市であった北九州市は、日本の対中交流の一大拠点として機能していたと言えよう。

大連市との姉妹都市提携

1979年、北九州市の呼びかけにより、遼寧省旅大市(1981年、大連市に改称)との友好都市提携が締結された。地理的に近接し、産業構造や地理的条件の似通った両市は、様々な分野における協力の可能性を秘めていた。北九州市に対中交流の基礎が形成されていたことは既述の通りであるが、大連市の側も、対日交流のポテンシャルを有していた。その背景には大連市が旧満州最大の港湾都市であり、大連を含む旧満州にゆかりのある日本人が多かったことがある。このような経緯を踏まえて、1984年、中央指導部は大連市を沿海開放都市に指定する政策文書において、「日本からの資金と技術を活用しなければならないという事情(中略)を考慮する」と述べて大連市の開放都市としての重要性を語っている(中共中央文献研究室、2008: 327)。この文言からは、大連が対日交流の拠点であるとの認識は中国の中央指導部にも共有されていたことが読み取れよう。

友好都市提携締結後、両市は企業間交流を推進するとともに、北九州市議会議員や市民による訪中団が大連市を訪問するなど、両市の交流は多岐にわたった。また、両市の友好都市提携の周年記念事業として、建造物の建築、建設が行われた。ここではその代表例を2つ紹介する。

一つは友好都市提携5周年を記念して大連市に建設された北大橋である。北大橋は大連市南東部の渤海海峡に面した海岸沿いに建設されたつり橋で、北九州市と山口県下関市との間に架かる関門橋の技術を活用して建設された。もう一つの例は、友好都市提携15周年事業の一環で北九州市の門司港に建設された国際友好記念図書館(現:大連友好記念館)である。この3階建ての西洋建築は、大連市の「東清鉄道汽船会社事務所」をモデルに造られたもので、大連市で現地生産されたレンガ45,000個を用い、4年半余りの時間をかけて建設された2。これらの建造物は今なお両市の友好関係の象徴として活用されている。

大連友好記念館内に展示された「北大橋」風景画(筆者撮影)

大連友好記念館(筆者撮影)

大連環境モデル地区計画

北九州市と大連市の交流事業として最も規模が大きいのは、環境事業であろう。北九州市は高度経済成長期の1960年代、重化学工業において大きな成果を挙げたが、その副作用として深刻な公害問題に直面した。環境改善を求める市民運動を起点に、北九州市では官民が連携して公害対策に着手し、1980年代までに環境改善において大きな成果を挙げるに至った3

大連市もまた、環境問題に悩まされていた。その深刻さは中央政府にも問題視され、1973年に開催された第1回全国環境保護会議において、大連市は全国環境保護工作重点都市に指定された(大連市史志弁公室編、2003: 9)。こうした状況を受けて、大連市は1980年以降、5年ごとに環境保護の数値目標を設定し、行政主導で環境保護に取り組んだ。

背景を共有する両市は、友好都市提携の締結直後から環境分野での協力を積極的に進めた。1981年には市長の招聘を受けて北九州市環境保護局局長ら3名が大連を訪問し、5日間にわたって環境管理講座を開催した(大連市史志弁公室編、2003: 321-322)。このような交流は、環境問題への対応の経験に乏しい大連市にとって、環境政策のノウハウを得られる絶好の機会であった。1981年の環境管理講座に150人以上もの大連市職員が参加したことも、大連市側の関心の高さを窺わせる。以降、環境改善の実績を有する北九州市が大連市を支援する形で両市の環境協力は推進された。

両市の環境協力の到達点が、大連環境モデル地区計画である。1993年12月、国家科学技術委員会主任の宋健の訪日時に末吉興一北九州市長らが中国側に日本の援助で「大連環境特区」を建設する計画を提案し、宋主任らの賛同を得たことで、北九州市と大連市の共同で大連環境モデル地区プロジェクトが始動した(大連市史志弁公室編、2003: 315)。両市の友好都市関係を基盤とした同プロジェクトは、両市間のみにとどまらず、両国政府も関与する一大プロジェクトへと発展した。1994年に訪日した朱鎔基副総理は、末吉市長と面会し、環境モデル地区を国家プロジェクトに指定する旨を伝達した(大連市史志弁公室編、2003: 323)。日本側も外務省、JICA、北九州市が連携して同プロジェクトの具体化を進め、日中ODA事業として結実するに至った。同プロジェクトでは大気、水質改善や都市緑化、排ガス規制など多岐にわたる環境政策が実行された。その過程では北九州市国際技術協力協会(KITA)が大連市内の企業を視察し、環境にやさしい工業生産の方法についてアドバイスを行った(大連市史志弁公室編、2003: 323)。同プロジェクトの成果は国際的にも注目され、2001年に大連市は中国の都市では初めて、国際的な環境功労者に国連環境計画(UNEP)から贈られる「グローバル500」賞を受賞した4。工場への技術導入などの施策の結果、大連市は工業化や自動車の普及の中でも大気汚染の悪化は抑制され、また工場周辺に暮らす市民が環境改善を実感するに至った5

北九州市と大連市、ひいては日中両国の友好協力の象徴として成果を挙げた同プロジェクトは、中国の中央指導部からの関心が継続的に寄せられていた。2009年に訪日した習近平国家副主席(当時)は北九州市を訪問し、北九州市の環境事業について説明を受けた。副主席の訪問は中国国内のメディアで広く報じられ、環境先進都市としての北九州市の取り組みは日中関係の停滞期にあっても中国国内で高く評価された。なお、習近平は同訪問時、北九州市における日中交流の象徴であるとして、安川電機も視察している。創業者である安川敬一郎と孫文との関係について利島康司安川電機社長が説明すると、習近平は「安川電機創業者と孫文の友好交流の物語はとても感動的で、私たちはこの中日友好の伝統を継承し、発揚しなければならない」と述べている6

2010年代以降、北九州市は大連市との協力の中で培った国際環境協力のノウハウを活かして、東南アジア諸都市での環境事業を拡大している。北九州市は2014年にベトナムのハイフォン、2016年にカンボジアのプノンペンとそれぞれ友好都市関係を締結したほか、2012年にインドネシアのスラバヤ、2017年にはファリピンのダバオとそれぞれ環境姉妹都市提携を締結し、各市で廃棄物処理などの環境分野での協力を推進している。北九州市は今や中国のみにとどまらず、アジア各地で環境分野における大きな貢献を生み出す国際都市となっている。

2009年12月、習近平副主席の北九州市訪問時の様子。
孫文揮毫の「世界平和」扁額が展示されている。
(画像提供:西田幸生氏)

日中関係のなかの北九州市

ここまで、安川敬一郎と孫文との交流に端を発する、大連市を中心とした中国と、北九州市との交流の歴史を見てきた。黄菊の発言、習近平の訪問などからも明らかであるように、安川敬一郎の対中交流は安川電機に継承され、今なお北九州市の対中交流の底流をなしている。北九州市にあった対中交流の基礎は、大連市との友好都市提携の形で具現化し、さらには日中両国政府の協力の下、国際的にも高い評価を受けた大連環境モデル地区プロジェクトへと昇華した。そして友好都市提携締結45周年を迎えた今年も、大連市長が北九州市を訪問するなど、両市の交流は継続している。

日中関係は常に様々な課題を抱えており、ゆえに日中交流には時に種々の障害が生じうる。しかし、地方自治体間交流は、日中交流の中でも政治的影響を比較的受けにくい領域であるといえよう。とりわけ、北九州市と大連市の間で展開された環境協力は、現実の課題を共有する自治体どうしの友好協力が成功した事例である。また、自治体間の交流でありながらも両国政府を巻き込んだ大規模プロジェクトへと展開したことに鑑みれば、両市の交流は両市間のみに閉じたものではなく、日中関係の一端を担うものであったと言っても差し支えないだろう。北九州市の対中交流は、地方自治体もまた国際関係を構成するアクターであることを雄弁に物語っている。孫文以来の伝統を有する北九州市が、今後も大連市をはじめとした対中交流の拠点都市として、日中関係の維持、発展に貢献することを期待したい。

(謝辞)

本稿の執筆にあたっては、西田幸生・北九州市前副市長、袴着淳一・北九州市特命大使、下野寿子・北九州市立大学外国語学部教授、髙本奈津子・北九州市政策局国際政策課国際交流担当係長、ならびに北九州市立文書館の皆様から多大なるご協力を得た。記して感謝申し上げる。

【参考文献】

(中国語)

大連市史志弁公室編『大連市志 環境保護志』、大連理工大学出版社、2003年。

中共中央文献研究室編『改革開放三十年重要文献選編(上)』、中央文献出版社、2008年。




1 1963年2月、門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の5市合併によって現在の北九州市が発足した。
2 「大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)」門司港レトロwebサイト(https://mojiko-retoro9.jp/spot/dalian_friendship_memorial_hall/ 2024年8月15日閲覧)
3 北九州市の公害対策については、北九州市役所webサイト「公害克服への取り組み」(https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/file_0269.html)を参照されたい(2024年8月19日閲覧)。
4 北九州市は1990年、日本の地方自治体として初めて同賞を受賞している。
5 「環境モデル都市事業(大連)(1)(2)」独立行政法人国際協力機構(JICA)webサイト(https://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/2011_CXXI-P114_4_f.pdf、2024年8月22日閲覧)
6 「他山之石 可以攻玉--習近平参観考察日本北九州市」中華人民共和国中央人民政府webサイト(https://www.gov.cn/ldhd/2009-12/17/content_1489265.htm、2024年8月19日閲覧)