明治37(1904)年隠岐の井口・永海組が販売した竹島のアシカの肉から作られた肥料について
-出雲地域での利用が初めて判明-
2023年1月24日
公益財団法人日本国際問題研究所
公益財団法人日本国際問題研究所では、領土・主権・歴史の分野において、平成29(2017)年以来、調査研究・対外発信事業を実施しており、①わが国の領土・主権・歴史に関する国内外の資料の収集・整理・対外発信等、②同分野に関する国内外での公開シンポジウムの実施、及び③同分野に関する調査研究の実施等の事業を展開しています。
平成30(2018)年度からは、明治38(1905)年竹島の島根県編入前後における竹島での漁業の実態を明らかにするため、島根県隠岐地方を中心に、山陰地方において竹島関係の史料調査、聞き取り調査を、舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)・島根大学法文学部准教授、升田優(ますだ ゆう)・島根県竹島問題研究顧問に依頼して実施しています。
令和3(2021)年度からは、出雲市など島根県東部でも調査を始めました。その結果、明治37(1904)年の島根県の記録にみられる、竹島のアシカの肉からつくられた肥料が、隠岐の島町の井口龍太・永海寛市組から出雲市大社町の染物業者(紺屋)に販売され、大社町の砂丘など砂地で栽培されていた葉藍(はあい)の栽培に使用された可能性が高いことが新たに判明しました。竹島のアシカの肉(肥料)の具体的な用途について明らかとなったのは、明治44(1911)年隠岐の島町の竹島漁猟合資会社から、鳥取県境港市の肥料商に販売され、弓浜半島の木綿(伯州綿)の原料となる綿作に使用された可能性が高いことに続くものです。また、竹島のアシカ漁業には、島根県隠岐地方だけでなく、島根県東部の出雲市の事業者も関係していたことが初めて明らかとなりました。さらに、わが国が明治38(1905)年竹島を島根県へ編入する以前に、日本人が竹島で経済活動を営んでいたことを示しており、竹島はわが国固有の領土であることをさらに補強するものとして貴重な成果であるといえます。
その概略は別紙の通りです。別紙については、調査者の個人的見解であり、日本国際問題研究所の見解を代表するものではありません。
<別紙>
執筆者 舩杉力修・島根大学法文学部准教授(歴史地理学)
別紙1: | 調査成果の概要 |
別紙2-1、2-2、2-3: | 史料1 『竹島貸下・海驢漁業書類』(島根県公文書センター所蔵) 所収の明治37(1904)年「井口龍太取調書」 |
別紙3: | 表1 明治36年から明治38 年における竹島のアシカ漁業に従事したグループ |
別紙4: | 図1 明治37(1904)年井口龍太・永海寛市組の竹島漁猟の支出 図2 明治37(1904)年井口龍太・永海寛市組の竹島漁猟の収入 |
別紙5: | 史料2 大正元(1912)年『島根県商工人名録 第3回』所収の染物業者 (国立国会図書館デジタルコレクションより引用) |
別紙6: | 図3 5万分1 地形図「大社」、昭和9(1934)年修正測図(大社周辺) |
別紙7: | 写真 渡部豊市氏への聞き取り調査(2021年9月) |
別紙8: | 図4 明治36(1903)年の郡ごとの葉藍の作付面積(島根県) |
別紙9: | 表2 明治28(1895)年第4 回内国勧業博覧会(京都市)における葉藍の出品者 (島根県) |