竹島を記載した江戸時代後期航路図の発見について
令和4(2022)年2月18日
公益財団法人日本国際問題研究所
日本国際問題研究所では、領土・主権・歴史の分野において、調査研究及び対外発信事業を実施するため、平成29(2017)年に「領土・歴史センター」を設置しました。同センターでは、①わが国の領土・主権・歴史に関する国内外の資料の収集・整理・対外発信等、②同分野に関する国内外での公開シンポジウムの実施、及び③同分野に関する調査研究の実施等の事業を展開しています。
平成30(2018)年度からは、島根大学法文学部の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授に、竹島の古地図の研究のため、受託研究を依頼して実施しています。あわせて、山陰地方を中心に竹島関係の史料調査、聞き取り調査を、舩杉准教授、升田優(ますだゆう)・島根県竹島問題研究顧問に依頼して実施しています。
その結果、平成30(2018)年10 月、東京都内の古書店で、竹島(現在の鬱陵島)と松島(現在の竹島)が記載された、江戸時代後期のわが国の航路図が販売されているのが見つかり、舩杉准教授が購入しました。分析した結果、①竹島(現在の鬱陵島)、松島(現在の竹島)の周辺を通る帆船の松前航路(遠沖乗り航路)を記した江戸時代後期(19 世 紀初期頃)で幕府、長崎奉行作製と考えられる航路図で、いわゆる公的地図が初めて見つかったこと。②松前航路(遠沖乗り航路)を通る帆船の船頭による、竹島、松島の地理的認識が記され、竹島、松島が日本領と認識されていたこと。③この絵図は、竹島(現在の鬱陵島)の渡海を禁止した、元禄9(1696)年の元禄竹島一件以降も、安永8(1779)年初版、水戸藩の地理学者長久保赤水の「改正日本輿地路程全圖」、享和元(1801)年序で、杵築大社の神官矢田高當が記した『長生竹島記』、文政3(1820)年10 月の自序で、浜田藩の儒学者中川顕允が記した、『石見外記』所収の地図「大御國環海私圖」とともに、松島(現在の竹島)に対する実地の知見、松島までわが国の範囲としての認識が継続したことの裏付けになる史料として位置づけることができること。④松島(現在の竹島)近辺を帆船が通ったとか、望見したことが国際法上領有権の根拠になるわけではないものの、朝鮮の側には実見した記録すらないこと。⑤すなわち、この絵図は、竹島がわが国固有の領土であることを補強する資料であるといえることが確認できました。
その概略は別紙の通りです。別紙については、調査者の個人的見解であり、日本国際問題研究所の見解を代表するものではありません。
<別紙>
執筆者 舩杉力修・島根大学法文学部准教授(歴史地理学)
別紙1: | 調査成果の概要 |
別紙2: | 「航路図」(全体) |
別紙3: | 「航路図」の注記(表 密貿易の場所での密貿易の状況) |
別紙4: | 竹島・松島の注記 |
別紙5: | 「日本海の海流模式図」(海上保安庁『本州北西岸水路誌』(2017 年刊行所収) |