コラム

プーチン大統領年次教書演説~汚職や人口減少などへの対策を求める

2006-05-17
猪股浩司(主任研究員)
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5月10日、プーチン大統領は、連邦議会向け年次教書演説を行った。同演説は、国家元首が国の優先課題について述べるもので、プーチン大統領にとっては今回が7回目のものとなる。昨年の年次教書演説は、人権保障、汚職撲滅、私有財産保護、人口問題など、市民社会発展のための基盤作りに重点を置いたものであったが、今回の演説も、人口問題と軍近代化についてやや踏み込んだ言及があったほかは、概ね昨年の演説にそった内容であった。今年の年次教書演説の要旨は、次の通りである。

「我々は近年、国家と社会に生じている不均衡をなくすことを目標に取り組んできたが、これを進めるに当たっては、我々の社会の現状を認識しなければならない。我々の社会において特徴的なのは、国家権力や大規模ビジネスに関する市民の信頼が低いことである。1990年代初めの変革は、多くの市民から期待されたが、政権も業界も、この期待に応えられなかった。一部の者は、法や道徳を無視して、多数の市民を犠牲にしつつ、前例のない個人蓄財に走った。我々の発展にとって最も深刻な障害である汚職は、今もなお根絶されていない。国家は、こうした状況を決して座視していない。
経済発展の早期達成は絶対的な優先事項であるが、過去3年間、我々が約7%の経済成長を達成してきたことは肯定的に評価できる。だが、世界経済における我々の地位については、我々の化学技術のレベルが先進国のレベルから立ち遅れていることを指摘しなければならない。我々は、発電、通信、宇宙、航空などの分野で技術革新を行い、知的サービスの輸出国となるべきである。同時に、技術革新への資金導入にとって望ましい税制の導入も進める必要がある。また、ルーブルの兌換性確保に向けた取り組みの加速、教育と保険に関する国家プロジェクトの実現も、求められる課題である。
わが国の人口は、平均で毎年約70万人も減少している。人口問題は、昨年の年次教書演説でも指摘したほか、これまで何度も議論されてはいるが、真剣に対策が講じられたことは少なく、私は注意を喚起してきた。政府がこの問題の解決に向けたプログラムを作成したのは、つい最近のことである。ここで私は、出生率上昇プログラムの策定と、児童手当の増額を提案する。所得の低さと住宅条件の悪さが出生率低下の主な要因なのは、明白である。死亡率を下げ、移民を増やすことも重要であるが、自国の出生率向上を図るのでなければ、人口問題は解決できない。
さて、我々を取り巻く世界について、拡大傾向にある紛争が我々にとっての重要地域に波及するのは極めて危険だということ、また、テロの脅威と大量破壊兵器の拡散が依然重要な問題であることは、明白である。結局、現在は、軍事的・政治的影響力を持つ大国しか、あらゆる脅威との戦いと地球規模の平和に責任を持てないのである。だからこそ、我々にとって軍近代化が重要なのである。我々は、世界で起きていることを目の当たりにしている。狼は誰を食えばいいか知っている。自分の利益の実現が問題になっているときに人権や民主主義を叫んでも仕方がない。とはいえ、我々は、この問題の鋭さを理解しつつも、政治でも国防戦略でも、ソ連の誤りを繰り返してはならない。それは、国の資源の枯渇に向かう袋小路である。
現在、ロシアの国防費は、英仏並みであり、米国とは比較にならないほど少ない。こうした財政状況にあって、国の安全を保障するには、設備の刷新や機動力の強化など、軍を質的に近代化する以外にない。遠距離航空機や潜水艦など、戦略核兵器の装備を増強し、量ではなく質をもって、優位を保たなければならない。我々は、現実の脅威に対抗するためのあらゆる可能性を持った軍を必要としている。そのためには、軍人の待遇も改善する必要がある。端的にいって、我々の軍が強くなるほど、我々に圧力をかけようという誘惑は弱くなるのである。
ロシアの外交は、実利主義と国際法尊重を土台としている。我々の外交上の主要パートナーは、まずCIS諸国である。CISという枠組みの妥当性とその将来に関する議論はなお続いているが、CISがポスト・ソビエト空間における紛争抑止に肯定的な役割を果たしたことは否定できないし、CISは、今もその枠内での多国間関係構築の基盤になっている。CIS諸国以外で、最大のパートナーは、EUである。また、ロシアにとって、米国、中国、インド、また、急速に力をつけているアジア太平洋諸国、ラテンアメリカ諸国やアフリカ諸国との関係は、我々にとって重要である」

以上のような演説の内容からは、プーチン大統領が国家発展の基礎となるべき事柄を極めて現実的な感覚をもって捉えていることが看守される。今回の演説に示された諸問題は、国内における体制の安定強化と国際舞台におけるプレゼンスの拡大を進めるために欠かせないものとして、首肯できるものであろう。
ロシアでは、今回の演説を受けて、フラトコフ首相が同演説の内容実現に向けた計画の作成を各閣僚に指示したほか、イワノフ安全保障会議書記が人口問題解決に向けた構想を安全保障会議で採択する方向であることを述べ、また、連邦保安庁や税関、内務省などの幹部を含む数名が「汚職対策の一環」として解任されるなど、既に演説の内容の実現に向けた具体的な一歩が踏み出された模様である。しかし、これら問題が本当に解決されるかには、なお大きな疑問がある。汚職撲滅、知的革新、出生率向上など、演説で指摘された内容は、程度の差こそあれ、これまで繰り返し指摘されてきたことばかりである。これら問題が今回も指摘されたことは、それがなお未解決であることの反映に他ならない。それほど、これら問題は根が深いのである。
ところで、軍近代化については、後日プーチン大統領が「我々は西側諸国と良好な関係を構築していく。冷戦時代には戻らない。我々は対外関係発展のための受け入れ可能で好ましい条件だけを必要としている」旨、また、イワノフ副首相兼国防相が「我々は誰にも脅威を与えていない。誰が軍国主義者かはロシアと米英仏の国防予算をみれば明白だ」旨、それぞれ強調している。ロシアは、いわゆる「民主主義の未熟」ないし「強権的政治手法」などで、米欧諸国との間に距離があり、これは今後も双方の潜在的な対立要因としてくすぶり続けるだろう。しかし、ロシアの軍近代化への取り組みはここ数年変わらない動きであるし、演説全体の流れやロシアをとりまく情勢を総合的に考えても、今回の演説をもってロシアが軍国主義化に向かっているとまで捉えるのは無理があるだろう。