コラム

フランスのデモとCPE(初期雇用計画)

2006-04-11
小窪千早(研究員)
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フランスで2006年3月9日、CPE(Contrat Premiere Embauche:初期雇用計画)という制度を盛り込んだ「機会均等法(La loi sur l’egalite des chances)」が議会で成立した。これに反発するデモやストライキがフランス全土に拡大し、シラク大統領とドビルパン首相は4月10日、ついに同法第8条、即ちCPEの事実上の撤回を決定した。

■ CPEの内容とデモの背景

今回のデモの発端となったCPEとは、企業が26歳未満の労働者を雇用する場合に2年間の「試用期間」を置くことを認め、その期間内であれば理由なしの解雇を認めるという内容のものであった。その目的はフランスの特に若年層を中心とする失業問題の改善にあった。

フランスの失業率は近年再び増加傾向にあり、失業問題は現在のフランス政府にとって最大の急務のひとつである。フランスの失業率は現在約10%であり、特に若年層の失業率はその倍の20%を上回る。伝統的に労働者の権利が手厚く保護されているフランスの制度では、労働者の解雇はきわめて難しい。したがって雇用者側も労働者を新規に採用すること対しては消極的になりがちであり、能力が未知数である若年層に対しては特にその傾向が強くなる。そこで若年層の雇用に試用期間を設けて解雇を可能にすることにより、雇用者たる企業が若年層をより採用しやすいようにする、というのがCPEの主眼である。しかしながら、フランスにおいて労働者の権利に関わる政策は非常にセンシティブな問題である。雇用拡大のためとはいえ、若年層の雇用に試用期間を設けて理由なしの解雇を認めるという措置は、若者の強い反発を招くとともに、フランスの労働条件全体の悪化に繋がるとして、若者のみならず国民一般の広範な反対運動を引き起こした。

デモの若者の中には一部暴徒化した者もいるが、昨年10月から11月にかけてパリ郊外を中心にフランス全土で起こった一連の「暴動」と今回のデモは、基本的に性格の異なるものである。今回のデモは移民問題と直接の関連性はなく、デモの中心を担っているのは、都市中心部の学生や一般の労働者・労働団体である。昨年の一連の「暴動」は、経済的あるいは社会的に「周縁化」されてしまっている移民系のフランス人による、既成のフランス社会に対する不満の噴出であったが、今回のデモは、その既成のフランス社会自体に変化が加えられようとしていることに対する一般のフランス人の不安と抵抗と言うことができよう。

■ フランスの雇用モデルと欧州統合の流れ

雇用政策の見直しが議論されているのは、フランスだけではない。隣国のドイツでも、雇用における試用期間の設定やその期間をめぐって現在激しい議論が起こっている。フランスやドイツ、イタリアなどの大陸欧州諸国は、労働者の権利を手厚く保護する雇用や福祉のモデルを作り上げ、社会政策の面を重視した欧州独自の資本主義を模索してきた。今回のCPE の背景には、そうした大陸欧州型の雇用・福祉モデルの維持が、欧州統合の流れの中で難しくなっているという現状がある。EUが東方に拡大し、欧州統合が進むなかで、人や資本の移動の自由に伴い労働市場もまた一国単位ではない欧州規模での競争にさらされる。フランスも当然例外ではなく、フランス国民は、欧州規模の労働市場の中で自らの雇用を確保しなければならなくなるという危機感を肌で感じている。これまでのフランスの雇用のあり方そのものが変化を余儀なくされることへの不安と反発が、今回のデモの背景にあると言えよう。

ドビルパン首相は、伝統的なフランス型モデルの改革には元来それほど積極的ではなかったが、昨年の首相就任以来、そして特に昨年秋の「暴動」以降、失業問題の改善を内閣最大の政策課題としてきた。保守本流のドビルパン首相がCPEの導入を強く主張した一方で、自由主義者を自認し、フランス型の雇用・福祉モデルに対しても率直に疑問を投げかけてきたサルコジ内相がCPEの事実上の撤回に重要な役割を果たしたという今回の構図には、ある種の皮肉なねじれがある。

確かにCPE自体は様々な問題を含むものであった。しかしながら、CPEのような政策は決して突発的に持ち出されてきたものではない。これまで労働者の権利を手厚く保護してきたフランスの雇用のあり方が、欧州統合や国内社会の変化に対応するには相対的にコストが高くなりすぎ、いささか硬直的なものになってしまっていることも否定できない事実である。フランスの雇用や福祉のあり方を再検討し、もう少し流動性のある柔軟な雇用政策を模索する必要があるという現実の課題があり、CPEはこうした課題に答えるための試みのひとつとして導き出されたものであったという点は、CPEの是非を考える際に留意する必要があろう。

■ フランス政局への影響:2007年大統領選挙に向けて

フランスは来年の2007年に大統領選挙を控えている。最有力候補となっているのが、シラク大統領の側近でもあるドビルパン首相と、与党UMP(人民運動連合)党首のサルコジ内相であるが、今回のCPEの一件で、サルコジはCPE反対派との交渉においても主導権を握り、来年の大統領選に向けてさらに存在感を強める形となった。他方、国民の批判の矢面に立っているドビルパンは、当面厳しい政権運営を迫られることになる。サルコジとは対照的に、ドビルパンは議会に強い基盤を持たないため、議会与党との連携が重要な課題となる。

但し、サルコジが右派支持層を中心に強い支持を得ている半面、移民問題などをめぐり明白な反対層も作ってしまっているのに対し、ドビルパンは、右派支持層から中道左派支持層まで、強固ではないにしても比較的幅の広い層から支持を得ているという特徴がある。大統領選挙までの間に、内閣の最重要課題と位置づけている失業問題で一定の成果を挙げることができれば、ドビルパンへの支持が回復する可能性も十分残っている。

いずれにせよ、選挙まで1年以上あるので、このCPEの件だけで大統領選挙の帰趨が決まるわけではないが、来年の大統領選挙は雇用問題を中心とする経済の内政問題が最大の争点となることはほぼ間違いないであろう。今回のCPEは事実上の撤回となり、代わって困難な状況にある若者の雇用を促すいくつかの支援策が取り入れられることとなったが、フランスの労働市場が直面する課題は依然残っている。フランスが長年かけて構築してきたフランス型の雇用・福祉モデルを、どのように改革するのか、あるいはどのように維持するのかというフランス社会の根幹に関わる問題について、フランスは2007年を機にひとつの回答を迫られている。

※本稿は、ブルームバーグテレビジョンにおける筆者へのインタビュー(2006年4月5日放映)、および産経新聞による筆者へのインタビュー(2006年3月30日、4月5日掲載)の内容を基に、筆者が加筆を行いまとめたものである。

※CPEおよび「機会均等法」のフランス語の名称について、正しくは下記の通り。
・Contrat Premie(アクサングラーヴ)re Embauche
・La loi sur l’e(アクサンテギュ)galite(アクサンテギュ) des chances