コラム

「中央アジアをめぐる国際情勢の変化」(その2)

2006-01-31
廣瀬徹也
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中央アジアとコーカサスをめぐる国際関係を整理してみる。各共和国の独立以後、①ロシアによる影響力の確保のねらいとこれに対する米国を筆頭とする欧米側…
2.中央アジアとコーカサスをめぐる大国のゲオポリテイクス

(1)「第二次グレートゲーム」――9.11同時多発テロ事件後の情勢の変化
中央アジアとコーカサスをめぐる国際関係を整理してみる。 各共和国の独立以後、①ロシアによる影響力の確保のねらいとこれに対する米国を筆頭とする欧米側の拮抗、②カスピ海地域の石油や天然ガスの開発と輸送路をめぐる域内・域外各国の経済的利害の対立、更には③国際情勢を利用してイスラム過激派の封じ込め、自国の安全保障を確保し、国内少数民族による独立運動や隣国との紛争の有利な解決を図らんとする域内諸国の思惑等を主たる要因として、ロシア、米を筆頭に地域大国たるトルコ、イラン,更に近年は中国も加わり19世紀末から20世紀初めにかけて内陸アジアをめぐってロシア帝国と大英帝国の間で行われた「グレートゲーム」と称する勢力争いになぞらえて、プレーヤーは異なるが「第二次グレートゲーム」とも呼ぶべき勢力争いが展開されてきた。

米を筆頭とする欧米諸国の対中央アジア・コーカサス政策は、従来より、1)エネルギー分野への進出(開発とパイプラインの建設への参加)、2)これら諸国の民主化と市場経済化の促進、3)この地域の平和と安定の実現と国際社会への参加への支持、を主眼としていた。これに加えて下記の通り、4)9.11後は米国にとって対アフガン作戦のための後方基地確保が加わった。

エネルギー分野への進出との観点からは、カザフスタンのテンギス油田ではすでにソ連時代の88年シェブロン(現シェブロン・テキサコ)が油田開発に参加し、91年から生産が開始されていた。その後バクー油田の石油輸出のメインパイプラインとして、イラン、ロシアを通らないパイプラインの建設をはかってきた米国政府にとって、さらにはパイプラインの通過するアゼルバイジャン,グルジア、トルコにとっても、バクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)パイプライン建設が決定ししたことは大きな勝利であった(2002年着工、2005年5月に開通)。

2001年の9.11同時多発テロ事件の後、情勢はさらに米国に有利に大きく変化した。アフガニスタン攻撃に際しウズベキスタン、キルギス、タジキスタンの3カ国の同意を得て米軍と同盟国軍が駐留した。国際テロを地域の安全保障にとって最大の脅威とみなす域内諸国もこれを歓迎したのである。新疆ウイグル自治区の東トルキスタン独立運動、チェチェンの分離運動などをかかえる中国、ロシアも米軍等の駐留を容認した。ウズベキスタンのハナバード空軍基地に米軍約1,000名、テルメス飛行場に少数の独軍、キルギスのマナス空港に米軍約700名ほか少数の同盟国軍、タジキスタンに仏軍約100名が駐留していると見積もられていたが (i)、ハナバード空軍基地の米軍は2005年中に撤退を完了した。

ちなみに情勢の変化は南コーカサスにも及んでいる。アゼルバイジャンとグルジアは従来より基本的に親欧米路線を採って来たが、アフガン戦争の際両国が米軍機の領空通過に同意したこと等とひきかえに、米国はグルジアに軍事顧問団を送るなど同国とアゼルバイジャンに経済援助、軍事援助を進めた。

ロシアにとって中央アジア・コーカサスへの関心は、国家としての安全保障、過激派テロ網の拡大阻止、民主化ドミノの自国への波及への警戒、さらには現地在住ロシア系住民の利益の確保にある。また自身がエネルギー資源輸出国であるロシアにとって、カスピ海地域エネルギー資源の開発とパイプラインの建設は自国にとって有利なものでなければならない。2003年にロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンが参加するCIS緊急展開部隊を支援する目的でキルギスのカント空軍基地にロシア空軍基地が開設され、ロシア軍人2‐300人と複数の戦闘機が配備された。タジキスタンにはロシア国境警備軍12,000が駐留しているほか、アイニにはロシア軍の空軍基地が設置されている。カザフスタンにも数カ所に少数のロシア軍が駐留している。

中国はまず経済的影響力の拡大をはかり、その後「上海協力機構(SCO)」 (ii)を通じて安全保障の面でも関与を深めている。中国の関心は経済面では貿易特に輸出の拡大とカスピ海地域エネルギー資源の確保である(後述)。 また国内に多くのムスリムをかかえる中国にとって、過激派テロ網の拡大阻止、民主化ドミノの自国への波及への警戒との点では、ロシアや中央アジアの権威主義体制諸国と利害が共通する。それゆえ、上海協力機構の強化にはもっとも熱心である。

トルコとイランは中央アジア・コーカサス諸国の独立直後、言語・宗教面での近さを武器に競って関係強化をはかり、92年トルコは「黒海経済協力機構」、イランは「カスピ海協力機構」の設立を提唱した。しかし両国とも資金・技術力に限界があり、このため中央アジア諸国は開発のための資金と技術を欧米日に期待したのである。


(2)ウズベキスタン外交の変化
ここで、ウズベキスタンの独立後の対外政策の変遷を眺めてみると、基本的に欧米諸国や日本との関係を強化して経済開発を図ると共に、ロシア依存からの脱却を志向してきた。「CIS集団安全保障条約機構」 (iii)には参加せず、逆に99年には反ロシアの色彩の強い「GUUAM」(iv) に参加した。01年9月の米国同時多発テロ事件後は米国との関係緊密化が顕著であった。空軍基地提供のほか、03年のイラク戦争でも積極的に米国の立場を支持した。ウズベキスタン政府の狙いは、米から見かえりとして経済援助の獲得およびIMFとの関係修復に向けての米国による仲介への期待など経済的利益、ウズベキスタン政府の人権抑圧に対する米の批判かわすこと、さらには当時アフガニスタンのタリバン政権と協力関係にあった「ウズベキスタン・イスラーム運動」(IMU)を米軍等の力を借りて壊滅させることにあった。事実、IMUは急速に弱体化したと伝えられている。

ウズベキスタンは、このように米国との関係を強化する一方で、依然として強いロシアとの経済関係や安全保障の観点から2001年ころから反ロシアの方針を転換した。上海協力機構に参加する一方、翌02年GUUAMの活動への一時的参加停止を発表、05年4月には脱退した。更に04年10月にはカリモフ・プーチン会談で「ウズベキスタン・ロシア戦略的パートナーシップ条約」を締結、また「中央アジア協力機構(CACO)」(v) へのロシアの参加が決定した。さらにアンディジャン事件で、前述の通りウズベキスタン政府の対応に批判的な欧米各国との関係が微妙となる一方、その反動として同国政府を支持するロシアへの接近を加速したのである。2005年10月 CACOと「ユーラシア経済共同体(EAEC)」(vi) の統合とウズベキスタンの後者への加盟が決定した。


(3)上海協力機構(SCO)の決定をめぐる動き
上海協力機構は2005年7月5日カザフスタンの首都アスタナで開かれた第10回首脳会議で、同機構の機能強化、国連改革に関する立場表明、対テロ協力のほか、反テロ連合参加国軍(米軍等)の中央アジアにおける駐留期間の限定等を盛り込んだ「共同宣言」を発表した。すなわち「アフガニスタンでの反テロ軍事作戦の最盛期は過ぎた」として、米軍に中央アジアからの撤退期限の明示を要求したのである。2001年米軍等による中央アジア基地の使用を“テロとの戦い”として容認したロシアと中国が反撃に出たといってよい。

上記共同宣言にしたがって、ウズベキスタン政府は同27日、米側に「180日を限度としてハナバード空軍基地から撤収することを要求する」覚書を発出した。

上記SCOの動きをみて、ラムズフェルド米国防長官が7月後半、急遽キルギスとタジキスタンを訪問、米軍駐留延長の方向で両国を説得した模様である。両国はSCO首脳会議では対露、対中配慮から米軍の早期撤退を求める共同宣言に賛成したものの、その後、米軍や同盟軍の撤退を要求しておらず、中央アジアが一枚岩ではないことをしている。両国にとって米軍等の駐留は、これによる収入(キルギスにとっては約50百万ドル)があるほか、現実にアフガニスタンからの過激派や麻薬の侵入阻止、対中牽制等の観点からも有益と判断したのであろう。

なお上記SCO首脳会議は、インド、パキスタン、イランの三カ国の準加盟を承認した。2004年にはモンゴルの準加盟を認めており、今後はアフガニスタンの準加盟も検討されていると報じられている。

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脚注

(i) 兵員の数字は、米軍・同盟国軍についてはミリタリー・バランス2004―05等による。

(ii) 上海協力機構(SCO):1996年、中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタンの5か国が上海で首脳会議「上海ファイブ」を開始。当初は主として国境地域における軍事分野での信頼醸成の場であったが、1998年以降は政治・安保・経済・文化等広範な協議が行われている。2001年の会議でウズベキスタンが加盟すると同時に上海ファイブは発展的に解消され、「上海協力機構」が新設された。2003年の首脳会議で事務局(北京)、地域反テロ機構(タシケント)の設置に合意した。

(iii) CIS集団安全保障条約機構(OCST):92年 CIS集団安全保障条約に参加したロシア、ベラルーシ、アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンによって機構化を図る目的で2003年設立された。

(iv) GUAM:1997年グルジア・ウクライナ、アゼルバイジャン・モルドヴァが域内における経済・通商分野での協力強化、安全保障や国際テロリズムとの闘いにおける協力などを目的としてGUAM(加盟国の頭文字をったもの)を結成。99年ウズベキスタンが加盟してGUUAMとなったが、05年4月には同国の脱退でGUAMにもどった。

(v) 中央アジア協力機構(CACO):2001年政治、経済及び文化・人道分野における相互関係の拡大・深化を目的に、それまでの「中央アジア経済共同体」を発展解消し設立された。加盟国はウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス。04年の首脳会議でロシアの加盟が認められ、共同市場創設に関する決定がなされた。

(vi) ユーラシア経済共同体(EAEC)
(旧称「関税」同盟)現在ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタンが加盟。将来的にEUのような機構を目指す。
前述の通り2005年10月CACOとの統合とウズベキスタンのユーラシア経済共同体への加盟が決定。(了)

筆者: 廣瀬 徹也(ひろせてつや)
アジア・太平洋国会議員連合中央事務局 事務総長
元外務省新独立国家(NIS)室長、在ウラジオストク総領事、駐アゼルバイジャン大使