コラム

独立40周年を迎えたシンガポール

2005-09-02
梶田武彦(特別研究員)
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シンガポールは人口約420万人で天然資源に恵まれない小国だが、飛躍的な経済発展を遂げ、今では東南アジア随一の豊かさを誇っている
シンガポールは8月9日、マレーシアからの分離独立40周年を迎えた。人口約420万人で天然資源に恵まれない東京23区とほぼ同じ面積の小国だが、飛躍的な経済発展を遂げ、今では東南アジア随一の豊かさを誇っている。

マレーシアから追い出される格好で独立したシンガポールは、リー・クアンユー首相(現顧問相)の強力なリーダーシップの下、1960年代後半から成長軌道に乗り始めた。輸入代替工業化から輸出志向工業化に開発政策を転換。外資系企業を呼び込んで、当時社会問題となっていた失業を解消し、発展基盤を整えた。70年代から80年代にかけて高度成長を遂げる過程では、労働集約型産業から資本・技術集約型産業へと産業構造を順次高度化させて国際競争力を強化する戦略を採った。同時に金融や物流などサービス産業の拠点(ハブ)としての地位を築き上げることに成功、90年代以降は知識・情報集約型産業育成に力を入れている。

日本にいるとあまり意識されることはないが、日本とシンガポールの関係は深い。在留邦人は2万人を超え、進出日系企業はおよそ2000社。昨年シンガポールを訪れた日本人は約60万人に上る。

日本が自由貿易協定(FTA)を結んだ最初の相手もシンガポールだった。自由貿易は多国間の枠組みで進めるべきとの立場にこだわるあまり世界のFTA締結の潮流に乗り遅れていた日本は当初、韓国やメキシコを念頭に協定締結を検討していた。しかし、農業問題が障害にならないシンガポールを先行させたことは結果として成功だったといえる。国内にさしたる反対もなくスムーズに、なおかつ幅広い分野をカバーする高度な協定を結ぶことができた。「これで今後、他の国々と交渉していく上でのモデルが完成した」と、ある日本政府関係者が胸を張っていたのを思い出す。最初から韓国やメキシコと交渉に臨んでいたとしたら、国内調整に手間取り、いまだに一つのFTAも締結できていなかったかもしれない。

シンガポールは外交上も重要なパートナーだ。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国の中で「地域・国際問題で建設的な議論ができるのはシンガポールだけ」(外交筋)とか「日本と他のASEAN加盟国との橋渡し役をしてくれる」(別の外交筋)との好意的な声が日本政府内からよく聞かれる。

このように日シンガポール関係は緊密で良好だが、シンガポールが日本を特別に重視しているかというとそうではない。シンガポールは日本以外にも、米国、オーストラリア、インド、韓国等とFTAを締結しており、成長著しい中国との経済関係発展にも力を入れている。また、第2次世界大戦中の42年2月から45年8月まで「昭南島」の名で日本軍政下に置かれ、特にその初期の頃「抗日分子」摘発で大量の華僑・華人の虐殺が行われたこともあってか、日本を見る目は時として厳しくなる。実際、新聞の社説などで対日批判が展開されることがあるが、歴史問題ならともかく、まったく関係のない話でも激しい批判をする姿勢には在留邦人もあきれ顔だ。政府レベルでは表立った対日批判はないが、21日の建国40周年記念式典で演説したリー・シェンロン首相は「ソニーよりは、サムスン電子(韓国)やフィリップス(オランダ)から学ぶべきだ」と述べ、日本と距離を置く方針を鮮明にしている。

かつてのような高度成長が望めないシンガポールが今後取り組んでいくべき課題は多い。タイやマレーシアなどが猛追する中、情報通信(IT)、金融・物流に加えて、バイオ研究開発や教育、文化などの拠点を目指しているものの、こうした新規分野での雇用創出効果は限られている。「管理国家」の異名を持つシンガポールが網の目のように張り巡らされた規制をどう緩和していくのかも注目点だ。近年、構造改革の一環としてバーのカウンターの上でのダンスや24時間営業、バンジージャンプを解禁。官公庁の同性愛者雇用も認められた。今年に入ってからは、中国人観光客を呼び込むことを主眼としたカジノ開発計画にゴーサインが出された。

一方で、与党・人民行動党の事実上の一党支配体制や言論統制が残っている。非政府組織(NGO)「国境なき記者団」が昨年発表した報道の自由度に関する調査結果では、シンガポールは167カ国中147位で、ミャンマー、中国、北朝鮮などと並んで低いレベルとされた。自由を求めて米国、カナダ、オーストラリアなどへ移住するシンガポール人は後を絶たない。少子化は日本以上に深刻な問題で、昨年の合計特殊出生率は1.25だった。迫り来る労働力不足がこの国の将来に暗雲を投げかけている。

シンガポールが日本に学びたいかどうかは別にして、日本がシンガポールから学ぶべきことは少なくないと思う。能率的な行政運営、IT化の推進や各国とのFTA締結を含め常に新しい成長モデルを追求する戦略性などがそうだ。しかし、日シンガポールFTA交渉に携わったある日本政府関係者にとってそんなことはどうでもいいらしい。華人が76%を占め、日本の軍政を体験したシンガポールは、歴史問題などでとかく緊張しがちな日中関係を改善していく手がかりを与えてくれるというのだ。「日シンガポールFTAを日本と大中華圏との和解に向けた第一歩としたい」との同氏の言葉は“官僚”から聞いた言葉の中で、最も強烈な印象を持って今なお耳に残っている。