2月23日は、ロシアの祝日「祖国防衛者の日」である(かつては「赤軍記念日」と呼ばれていた)。第一次世界大戦中の1918年のこの日、ドイツ軍と戦うためソ連に赤軍が結成されたことを記念して定められたもので、ロシアでは、3月8日の「国際婦人デー」との関係で「男性の日」として認識されている。しかし、同時にこの日は、スターリンによってチェチェン人がカザフスタンなどに強制移住させられた日でもある。第二次世界大戦中の1944年のこの日、50万人ともいわれるチェチェン人は、突如として故郷を追われることとなった。移住の過程で半数以上が命を落とし、運良く移住できた者も、厳しい寒さと飢えに大いに苦しんだといわれる。その意味から、2月23日は、チェチェン人にとっても「忘れられない日」なのである。
さて、ロシア軍がチェチェンに軍事侵攻して始まった第二次チェチェン紛争から、既に6年以上が経つ。この間、チェチェン独立派武装勢力によるテロが断続的に発生しているものの、同勢力に対するロシア側の掃討作戦は継続的に推進され、チェチェンには親ロシア派のアルハノフ政権も誕生しており、「チェチェンに親ロシア派政権を樹立し、これを通じてチェチェンをロシアの管理下に置く」というプーチン政権のチェチェン政策(いわゆる「チェチェンのロシア化」政策)は、一応進展しているようにみえる。プーチン大統領は、今年1月31日に内外の記者1000人以上を前に3時間半にわたって行った大規模記者会見でも、昨年の成果の一つとして「チェチェンをロシアの憲法体制の中に引き戻したこと」を取り上げた。だが、チェチェン情勢は本当にロシアの枠内で安定に向かっているのだろうか。
チェチェン独立派武装勢力が弱体化していることは、恐らく事実であろう。同勢力の指導者であるバサエフ野戦司令官自身、今年1月に「聖戦は拡大しているが、我々は唯一、聖戦を支える資金とメディアの不足という困難にぶつかっている」旨を述べている。最近のチェチェン独立派武装勢力の大規模テロが、例えば北オセチアやカバルダ・バルカルなど、チェチェンやモスクワといった「中心地」以外の地で発生していることも、同勢力の力量低下のひとつの反映かもしれない。しかしそれでも、独立派武装勢力を取り巻く情勢に照らせば、同勢力が根絶される方向にあると言うには、なお無理があると思われる。独立派武装勢力は、行政の腐敗や貧困などの社会情勢に不満を募らせる地元住民や他国のテロリスト集団の加担を得るほか、現地の治安当局者の一部と癒着しているとみて間違いないのである(※1)。
(※1)イワノフ国防相(当時。現在、国防相兼副首相)は昨年10月、「ここ数年間にチェチェンで50か国からの外国人傭兵が殲滅された。テロリストが自分の力だけで何かをやったことはない。常に、国境を越えた資金やテロリストの流れが存在している」旨を指摘した。また、ロシア内務省は今年1月、「昨年1年間に北カフカスの内務機関で武装勢力との関係や破壊工作への関与がみられる内務機関職員156人に関する情報を得た。16人が処罰され、20人が解雇された」旨を公表した。
他方、チェチェンの政権が引き続きロシアの事実上の管理下に収まっているかどうかも、不透明である。2年前に独立派武装勢力に爆殺された前大統領の子という「血統」を持つカディロフが「借り物大統領」のアルハノフに代わりいずれチェチェン大統領となること、現にチェチェンの最高実力者がアルハノフ大統領ではなくカディロフ第一副首相であることは、まず疑いない(※2)。だが、そんなカディロフは、プーチン大統領にとって信頼に値する人物とはみられない。カディロフは、チェチェンにおいて以前から「カディロフツィ」(「カディロフ一派」の意)と呼ばれる強大な私兵集団を率いて営利誘拐と略奪を行い、現地で活動するロシア軍と時に衝突さえしている「危険な男」である。現段階でこそ、カディロフは基本的にプーチン大統領の意に沿って行動していると見受けられるが(もっとも、プーチン大統領も様々な形でカディロフを「懐柔」している)、今後の両者の関係が首尾よく推移するかどうかは、なお予断を許さない。
(※2)カディロフは、チェチェン独特の「部族の原理」に照らせばアルハノフより上位であり、前回(2004年8月)のチェチェン大統領選挙時に得ていなかった大統領の被選挙権(年齢30歳)を今年取得する。また、昨年11月に実施されたチェチェン議会選挙は、プーチン与党の「統一ロシア」の圧勝で終わったが、この選挙戦を仕切ったのもカディロフである(因みに、独立派武装勢力のバサエフ司令官は同議会選挙を「豚による出し物」と表現)。
もっとも、少なくとも現段階では、チェチェン独立派武装勢力の大規模テロでクレムリンが大混乱に陥るとか、カディロフとプーチンの関係が急速に悪化するとか、そういった極端なシナリオは想定できず、チェチェン情勢によってプーチン政権の安定性、ひいてはロシア情勢そのものが大きく揺らぐことは考え難い。しかし、上記のような現状に照らせば、チェチェン情勢が真の意味で安定に向かう要素も見出し難く、武装勢力掃討作戦の推進にせよ、チェチェンの政権への関与にせよ、プーチン政権が今後も極めて難しい舵取りを迫られることは間違いない。資金的にも精神的にも、相当のエネルギーを割くことを余儀なくされるだろうし、対応の如何によっては内外の強い批判にもさらされかねない。プーチン大統領は、中央集権的な統治を進めて磐石な権力基盤を固め、2年後の次期大統領選挙に向けた体制固めと西側先進諸国へのロシアの仲間入りを目指している。今年7月には、故郷のサンクト・ペテルブルグでサミットも開催される。そんなプーチン大統領にとって、チェチェン問題はなお頭痛の種であろう。