コラム

反米的潮流を招いた開戦の論理 (北海道新聞2003年11月25日掲載)

2003-11-20
中山 俊宏(研究員)
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一九九〇年代後半以降の米国の外交姿勢において、単独行動主義的な行動パターンが目立つようになっている。この傾向はクリントン政権下においても見られたが、九・一一テロ攻撃以降、ブッシュ政権下において先鋭化したといえる。

米国には、孤立主義の伝統があるが、これは「旧大陸の紛争に巻き込まれたくない」という外交的消極主義に裏づけられていた。単独行動主義はこのような外交的消極主義ではなく孤立主義的心性と国際的積極主義が捩じれた形で結びついたものといえる。

これを象徴しているのが、九・一一テロ攻撃直後のラムズフェルド国防長官による発言である。同長官は、対テロ戦争がまったく新しい種類の戦争になるとの文脈で、「任務が連合の在り方を規定するのであり、その逆ではない」と発言している。つまり、九・一一テロ攻撃後の米国においては、明確な脅威を前にして、多国間の取り極めに絡みとられて自らの行動が制約される状況を回避し、自らが定めた任務に基づき行動していくべきだという考えがますます説得力を持つようになっていった。こうして米国は、自らの使命を定め、限られた有志国とともにイラクに介入した。

しかし、イラク戦争をわずか数週間で迅速に終了させたかのように思われた米国は、戦後のイラクにおける国家建設の過程で、戦前には予想していなかった困難な状況に直面している。戦前にも、その困難さを指摘する声がなかったわけではない。しかし、それはブッシュ政権が自国を戦争に向けて動員していく過程でかき消されてしまった。

なぜ米国民はブッシュ政権の介入の論理を受け入れたのか。それには、二つの側面がある。まずは、米国が介入しなかった場合、「悪の枢軸」を構成する一国として名指しされたイラクと、そのイラクが保持しているかもしれない大量破壊兵器とテロリストが結びつき、九・一一テロ攻撃を上回る大惨事が米国主要都市で起きるかもしれないという「危機のレトリック」をブッシュ政権が声高に主張したことであった。もう一つの側面は、イラクに米国が介入した場合、フセイン体制下で抑圧に苦しむイラク国民は、侵攻してくる米軍を「解放軍」として迎え、米国による長期的かつ大規模な占領は不要であるという考えであった。

これらを背景に、イラクの「深刻かつ集積する危険」を放置してはおけないという「危機のレトリック」と、「民主化」という米国の「歴史的な使命」を全うすべしという「義務と希望のレトリック」が混在するようなかたちで米国は戦争になだれ込んでいった。

しかし、この介入の論理は、一方では「最悪シナリオ」に傾き過ぎ、他方であまりに楽観的過ぎたことがいまでは明らかになりつつある。恐怖と希望のレトリックを語り、戦争に向けて自国を動員していったブッシュ政権は、いまや戦後の国家建設が、もはやそのようなレトリックを語れるような状況にはなく、地道かつきわめて危険な活動であるという事実に直面している。

米国は、忍耐力を欠く「軽い帝国」であるとしばしば批判されるが、いまや自ら掲げた任務に基づき選択した戦争の結果を引き受けるかたちで、米国がこれまで取り組んだことがないような巨大な国家建設事業をイラクで行おうとしている。これは長期的に持続する忍耐力なくしては実現不可能である。

では今後、米国は自らを歴史上の他の帝国がそうであったように、歓迎されざる「重い帝国」として認めざるをえなくなっていくのか。それは元来旧大陸の圧政から逃れ、自らを反帝国勢力として位置付けた米国の多くの人々が抱く国家の原風景とは馴染まない心像である。米国が自らに課した歴史的使命に忠実である限りにおいては、反米的潮流が世界の共通言語になるような状況を、米国自身が長くは放置しておけないであろう。

米国への信頼の全面的喪失と、その結果としての米国の地位の相対的な転落は、必ずや米国において単独行動主義とは異なるもうひとつの力学を生みだすであろう。

(了)