はじめに
2017年12月28日から約10日間続いたイランの抗議活動は、来年度以降のガソリン価格の値上げや物価高、金融政策の不備など政府の経済政策に怒った民衆によるマシュハドでの小規模な集会を端緒としていた。当初、抗議では、「ロウハーニー大統領反対」というスローガンがあげられ、失業や貧困、生活費の上昇への抗議が叫ばれていたが、やがて体制批判へと性格を変容させた。この抗議活動は、瞬く間にソーシャルネットワーキングサービス(Social Networking Service: SNS)上で拡散し、翌日には他の都市にも広がり、最終的には首都テヘランを含む全国各地の70以上の都市や町で展開された。2009年の大統領選挙結果への抗議運動、いわゆる「緑の運動」に次いで、革命後最大規模となった今回の抗議デモがなぜ発生したのか。本稿ではその特徴と原因を概観する。
1.今回のデモの特徴――2009年「緑の運動」との違い
今回の抗議デモと2009年の「緑の運動」の大きな違いとして、第一に明確なリーダーや組織した政党が存在しなかった点を指摘できる。リーダーや統一した目標不在の抗議活動に対し、体制エリートの間で対応策の見解が分裂した。そのため、抗議者を体制の敵と断定し、イスラーム革命防衛隊(Islamic Revolutionary Guard: IRGC)が全面に立って徹底弾圧をした2009年とは異なり、内務省管轄下の警察と治安維持軍が中心となり、抗議者をできるだけ傷つけない形でデモの鎮静化が図られた模様である。
第二に、参加者の多くが都市在住の中産階級の若者であった2009年とは異なり、今回は、比較的教育水準の低い貧困層の若者が抗議に参加した。抗議者たちは、革命防衛隊による対外工作への批判を込め、「シリアやガザのために死ねない。我々はイランとともにある」とスローガンをあげ、他国の内政干渉で予算を浪費する代わりに、政府は経済改善に取り組むべきと主張していた。イランの人口の三割が貧困ライン以下にあり、全国の失業率は、公式には12.4パーセントであるが、いくつかの地域では60パーセントに達しているとされる。貧富の格差、失業、汚職、不正、生活難に苦しむ貧困層の若者たちが、イスラーム体制内での将来に希望を持てず、既存秩序の全てを否定したい衝動にかられたとしても不思議ではない。
第三に、今回、首都テヘランではなく、マシュハドが全国的なデモの発端の地となったのも極めて珍しい。エスハーク・ジャハーンギーリー副大統領や改革派指導者の一部は、「マシュハドでの政府批判デモは、ロウハーニーと大統領選で争ったイマーム・レザー廟管財人のエブラーヒーム・ライースィーの支持者とバスィージ(革命防衛隊傘下のボランティア兵)のメンバーによって行われた」と主張した。抗議集会は、表向きには物価高や破綻した金融機関の預金者保護を装いつつ、ロウハーニー政権に打撃を与えるために仕組まれ、裏で糸を引いていたのは、ライースィーの舅にあたり、マシュハド金曜礼拝導師のアフマド・アラモルホダーであったというのである1。
ライースィーは、マフムード・シャーフルーディー公益判別評議会議長(前司法権長)と現司法権長のサーデク・ラーリジャーニーと並ぶ、ハーメネイー最高指導者の有力後継候補の一人である。今回の抗議デモの原因を探ると、伏線の一つとして次期最高指導者レースを巡る政争が浮かび上がる。次期最高指導者の後継者として、海外との融和よりも、国内の既得権益への利益の配分を重視する強硬保守派のライースィーを推す勢力は、この抗議を利用して、2013年のロウハーニー大統領の選出以来、接近しつつある伝統保守派と現実派・改革派連合に楔を打ち、次期最高指導者レースを有利に運ぼうとした思惑が透けて見える。さらにそこにラーリジャーニー兄弟によって政界を追われたマフムード・アフマディーネジャード前大統領一派が便乗した可能性がある。
第四に、抗議活動はテヘラン(869万人)やエスファハーン(196万人)、タブリーズ(156万人)、マシュハド(300万人)等主要都市だけではなく、ホメイン・シャフル(24.5万人)、ナジャフアーバード(22.2万人)、ドルード(17.5万人)、イーゼ(14.3万人)、カフデリージャーン(3万人)など中小都市をも席巻した。その地理的な広がりは、2009年の抗議運動を越え、イラン革命後、類例のない出来事であった。政争に明け暮れる中央政界に、地方で困窮する人々の声が届いていないという不満が人々を抗議に駆り立てたと考えられる。対立の構造の軸が従来のように「体制内の改革か現状維持か」(改革派対保守派)ではなく、「体制支持か否か」に転換された。
2.抗議の原因
1月23日に公表された内務省報告書は、抗議の原因として、(1) 外国からの扇動、(2) 国民の政府への信頼喪失、(3) 体制エリートによる世論対応の失敗を挙げている。
(1)外国からの扇動
体制エリートが国内の問題の原因として常套的に使う、「外国陰謀論」は、今回の抗議ではどれほど根拠のあるものであろうか。今回の抗議では一部の抗議者たちが、従来のタブーを破って王政復古を求めるスローガンを叫んでいたと報道されている。この動きに呼応するかのうように、12月29日からドナルド・トランプ大統領は、盛んに抗議者を支持するツイッターを発信し、ファラ元王妃と息子のレザー・パフラヴィー元皇太子、そしてモジャーヘディーネ・ハルク(Mojāhedīn-e Khalq Organization: MKO)リーダーのマリヤム・ラジャヴィーがイラン国内の抗議を支持し、当局による弾圧や逮捕に反対し、死亡者に追悼するメッセージを発出した。
MKOと、ジョン・ボルトン大統領補佐官やジョン・マケイン上院議員など米共和党の有力者は以前から密接なつながりを指摘されている。2006年、ブッシュ政権期にイランの体制転換を目指して、「イラン自由支援法(Iran Freedom Support Act)」が成立した。それ以後、米議会はMKOの政治組織「イラン国民抵抗評議会(National Council of Resistance of Iran: NCRI)」を含むイラン国内外の組織に多額の資金を助成してきた。2017年1月にはトランプ政権成立にあたって、ルディ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長や元FBI長官のルイス・フリーを含む20名以上の著名な政治家がトランプ政権に、イランの体制転換を主張するMKOと正式に交渉に入るよう勧めている。
ドルード、カフデリージャーン、ケルマーンシャーなど地方での銃撃戦や武器の供給に反体制組織が係わった可能性は否定できないが、今回の抗議デモは、全体としては、平和的な抗議活動が展開されており、武力衝突は一部にとどまった。抗議の1年前からMKO系のウェブサイトが盛んにイランの中小金融機関の破綻の危機を煽る情報を流していたことに見られるように、外国の組織がインターネットを使って様々なメッセージを発し、反体制の扇動活動をしたことは確かである2。しかし、抗議活動の広がりや参加者の構成を見る限り、外国の影響は限定的で、むしろ貧困層の抗議活動に国内外の諸勢力が異なる思惑から便乗したと見るのが妥当であろう。
(2)政府の能力不足と不信
2013年以降、ロウハーニー大統領を始めとする政府の要人は、核合意が実現し、制裁が解除されれば、海外からの投資も集まり、経済や雇用問題から環境問題まで全ての事態が好転すると繰り返してきた。それに期待した過半数の国民が、2017年の大統領選でロウハーニーに票を投じた。しかし、アメリカの独自制裁が残り、一般国民がその恩恵を実感できるほどには経済状況が改善していない。ロウハーニー政権は、対外政策や国内の闘争に追われ、2009年の「緑の運動」リーダーの釈放やマイノリティーの権利向上、言論・表現活動の緩和といった選挙戦で公約した政治改革にも着手できないでいる。そのため、国民の間で期待値が高かっただけに失望が深まり、抗議活動が起きたとの見解で多くの識者が一致している3。
2017年12月10日に、緊縮財政によって財政の健全化を目指すロウハーニー内閣は、ガソリンの50パーセント値上げ、出国税の三倍増額、現金の補助金給付対象者の削減など、国民に痛みを強いる内容の来年度予算案を国会に提出した。その一方で、軍事費は総額500兆リヤル(約140億ドル)に三割増額され、宗教団体への給付金も軒並み一割増となってていたため、ロウハーニー政権を支持してきた改革派からも批判の声が上がった4。
改革派の識者アブディは、「マシュハドでの抗議集会は、非合法の金融機関への大口出資者が基金の運営者と共謀し、税金からの損失補填を目論み、政府に圧力をかけるために、預金者たちを集めて抗議集会を組織した」と主張している5。イランでは、伝統的に人々が銀行より利率の良い非正規の金融機関に預金したり、同業者同士が資金を積み立てて運用したりすることが広く行われてきた。これらの信用協同組合や信用金庫は、宗教財団や司法権、革命防衛隊関係者等イスラーム体制中枢の権益集団の庇護を受けていることが多く、中央銀行の規制を免れつつ、通常の銀行以上の高い金利で資金を貸し付けたり、預金者に銀行以上の高利率を約束したりして、多額の預金を集めてきた。
アフマディーネジャード政権期に、共同組合省が中央銀行の監督や許可なしに協同組合にライセンスを乱発したため、小規模の金融機関が一時期7千近くに上るほど大量に増殖した。しかし、その多くが金融の素人に運営されており、乱脈経営で投資先の資金を回収できず、取り付け騒ぎを起こす機関が多発した。加えて、中央銀行による監督がなかったため、これらの金融機関の運営者が、個人や親戚の住宅や車の購入など私用目的で資金を横領し、経営破綻するケースが相次いだ。ロウハーニー政権の成立後、中央銀行による監督が強化され、不良債権を抱え、返済の見通しが立たない金融機関の整理が始められた。
その代表がカスピアン信用金庫であった。2017年に、預金保証を受けられなかった預金者が2017年に度々、議会や中央銀行前で抗議活動を行ったが、政府の反応は鈍かった。地方在住の農民や畜産業者など、カスピアン信用金庫になけなしのお金を預けていた人々にとって、抗議活動に参加する理由は十分すぎるほどであった。
クルド系人口の多いケルマーンシャーも今回の抗議運動の中心地の一つとなった。2017年11月にイラン西部でマグニチュード7.3の地震が発生し、ケルマーンシャー州サルポレ・ザッハーブ郡を中心に多くの建物が損壊し、400名以上の死亡者が出た。寒さが増す中、援助物資や仮設住宅の建設の遅れによる被災者の不満の高まりが度々報道されていた。近年、イランでは、テヘランの商業施設プラスコビルの火災・崩壊事件、列車の脱線事故、洪水や地震などの自然災害、大気汚染や水不足を含む環境問題など、様々な事故や事件が発生している。政府はその度に問題解決の約束を繰り返してきたが、災害予防対策や事故後の対応に全く改善が見られず、SNSでは、今年度予算で災害危機管理の計画よりも宗教団体に多く配分されていることに非難が集まっていた。
(3)体制エリートによる世論対応の失敗
内務省報告書は、「2017年春の大統領選挙戦の間、保革の候補者間で対立が激化し、選挙公約に国家の資源や許容範囲を無視した非現実的な公約を盛り込んだために、人々の政府への要求や期待を高め、結果的にその期待に応えられず、人々の不満を増幅させる結果となった」として選挙戦でのポピュリズム的手法への反省を促している6。また、近年、敵対派閥の汚職暴露がエスカレートする傾向にあり、それが政治への不信感とイスラーム体制自体への絶望感の広がりをさらに助長した点も指摘できる。
12月末からの抗議デモについての世論調査によれば、回答者の60パーセントが体制内の改革の可能性をまだ信じているが、31パーセントは根本的な体制変換がなければ改革は無理と、体制内での改革の望みを失っていた。25パーセントが国の現状に満足し、74.8パーセントが不満を持っていた。これまで、イラン当局は反対派の抗議活動を決して許可してこなかったが、合法的に抗議集会が開催された場合、41パーセントが参加すると回答した。69パーセントが抗議の理由を経済問題や雇用問題と答え、30パーセントが汚職、20.6パーセントが公正の不在、13.5パーセントがシリアとパレスチナへの支援の中止、9.8パーセントが表現の自由、2.3パーセントが「緑の運動」の指導者の釈放であった。37.5パーセントが抗議は今後も続くと考えていた7。
おわりに
1月8日にロウハーニー大統領は、「若い抗議者たちの不満は経済に留まらず、政治や社会的分野に及ぶ。我々は一定の生活スタイルをモデルとしてきたが、我々より二世代若い人々にそれを強要することはできない。体制を維持するためには、抗議者の不満や要求を把握し、彼らを『インクルーシブ(inclusive, 包摂)』するシステムの構築に努力すべき」との見解を示した。抗議デモの中で、少女たちがテヘランのエンゲラーブ(革命)通りでスカーフを脱いで、木の棒に旗のようにぶら下げて振る写真がSNS上に拡散され、話題となった。その後、同様に街角でスカーフを脱いで写真を投稿することで、体制に強制されてきたヘジャーブに反対する女性たちの運動が新たに開始し、支持を集めている。
改革派と現実派のリーダーを中心に、「これまでの体制の矛盾や問題を直視し、真剣に改革に取り組まない限り、イスラーム体制は崩壊するだろう」という危機感を基にした発言が多くなされている。今回の抗議活動を受けて、改革派議員の主導により、テヘラン市議会と国会では、「抗議集会の限定的な合法化を目指す法案」を用意している。これに対し、多くの既得権益を握る保守派の動きは鈍い。
そうした中、2月14日の革命記念日39周年の演説で、ロウハーニー大統領は、「互いに論争となっているテーマについて、憲法59条に基づいて国民投票をすれば良い」と広言した。原則主義派系メディアは、早速、国民投票に反対の姿勢を示したのに対し、国内外の識者の間からは、賛成の意が寄せられている。これまで、イランで国民投票が実施されたのは、1979年革命直後の3月に「イスラーム共和制か否か」を問うたもの、同年12月の憲法の承認、1989年7月にハーメネイー師が最高指導者に就任できるよう修正された憲法改正と、国家の命運を分ける重要項目について実施されてきた。国民投票を実施するためには、国会議員の3分の2の賛成が必要である。加えて、国民に何を問うのか、ハーメネイー最高指導者やその支持基盤である保守派との入念な調整を要し、投票結果によっては、イスラーム体制の存続すら揺るがせる重要なものとなる可能性がある。現状の行き詰まりを打開しない限り、いずれ不満を蓄積させた貧困層と中間層が合流した時、イスラーム体制は、もはやその抗議運動を従来の方法で鎮圧することは困難な岐路に立っている。
注
1 2017年12月30日付BBC Persian報道「反政府の経済抗議に直面して途方に暮れる政治派閥」<http://www.bbc.com/persian/iran-features-42524136>, accessed on December 31, 2017.
2 “Iran: Protest Gathering of More Than 1500 Depositors of Credit Institution in Tehran,” NCRI Iran News, 17 January 17, 2017, <https://www.ncr-iran.org/en/news/iran-protests/21966-iran-protest-gathering-of-more-than-1500-depositors-of-credit-institution-in-tehran>, accessed on January 5, 2018.
3 2018年1月9日付BBC Persian報道「なぜイランの最近の騒動は、全国民的な運動に至らなかったのか?」
4 Najmeh Bozorgmehr, “Protesting Iranians Despair at Barren Economic Landscape,” Financial Times, January 1, 2018; 2017年12月10日付BBC Persian報道「1397年度予算法案についての6つのポイント」<http://www.bbc.com/persian/iran-features-42284086>, accessed on December 11, 2017.
5 2017年12月30日付BBC Persian報道「反政府の経済抗議に直面して途方に暮れる政治派閥」<http://www.bbc.com/persian/iran-features-42524136>, accessed on December 31, 2017.
6 2018年1月23日付BBC Persian報道「イランにおける抗議の理由についての内務省の報告:外国の敵と一般的な信頼喪失」<http://www.bbc.com/persian/iran-42792179>, accessed on January 24, 2018.
7 2018年2月7日付BBC Persian報道「抗議についての世論:大多数が不満を持ち、31パーセントが改革を不可能と考えている。」<http://www.bbc.com/persian/iran-42984288>, accessed on February 8, 2018.
※本稿は、「第3章 岐路に直面するイラン・イスラーム共和国体制————2017年末抗議デモの特徴と原因」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。