※本コラムは、韓国外交安保研究院と当研究所の共催で2011年6月15日にソウルで行われた日韓協議に際し作成したディスカッション・ペーパーである。
1.はじめに
本年3月11日、日本は未曾有の大震災にあい、その後の津波、さらには福島の原子力発電所をめぐる諸問題など、その被害の規模は想像を超えるものとなり、依然として多くの課題を残している。こうした災害に際して韓国は、いち早く3月14日には救助隊を派遣し、総勢107名の救助隊員による救助活動を行ってくれたし(1) 、また、毛布、食料などの物資を支援してくれた(2) 。日本政府はもちろん日本の国民が韓国に対して深い感謝の気持ちを持ったことは間違いない。また依然として復興への長い道のりが予想されることから、引き続き韓国からの協力は日本にとってかけがえのないものであろうし、多くの日本国民は韓国のそうした協力姿勢に大いに勇気づけられるに違いない。
今回のような災害によって、あらためて近隣諸国からの協力の必要性と重要性を認識させられるが、こうした突発的事態に対する緊急の協力も、中長期的な視点に立った協力関係、友好関係がその土台となることはあらためて指摘するまでもない。また、今回のような緊急事態を別にしても、日韓両国をとりまく環境は、中長期的な視点からの日韓協力の必要性隣国との協力関係は必要不可欠であり、これまでにも日韓協力を効果的に機能させるための努力が続けられてきた。とりわけ、北朝鮮に端を発する諸問題をめぐって日韓両国は協力を維持してきた。拉致、核、ミサイルを包括的に解決しようとする日本にとって、こうした問題が日本単独の力によって解決するものではなく、国際社会との協力が必要不可欠であり、とりわけ韓国との協力の重要性は改めて指摘するまでもない。また、国際政治における中国のプレゼンス増大を前提として、日本にとっての東アジアにおける快適な外交空間を確保するためにも、韓国との協力は必要不可欠なのである。韓国もまた同様に日本との協力の必要性が以前にも増して高まっている状況にあるのである。こうした象徴的な日韓協力の必要性について異を唱える者はいないであろうが、いざ具体的な行動を起こすに当たってはさまざまな問題が存在するのも事実である。
本報告では、こうした視点に立ち、中長期的視点に立った日韓両国の協力の必要性を整理し、具体的な協力行動のための課題を示すことを目的としている。
2.日韓協力と日米韓の枠組み
北朝鮮の核問題は、日韓協力が試される緊急の課題と言ってよい。周知の通り、北朝鮮の核問題は、6者協議によって扱われてきた。しかし、残念ながら、6者協議は効果的に北朝鮮の行動を抑制することができず(3) 、その結果、北朝鮮はついに2006年10月3日に核実験を実施したのである。とりわけ、その後、米国の姿勢変化によって2007年初からは米朝交渉が6者協議に先行する形をとることとなり、6者協議は米朝の合意を追認する場となってしまった。その後も6者協議は本来の使命を果たすことができず、2009年5月、北朝鮮は2度目の核実験を強行したのである。
6者協議がなぜうまく機能しなかったのかについては様々な分析があろうが、少なくとも国際社会の足並みが乱れては北朝鮮に対して効果的に働きかけることができないことは間違いない。その際、とくに日韓と米国の3カ国の協調は必要不可欠である。もちろん日米韓3国は、それぞれの安全保障に対する姿勢の微妙なズレがあるものの3国協力を維持してきた経験を有している。いわゆる日米韓調整会合(TCOG: Trilateral Coordination and Oversight Group)(4) がそれである。北朝鮮による1998年の弾道ミサイルテポドン発射実験以降、米国は北朝鮮政策を見直したが、その一環として、日韓両国との協力の必要性を強調し、北朝鮮政策に関する日米韓三か国による局長級事務レベル協議で、政策調整会合を制度化したのである。このいわゆるTCOGは1999年4月に始まり、数か月に一度の割合で開かれ、北朝鮮に対し、三か国が具体的な政策面で連携を強化しようとしたのである。こうした試みは金大中政権とクリントン政権の間でうまく機能することとなった。すなわちクリントン政権は、金大中の北朝鮮宥和政策による2000年6月の南方首脳会談を契機として米中関係を進展させ、オルブライト国務長官の訪朝に続いてクリントン大統領自身が北朝鮮を訪問する可能性まで検討されたのである。こうした試み北朝鮮のミサイル問題が原因で結局霧散してしまうが、その後の米国における政権交代によって雰囲気は大きく変わることとなった。クリントン政権に続いて登場した共和党のブッシュ政権ではいわゆる新保守主義者たちの影響力が強く、金大中政権の北朝鮮に対する宥和政策を否定してより厳しい姿勢で臨むとしたのである。そうした米韓間のズレは2003年からの盧武鉉政権でより顕著となり、TCOGでは3国間の実質的な政策調整の場とはなり得なくなってしまったのである。さらには、2002年10月から、いわゆる第二次核危機が始まり、2003年からは北朝鮮問題が北朝鮮、韓国にくわえて米国、日本、中国、ロシアによる6者協議で扱われることとなったため、TCOGはその使命を終えることとなった。しかし、日米韓三国によるTCOGという枠組みは、たとえば日韓を“仮想同盟”とするなど、日米同盟と米韓同盟を連携させて制度化する試みであったことは間違いない(5) 。
この後、6者協議の枠内で、日本、韓国、米国は北朝鮮政策について必ずしも協調関係を維持することができなかった。拉致、核、ミサイル問題の解決を目指す日本は北朝鮮に対して厳しく臨むべきとの立場をとったし、金大中、盧武鉉両政権の北朝鮮に対する姿勢は、宥和政策を基本とするものであった。また、政権の前半、北朝鮮に対して厳しく臨んだブッシュ政権は、2006年10月に北朝鮮が核実験を実施するやそれまでの姿勢を大きく変えて、対話路線へと進み、日本との路線の違いを明確にした。こうした日米韓3国のそれぞれの北朝鮮に対する姿勢のズレは、韓国で李明博政権が誕生し、また、米国でオバマ政権が誕生したことにより、一定程度協力を維持することができるようになっている。もちろん、様々な問題はあるものの、少なくとも、これまでのそれぞれの政策を見る限り、日米には、韓国が北朝鮮問題の中心的当事者であるとの認識は共有できているし、一方の韓国も、北朝鮮との関係を日米との関係に優先させることはない。北朝鮮が2度目の核実験を実施して以来、依然として6者協議再開が難しい状況ではあるが、日米両国は韓国の立場と役割を尊重しているし、韓国も日米との関係を重要視している。このような状況であるからこそ、今一度TCOGの精神に立ち戻って日米韓3カ国関係を制度化する試みをする必要があるのではないだろうか。
3.韓国にとっての中国の意味-哨戒艦沈没事件と延坪島砲撃事件
「非核・開放・3000」政策に象徴される李明博政権の北朝鮮政策に対して北朝鮮は強く反発し、南北関係は緊張することとなるが、その過程で韓国にとってより大きな問題が発生した。中国の北朝鮮問題に対する姿勢である。2010年に発生した二つの事件・すなわち哨戒艦沈没事件と延坪島砲撃事件は、韓国が北朝鮮と向き合う際の中国の存在の大きさをあらためて意識させたのである。とりわけ哨戒艦沈没事件をめぐって韓国は中国の存在感を思い知らされることとなる。
2010年3月26日に発生した韓国海軍哨戒艦・天安号の沈没は、その後の調査結果により北朝鮮の魚雷攻撃によるものとされた。韓国は5月20日に、米国、英国、スウェーデンを含めた四カ国による軍民合同調査団によって行われた調査の結果を発表し、同事件を北朝鮮による犯行としたのである(6) 。李明博政権は北朝鮮に対する国際協調の形成を目指した。このような李明博政権の思惑にとってきわめて大きな障害として立ちはだかったのが中国であった。同事件が北朝鮮の犯行との疑惑が高まる状況下、中国は金正日の訪問を受け入れたのである。この中国の動きに対して李明博政権は不快感を隠さなかったが、中国は、「客観的かつ科学的な証拠」の提示を繰り返し求め、調査結果については不十分との立場を譲らなかった。結局、国連安全保障理事会は、決議ではなく議長声明という形この事件を総括することとなるが、北朝鮮の犯行との明示はなく、韓国からすればきわめて不満の残る結果となったのである(7) 。
この哨戒艦沈没事件は、韓国に中国という新たな懸念を意識させることとなり、従来にも増して日米との関係強化の必要性を痛感させられることとなった。この過程で、韓国は、朝鮮半島有事の際に米韓連合軍司令官が持つ韓国軍の指揮権である作戦統制権の韓国への移管について、当初予定の2012年4月17日から15年12月1日に延期することで合意したのである。
さらに、韓国にとってより日米との関係を強化する必要性を痛感させられる事件が発生した。2010年11月23日、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃したのである。被害が民間人にまでおよんだこの事件によって朝鮮半島の緊張状態が一気に高まった。この事態に対して韓国は黄海で米国との軍事合同演習を行った。そもそも、黄海での軍事合同演習については哨戒艦事件の直後にも検討されたが、中国を過度に刺激するとの配慮から場所を日本海に移して実施された経緯がある。当然、この演習には北朝鮮のみならず中国も警鐘を鳴らしていたが、北朝鮮のこの攻撃的な姿勢についても中国は北朝鮮を過度に刺激するべきではないとの立場をとり、軍事演習をおこなう韓国に対して批判的な態度をとったのである(8) 。この事態に対して、やはり日米韓3国協力の重要性がふたたび強調され、2010年12月8日、米軍のマレン統合参謀本部議長は、韓民求合同参謀本部議長と会談をおこなって米韓同盟による対応を確認した。マレン議長は同時に日本の役割にも触れ、「一致団結し、より確固な努力を見せる必要がある」としながら、米韓軍事演習などへの積極参加を求めた。韓国軍は、12月3日に開始された日米共同統合演習に初めてオブザーバーとして参加し、日米韓の実質的な安全保障協力はより実質的な協力関係へと進展することとなったのである。
この二つの事例は、日韓の協力関係に米国の存在が不可欠であることを日韓両国にあらためて認識させることとなったのである。
4.おわりに・日韓協力の課題
6者協議の限界が指摘され、北朝鮮が挑発行為を繰り返し、さらには中国が北朝鮮との関係を強化しているため、日韓協力は従来にも増してその重要性が高まっている。しかしながら、そこには当然のことながら大きな課題がある。日本との安全保障協力についての韓国国民の警戒観だ。たとえば、菅総理は12月11日、「有事で自衛隊機で救出に向かおうと思った時、まだ日韓の間ではルール作りができていない。自衛隊の輸送機などが受け入れてもらえるか、そういうことについて考えなければいけない。韓国との間でも安全保障に絡む協力関係が進んでいるので、少しずつ相談を始められれば(いい)」と述べて、朝鮮半島有事が起きた場合、在韓邦人救出のための自衛隊の現地派遣を実現するため、韓国政府と協議を開始する意向を表明したのである(9) 。これに対して韓国メディアは一斉に反発する。韓国の保守系メディアである『朝鮮日報』は12月13日の社説で「韓国としては日本による植民地支配といった歴史問題はもちろん、日本が独島(竹島)の領有権をもいまだに主張していることもあるため、自衛隊が韓半島周辺で活動することを受け入れるわけにはいかない」、とした(10) 。さらに進歩系の『ハンギョレ新聞』も、同じく12月13日付け社説で「延坪島事件によって緊張が高まっている状況で、友好国の総理が有事を想定した非難などという発言をしたことによって国内外の不安を刺激している」「朝鮮半島の不幸な事態を利用して自国の利益を得ようとする軽薄な内心が現れている」「自衛隊の活動範囲が自国民を避難させる以上に拡大する余地がある・・・自衛隊の派遣が韓半島に対する軍事介入に拡大することができるという話なのだ」などとして批判したのである 。
このように微妙な国民感情があるにもかかわらず、韓国は徐々に日韓防衛協力を具体化しようとしている。韓国のそうした姿勢は、2011年1月10日の日韓防衛相会談でより具体的なものとなる。北沢防衛相は金寛鎮国防相と会談し、国連平和維持活動、海外への災害派遣などの際に自衛隊と韓国軍との間で水や燃料などの提供を相互に行う物品役務相互提供協定(ACSA)の締結に向け、両国が今後協議を進めることで一致したのである。さらに日韓双方は、安全保障に関する情報保護の「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」の必要性についても認識の一致を確認したのである 。この2つの協定は、すでに日米、米韓の2国間では結ばれているが、日本と韓国の間では結ばれていなかった。こうした動きは日米韓3国関係をより制度化するための試みであることは間違いない。
もとより、こうした日米韓3国協力関係強化の動きは北朝鮮に対応するものではあるが、より中長期的に考えれば、中国のプレゼンスが増大する状況を視野に入れざるを得ないであろう。それを前提とするとき、日米韓協力は必要不可欠となる。中国が存在感を増し、なおかつ北朝鮮問題に象徴されるように中国と日韓両国の姿勢が必ずしも一致しないことを前提とすれば、なおさら日韓両国にとって米国の存在は不可欠となる。日韓両国は、米韓相互防衛条約と日米安全保障条約を利用しながら東アジアの安全保障環境を構築して行かざるをえないであろう。そのためには、日韓の安全保障協力が必要とされるが既述の通りそのために韓国は微妙な国民世論に配慮しなければならないであろう。逆説的ではあるが、日本との二国間の安全保障協力が依然として難しい状況下、日米韓3国協力を前提とし、その枠内で日韓協力を充実させていく必要がある。そのためには、日韓両国が米国の必要性についての認識を共有し、また、日韓二国間で構造的に発生する問題について慎重に処理する必要があるのである 。しっかりとした日韓協力を前提として日米韓3国協力が実現できるかどうかは、今後の東アジアにおける日韓両国の立ち位置を決める重要な試金石となることを忘れてはならない。
(1) http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/pdfs/katudouitizu.pdf(2011年5月26日アクセス)
(2) http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/pdfs/bussisien.pdf(2011年5月26日アクセス)
(3) 6者協議の経緯と限界については、拙稿「北朝鮮核問題と6者協議」『アジア研究』第53巻第3号(2007年7月)、25・42ページを参照されたい。
(4) TCOGについては、たとえば、
阪田恭代「北東アジアの地域安全保障協力:アーキテクチャ論からの分析(試論)」
東京財団研究報告書『アジア太平洋の地域安全保障アーキテクチャ ―地域安全保障の重層的構造―』(2011年5月26日アクセス)
を参照されたい。
(5) このあたりの議論については、たとえば、Ralph A. Cossa, “US-ROK-Japan: Why a ‘Virtual Alliance’ Makes Sense”, The Korean Journal of Defense Analysis, Vol. XII, No. 1 Summer 2000, pp.67-86. Gilbert Rozman and Shin-wha Lee, “Unraveling the Japan-South Korea ‘Virtual Alliance’: Populism and Historical Revisionism in the Face of Conflicting Regional Strategies”, Asian Survey Vol. 46, No. 5 (September/October 2006), pp. 761-784.
(6) 合同調査結果については、Joint Investigation Report On the Attack Against ROK Ship Cheonan, Ministry of National Defense of the Republic of Korea, 2010.
(7) このあたりの経緯については拙稿「韓国における政権交代と対外関係」『国際安全保障』第28巻第3号(2010年12月)、19・23ページを参照されたい。
(8) 『環球時報』2010年12月23日
(9) 『読売新聞』2010年12月12日
(10) 『朝鮮日報』2010年12月13日