コラム

中国の台頭と東アジアの安全保障秩序

2011-07-25
高木誠一郎(日本国際問題研究所研究顧問)
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※本コラムは、韓国外交安保研究院と当研究所の共催で2011年6月15日にソウルで行われた日韓協議に際し作成したディスカッション・ペーパーである。


30年わたる高度経済成長を経て中国が急速に台頭してきたことにより、その帰結や意味をめぐって世界的に論議が高まっている。中国台頭の対外的帰結には確かに、1)経済発展の必要条件としての平和的国際環境の追求および国際制度への積極的参加、2)低価格消費物資の世界市場への供給(世界の工場)、3)中産階級の増大による国内巨大市場の世界への開放、4)財政危機国への支援(潤沢な外貨の活用と国際金融危機からの脱却)、5)発展途上国のインフラ整備への援助等の積極的な面がある。他方、それに伴う1)軍事力の急拡大(それを背景とする対外強硬路線の台頭)、2)温室効果ガス(特にCO2)排出の増大(及びその抑制への消極的取り組み)、3)越境汚染(東アジアにおける酸性雨や有害付着物を伴う黄砂の増大)、4)無法国家支援(エネルギーや戦略拠点の確保等を目的とする)、等の消極面が世界に多くの懸念をもたらしている。

中国の急速な台頭の帰結には上記のものを含む多くの側面があるが、それらが提起する最も根本的な問題は、中国がその増大する影響力によってどのような国際秩序を形成しようとしているかということである。別の表現を使えば、中国が国際システムの「責任ある利害関係者」として行動するか否かということである。この問題に対する一つの答えは、中国の急速な台頭が、グローバリゼーションの波に乗り、既存の国際システムに積極的に関与したことによって実現したものであることから、中国は既存の国際秩序を尊重し、その改善を要求することはあっても「革命的」変更を追求することはないというものである。中国政府の公式な立場も基本的にこのようなものである。しかしながら、少なくとも以下の理由により、われわれには深刻な懸念があることも否定できない。1)中国が日本を含む西側先進諸国と人権擁護、法の支配、政治的民主等の価値を共有していないこと。2)中国は、マクロの経済指標においては世界的な大国となったが、1人あたりの指標では依然として発展途上の水準にあり、世界秩序維持に不可欠な国際公共財(International Public Goods)を提供する意図と能力がどこまであるのか不確定である。3)政治的制度化が不十分なため、発展に伴う国内的矛盾の深刻化が政治的不安定状況をもたらす可能性を否定できず、そのような事態が生じれば国際秩序形成のかく乱要因となりうる。4)中国のナショナリズムは、歴史的要因により、排外主義的になりがちであり、国力の増大を背景にそのような傾向が顕在化する可能性がある。

このような観点から中国の国際秩序への取り組みを論ずる上で注目に値するのは、最近中国の対外姿勢に最近重要な変化が生じたことである。胡錦濤共産党総書記を中心とする指導体制は2002年11月の第16回中国共産党全国大会(十六全体会)直後に発足するが、そこで行われた江沢民総書記の「報告」における国際状況認識は極めて楽観的なものであった。江沢民報告は国際情勢全般について「比較的長期の平和な国際環境と良好な周辺環境を勝ち取ることは実現可能」という判断を示しており、「20世紀初頭の20年は、しっかり掴むべき、大いに成すべきところのある(大有作為)重要な戦略的好機」であるとも述べていた。ところが、2007年10月の第17回共産党全国大会で胡錦涛総書記が行った「報告」には、このような楽観的表現は見あたらない。胡錦涛報告は確かに、冒頭の部分で「戦略的好機」をしっかり掴み活用すべきことを述べているが、そこには具体的な時期の規定も「大いになすべきところのある」といった勇ましい表現もない。国際情勢全般についても、江沢民報告のような楽観的評価は示されていない。確かに長期的展望に関しては「世界の多極化は逆転できない」等の楽観的表現をしているが、同時に目前の情勢に関しては「覇権主義と強権政治は依然として存在し、局地的衝突とホットスポットがひっきりなしに顕在化し、グローバルな経済的インバランスが激化し、南北の格差が拡大し、伝統的脅威と非伝統的脅威が交錯し、世界の平和と発展は多くの難題と挑戦に直面している」という厳しい見方を示しているのである。このような情勢認識の下に胡錦涛が提起したのは、「新国際政治経済秩序」よりも後退した「和諧世界」の構築、防御的な国防政策、軍備脅威走の回避、地球環境保護への貢献、国際規範の遵守と国際義務の負担等極めて慎重で状況適応的な外交であった。

このような慎重姿勢への転換は江沢民が総書記と国家主席を辞任した後も保持していた党および国家中央軍事委員会主席の地位から辞任した(党中央軍事委からは2004年9月、国家中央軍事委からは2005年3月)頃から徐々に明確になった。「和諧世界」というコンセプトは胡錦涛国家主席によって2005年9月の国連創設60周年記念首脳会議の演説の中で大々的に提示され、その主内容として、①多国間主義の堅持、共通の安全保障の実現、脅威への共同対処、②互恵的協力と共同発展、③政治体制・文明・社会制度の多様性、④国連改革が挙げられた。

中国が慎重な対外姿勢に転換する契機となったのは2006年8月に行われた「中央外事工作会議」であった。この会議は、中央外事弁公室を中心とする6ヶ月の調査を踏まえて実施に至ったもので、その主要テーマは今世紀に入りに急速に進展した中国の対外進出(走出去)のもたらした諸問題への対応であった(1)。主催者の念頭にあったのは、ダンピング等不公正貿易慣行、海外進出企業による現地労働者の待遇や環境破壊、石油その他の天然資源の買いあさり等による海外における対中不満の高まり等が中国の国益を阻害し、ソフトパワーを減殺していること、および中国の高度経済成長により発展途上国の対中要求水準が上昇している、という問題であった。これらの問題への対応の基本として再確認されたのは中国が依然として「社会主義の初級段階」にある発展途上国であるという認識であった。この会議における論議は、1989年に鄧小平が提起した「韜光養晦」(能力を隠す)と「有所作為」(できることをする)のバランスをどうとるかという点に収斂し、前者に力点を置くべきことが結論となった。また、この会議を報じた『人民日報』の記事における「戦略的好機」への言及には「大いになすべきところのある」という修飾句は付いておらず、それは今や「擁護・活用」の対象とされているのである。「戦略的好機」の存在はもはや所与のものとはされず、十六全体会における江沢民報告の楽観姿勢は明確に後退したといわざるを得ない。

ところが、2006年8月の中央外事工作会議以降の慎重姿勢は最近再度修正された模様である。その契機となったのは、2009年7月に開催された駐外使節会議であった(2)。この会議でも「韜光養晦」と「有所作為」の関係について熱のこもった議論があり、結局胡錦涛の裁断により、「堅持(●●)韜光養晦、積極(●●)有所作為」という形で決着がついた。『人民日報』の報道によれば、この会議で演説した胡錦涛は、国際金融危機以降、発展途上国の国際的役割拡大の要求が高まり、国際金融体系および世界経済管理機構が衝撃を受けていることから、「多極化の前途はさらに明瞭になった」という楽観的認識を示した。また、「本世紀初頭の20年が我が国発展の重要な戦略的好機」という2002年の江沢民報告の状況規定を復活させ、対外工作を「前向きにかつ主導的に」展開すべきことを述べたのである。胡錦涛のこのような積極性姿勢の背景には、胡錦涛がこの演説で直接述べたこととも関連するが、米国がイラク戦争の混迷や世界金融危機により影響力を低下させ、米中のパワー・バランスが中国優位に変化しつつあるとの認識があった。2009年に発足したオバマ政権が中国との関係構築を優先して、台湾向け兵器輸出やダライラマとの会見等困難な問題を先送りしたことも中国の自信を強める結果となった。また、2012年秋以降の政権再編に向けての権力闘争、ナショナリズムの高揚と頻発する暴動という政治的不安定性の予兆も中国を対外積極姿勢へと突き動かしていた。

この頃から中国は対外行動において強引に自己の立場を主張する傾向を顕著に示すようになった。アジアの安全保障状況と関連する示す具体例としては、2009年3月の南シナ海における米国情報収集船に対する「漁船」の妨害活動、主として米国に対して表明された南シナ海を「核心的国益」とする見解、2010年3月の天安号事件の際の北朝鮮非難拒否、7月の黄海における米韓合同軍事演習計画に対する強硬な反対、南シナ海における東南アジア諸国の漁船拿捕、9月の尖閣諸島海域における中国漁船と海上保安庁巡視艇の衝突事件への高圧的な対応、11月の北朝鮮による韓国島嶼砲撃に対する非難拒否等が挙げられる。

これらの中国の自己主張的行動はアジア地域におけるさまざまな反作用を引き起こした。中でも重要なのは米国がこの地域の安全保障に関与する姿勢を明確にしたことである。米国では中国が「責任ある利害関係者」となることに対する期待が裏切られたとの認識があり、米韓合同軍事演習の実施海域に関しては一定の対中配慮を示したものの、7月のASEAN地域フォーラムではクリントン国務長官が南シナ海の航行の自由が米国の国益であることを明言し、9月尖閣諸島をめぐる日中の紛争に際しては同地域が日米安保条約の適用を受けることを明言した。日本も日米安保条約の重要性を再認識するとともに12月に発表した「防衛計画大綱」では、中国の動向を注視する旨表明し、島嶼防衛、西南海域における警戒監視を強化する方針を表明した。韓国も、北朝鮮対応を目的とするものではあったが、米国との防衛協力を強化するとともに、日米韓の防衛協力に向けて動き出した。東南アジア諸国が米国の動きを歓迎したのは言うまでもない。

このような状況に直面して、中国は昨年12月頃から自己主張的対外行動を再検討し始めたようである。12月の米韓合同軍事演習が米国の原子力推進空母を投入して黄海で行われたにも関わらず中国の反発がそれほど強くなかったこと、年初以来拒否してきたゲーツ国防長官の訪中を受け入れたこと、胡錦涛国家主席が訪米を実施したこと等にそれが現れている。12月にはまた、中国が依然として「社会主義の初級段階」にあることを強調し、中国がすでに米国と同等の立場になったという考え方を批判し、「韜光養晦」を堅持することの重要性を説いた戴秉国の論文が発表された。最近では、シンガポールのシャングリラ・ダイアローグに、初めて国防部長を派遣し、南シナ海で領有権紛争を抱えるベトナム、フィリピン等に対して対話による解決を呼びかけた。しかしながら、これによって強硬手段に訴えて国益を追及する傾向に歯止めがかかったと判断するのは早計であろう。


(1) Bonnie Glaser, “Ensuring the ‘Go Abroad’ Policy Serves China’s Domestic Priorities,” China Brief, Volume 7, Issue 5 (May 9, 2007)

(2) Bonnie Glaser, “China’s 11th Ambassadorial Conference Signals Continuity and Change in Foreign Policy,” China Brief, Volume IX, Issue 22 (November 4, 2009), pp.8-12.