経済危機から近代化政策へ
「モデルニザーツィヤ」、日本語では「近代化」。これが最近のロシアの政策全般におけるキーワードになりつつある。近代化と言えば、本来なら前近代から近代への移行を意味する言葉であり、産業革命期のヨーロッパや明治維新の頃の日本など、工業化や国民国家の成立が進んだ時期が思い浮かぶ。ロシア自身の歴史を振り返っても、18世紀初めのピョートル大帝の西欧化政策やスターリン時代の工業化が一種の近代化のプロセスであったと言える。では21世紀を迎えたロシアで、なぜまた「近代化」という言葉が脚光を浴びるようになったのだろうか。
その発端となったのは、2009年9月にメドベージェフ大統領が発表した論文「進め、ロシア!」 (1) 、およびその方針をより具体化した2009年11月の連邦議会(上院)での年次教書演説 (2) であった。これらの中でメドベージェフは、ロシアが抱える問題点として、第1に資源輸出に依存する原始的な経済構造、第2に慢性的な汚職の蔓延、第3にロシア社会に存在するパターナリスティックな意識、つまり国民が問題の解決を自らではなく、国家や外国などの他者に頼ろうとする姿勢を挙げている。そして、これらの問題を克服するべくロシアは再び包括的な「近代化」を行う必要があり、それができるかどうかに世界の中でのロシアの生存がかかっていると、変化への強い意志を表明しているのである。
このような意識は、ロシアが2008年のリーマン・ショック以来の世界経済危機を経験する中で生じてきたものであった。ロシアは今世紀に入り、石油価格の世界的な高騰という追い風を受けて高度な経済成長を遂げてきた。しかし、今回の金融危機によって非常に大きなダメージを受け、資源に依存した経済が世界的な市況の変化に対して脆弱であることが示された (3) 。その結果、ロシア経済の長期的な安定性を実現するためには、近代化と産業の多角化が不可欠であることが改めて認識されるようになったのである。
近代化政策の主な内容
ロシアにおいて資源依存が問題とされるのは今に始まったことではないが、メドベージェフ大統領の近代化政策は、経済を中心に教育改革、民主主義制度の強化、汚職の撲滅、軍備の更新、新たな外交政策と、社会全般にわたる内容になっている。とくに重点が置かれている経済面では、近代化の優先分野として①医療技術・設備、製薬産業②エネルギー効率性の改善③原子力エネルギー④宇宙技術・テレコミュニケーション⑤戦略・IT技術の5つが挙げられている。いずれも先端的なイノベーション部門であるが、これらの分野で世界水準へのキャッチアップを図ることが課題とされている。
具体的には、例えば医薬品部門においては輸入品に席巻される国内市場での国産品のシェアの引き上げ、エネルギー効率の分野ではこれまで使い放題だった電気・ガスなどの利用について各家庭へのメーターの設置、白熱灯の省エネ電球への移行、石油採掘に伴う随伴ガスの有効利用などが課題とされている。さらに、原子力部門では次世代型原子炉の開発と海外市場への積極的な展開、宇宙技術・通信の分野ではブロードバンドの普及やデジタルTV、第4世代携帯電話への移行、衛星を利用した交通・輸送モニタリングシステムの導入、戦略・IT技術の分野ではスーパーコンピューター、およびそれを利用した航空機や宇宙船などの開発、電子政府の導入、といった具合である。
この内容を見る限り、近代化という用語こそ新たに用いられるようになったものの、イノベーション型経済への移行など、方向性としてはプーチン政権下ですでに課題とされていたことが踏襲された形になっている (4) 。ただし、プーチン政権期に相次いで設立された「国家コーポレーション」の見直しなど、経済の国家管理については縮小する方針で、国が近代化の見込みのない企業や資産まで抱え込むことには否定的な見解を示している。また、諸外国との関係も、何よりも近代化によるロシアの国益を追求するものとして再定義されている。つまり、ロシアの新たな外交方針は、諸外国から近代化実現のための資金や技術を積極的に導入することに主眼を置いた極めてプラグマティックなものになっており、ヨーロッパやアメリカ、日本などは経済協力を求める主要なパートナーと位置づけられているのである (5) 。
近代化は可能か?
さて、ロシアは往々にしてプログラムを作ることには長けているが、その執行能力には疑問符がついてきた。今回も、問題は果たして近代の実現が可能なのかどうかということである。近代化の方法として挙げられているのは、国有産業の縮小再編に加え、世界レベルのR&D環境の創出、投資プロジェクトの許認可期間の短縮といったイノベーション促進のための法制度改革、優遇税制などである。とくにR&Dの促進のためにロシア政府はモスクワ郊外のスコルコヴォにロシア版シリコン・バレーを創出するプロジェクトを推進しており、国内外から3~4万人の頭脳を集め、グローバル市場で戦える新たなテクノロジーの開発を目指すという。減免税措置などによる積極的な外資の誘致活動が行われており、メドベージェフ政権を支援する意味もあって、欧米諸国からの企業の進出も進んでいる (6) 。
ただし、こうした外資への期待の大きさは、ロシア国内に近代化へのモチベーションを持った主体が欠けていることの裏返しでもある。ロシアでは石油・ガスをはじめとする資源産業が圧倒的な存在感を保っており、実にGDPの3割弱、財政収入の5割弱、輸出の約65%が石油・ガス産業によるものである (7) 。しかし、「資源の呪い(resource curse)」という言葉があるように、ロシアにとって最大の強みである資源の存在こそが、近代化を妨げる要因ともなっている。
まず、いわゆる「オランダ病」の問題である。これは資源国において資源輸出の増加によって為替レートが切り上がり、その結果国内の他部門の競争力がなくなってしまう現象を指しているが、ロシアもその影響を受けており、中間およびハイテク製品の輸出ではブラジルや中国など他の新興市場国に及ばないのが現状である。また、主に資源産業からの受益者であるエリート層に加え、国民の間でも危機前のような資源価格の高騰による成長への期待が大きく、大統領の熱意とは裏腹に、近代化への社会的な支持が欠けているという問題がある (8) 。資源価格が下落すると一時的に危機感は高まるが、それが回復すれば、国民もエリートも痛みを伴う改革よりもステータス・クオの維持を望む傾向が強いのである。ロシアが産業構造を多角化し、近代化を実現するためには、資源産業から得られる富を他部門に移していく必要がある。しかしこれまで資源部門で獲得されたレント(超過利潤)は、海外への資本逃避や短期的利益目当てのM&Aに向かうか、政府の手で石油価格の下落に備えて基金に積み立てられており、設備投資や製造業の育成などには回っていない。
ロシアでは歴史的に改革は「上から」行われるのが常であった。近代化政策もまた然りであるが、いくら掛け声が立派でも、企業や社会全体にそれに応える能力やモチベーションがなければ、その効果は限られたものにならざるを得ない。外国企業の誘致によって期待される技術移転も、受け手であるロシアの人々や企業に技術を吸収し、生産や事業化につなげていく能力があるかどうかが成功の鍵となるだろう。そう考えると、近代化はロシアが自らを変えられるのかどうかが問われる非常に高いハードルであり、少なくともそう短中期的に達成可能なものではないように思われる。ロシアの近代化の行方を占う上では、政府の政策方針への注目とともに、企業や労働者の行動、ロシア社会に根付いた様々な制度のあり方など、下からの視線も併せ持つことが重要だろう。
(1) http://www.kremlin.ru/news/5413
(2) http://www.kremlin.ru/transcripts/5979
(3) ロシアのGDPは1999年から2008年まで年平均6.9%で成長したが、2009年は-7.9%の減少に転じた(数値はロシア統計局ウェブサイトより)。
(4) これは経済以外の内容についても当てはまる。いわゆる「プーチン・プラン」(2007年末の下院選挙での与党「統一ロシア」の選挙綱領)、「2020年までのロシアの発展戦略について」(2008年2月8日)などを参照。
(5) Newsweekロシア語版、2010年5月9日。http://www.runewsweek.ru/country/34166/
(6) 『日本経済新聞』2010年7月11日。
(7) 数値は2006年時点のものである。Philip Hanson (2007) The Russian economic puzzle, International Affairs, Vol.83, No.5.
(8) V.Mau (2010) Ekonomicheskaya politika 2009 goda: mezhdu krizisom i modernizatsiyei, Voprosy Ekonomiki, No.2.