*** 日本国際問題研究所「中国外交の問題領域別分析研究会」 ***
比較的長い歴史を持つ中国の対外援助
最近、中華人民共和国(以下、中国)の対外援助に注目が集まっている。特に、ここ数年の間に中国のアフリカへの援助に関する報道や書物がかなり増えていることもあって、中国の対外援助は最近開始されるようになった、あるいは、中国は経済成長によって他国へ援助を行う余裕が出てきた、というイメージがあるかもしれない。しかし、実際のところ、中国の対外援助は、中国建国の翌年の1950年に開始され、今年2010年には60周年を迎えるほどの歴史がある。この間、中国は経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)のメンバーではなく、独自の立場から援助を行ってきた。
中国の対外援助は、国際情勢や中国の外交戦略の変化に伴い、変容を遂げてきた。簡単にいえば、1950年から1970年代後半までの30年間は、政治的な目的の強い援助が中心であった。もともとは、北朝鮮やベトナムなどの近隣の社会主義国に対して、朝鮮戦争やベトナム戦争で資本主義国と戦うための支援をすることから始まった。戦争が終わると、国の復興や、自力更生、社会主義路線での建国を助けるための援助を行った。また、中国は、周辺諸国以外のアジア・アフリカ諸国を中心とする第三世界に対しても、ソ連やアメリカの支配や植民地主義への抵抗、民族独立の運動の支援、さらには中国の影響力の拡大を意図して、幅広く援助を提供した。1950年代末以降、中国とソ連との関係が悪化していくにつれ、中国は米ソ両国に対抗して自国の影響力の拡大を意図するようになった。このための一つの有効なツールとして、中国の第三世界への援助は重視された。
1964年には中国の対外援助の基本原則として今日にも通じる「対外援助八原則」が発表され、平等互恵の原則に基づく援助、被援助国での主権尊重、自力更生路線での経済建設の実現などが謳われた。もともとアフリカへは1956年にエジプトに援助を提供したのがはじまりであったが、この八原則の表明後、アフリカへの援助がより積極的に実施されるようになった。中国からの援助を受けていたアフリカの国家は1963年末時点では6カ国にすぎなかったが、1977年までには36カ国に増加した(1)。
しかし、中国の対外援助の拡大方針には問題もあった。この時期の中国は、援助がいかに被援助国での経済発展に役立つかという発想よりも、できるだけ多くの国へ援助をして中国の影響力を拡大することを重視していた。援助開始当初は、食糧生産に直結する農業分野や軽工業部門を中心とする援助を意図していた。しかし、被援助国側の管理体制や政情不安、経済環境の悪化などにより、援助プロジェクトの経営が行き詰まるなどの問題が生じたため、被援助国にとっても管理が容易であり、中国にとっても友好関係を直接にアピールしやすい政府市庁舎、会議施設、スタジアム、道路、橋などの「記念碑」的なプロジェクトを中心とするように方針転換したという説明もある(2)。いずれにせよ、被援助国からのこうしたプロジェクトへの建設要請が多くなった結果、中国の国力に見合わないほど大規模な援助になっていった。
中国の対外援助政策は1970年代に入って大きく変化することになった。その背景には、まず、国際環境と中国の外交戦略の変化があった。1968年8月にチェコスロバキアで起こった自由化運動である「プラハの春」にソ連が軍事介入したことと、ソ連が他国への干渉を正当化する「ブレジネフ・ドクトリン」を主張したことによって、中国の指導者の間にソ連に対する警戒心が強まった。さらに、1969年3月に中ソ国境で両国の国境警備隊が衝突してソ連の脅威が現実のものとなったため、中国は、従来の外交戦略を大幅に見直し、ソ連を主要敵とする一方でアメリカとの関係改善を図ることを決定した。そして、1972年2月のニクソン訪中を経て、米中関係は正常化へ向かった。
国内的にも、中国の対外援助の規模が大きくなりすぎたことから、共産党指導部は1975年に対外援助の縮小方針を打ち出した。さらに、1978年12月に改革開放政策へと経済政策が転換されたことで、中国は自力更生路線を放棄し、外国政府からの借款や外国企業による投資を受け入れることになった。中国の限られた財政資金を経済成長のために集中的に投入する必要性から、対外援助も大幅に見直された。以後、中国の対外援助は、被援助国の経済発展に貢献するだけではなく、中国経済の発展にもつながる形で実施されるべきものとされた。1984年には鄧小平が「対外協力関係発展四原則」として、平等互恵と相互の主権尊重・内政不干渉・経済上の相互利益・共同発展を強調した。そして、中国の援助は、DAC諸国による援助のような先進国から途上国への片務的な便益や恩恵の供与とは異なり、援助をすることで中国も被援助国も便益を得るという互恵性が強調されるようになった。特に、中国は対外援助を、自国の貿易と投資を促進するための手段とみなして、積極的に活用していった。
1990年代には一連の援助制度改革が行われた。1994年には政府系金融機関として中国輸出入銀行が創設され、翌1995年から中国輸出入銀行が担当する政府利息補填優遇借款(以下、優遇借款)が本格的に実施されるようになった。これは中・長期間の低利貸付であるが、その名にある通り、中国政府が中国輸出入銀行に対して貸付利息の一部を補填する。そのため、被援助国政府に対しては優遇レートでの貸付となる仕組みである。以後、中国の対外援助は、無償援助、無利子借款と優遇借款の3つの方式が中心となったが、なかでも優遇借款が積極的に奨励されている。近年、中国政府は、中国企業の海外進出や中国製品の輸出振興、石油や天然ガスなどの資源の安定確保のための手段として、この優遇借款を積極的に活用している。今日の中国にとって、対外援助は自国の経済戦略と切り離すことのできない重要な手段であるとともに、中国外交の貴重なツールの一つとなっている。
中国の対外援助と国際開発援助レジームとの関係
他方、中国の対外援助は多くの点で批判を招いている。例えば、中国の優遇借款はタイド、すなわち「ひも付き」であるため、優遇借款の対象となるプロジェクトに使われる資機材や技術・サービスなどかなりの部分は中国から調達される。被援助国での援助プロジェクトの建設に中国人労働者が多く従事していることから、現地との摩擦が起こっている。コスト削減を徹底する中国企業の現地での行動が、中国の対外援助や中国そのもののイメージを悪化させる結果につながっていることもある。とはいえ、このような問題は今日の中国に限ったことではなく、他のドナー諸国もこれまで多かれ少なかれ直面してきた。そこで、以下では特に、中国の対外援助にユニークな課題として、西側先進諸国や国際機関を中心に形成されてきた「国際開発援助レジーム(以下、援助レジーム)」との整合性の問題を指摘しておきたい。
中国は、これまで「非DACドナー」として独自に対外援助を展開してきた。その結果、中国の対外援助は、援助規範や原理・原則、ルールの点で、援助レジームとはかなり異なっている。例えば、援助レジームにおいて、援助とは、被援助国の経済開発や福祉の向上を主目的として、援助国が被援助国に片務的に金銭やサービスなどの便益を提供することである。一方、中国は自らも「貧しい者」として、援助は平等互恵の経済取引として援助する側もされる側も相互に利益を得るものであって、援助をすることで中国も当然利益を得る必要があると考えている。援助レジームにおいては、援助を提供するかわりに被援助国に、貿易の自由化や民営化、ガバナンスの改善といった条件を付与することも多い。中国は、「内政不干渉」原則を掲げて援助レジームのコンディショナリティを批判する一方で、被援助国には「一つの中国」原則の遵守を求めている。
近年、中国の対外援助は、援助レジームとは質的に異なるだけではなく、援助外交が活発になるにつれて国際援助コミュニティにとっても無視できない存在となり、援助レジームそのものに影響を及ぼすようになっている。中国は、被援助国の政権の正統性、民主化やガバナンスの程度、人権保護や環境保全の状況といった国内事情を問わずに、援助を提供している。被援助国の政権からすれば、中国から援助を受けた方が国内の政策面での自由度が高いため、国際援助コミュニティからの援助を断ってでも中国から援助を受け入れた方が望ましい。現に、そのようなケースも出てきている。このように、中国から援助を受けるというオプションの存在が、被援助国の政権に「抜け道」を提供することになり、被援助国において本来必要な改革が停滞したり、時には「ならず者国家」の体制の維持や強化にもつながっている。
他方、中国の対外援助外交の影響は、マイナスのものばかりではない。例えば、サブサハラ諸国においては、中国は、その動機はともかく、経済インフラの建設を積極的に行っている。中国の対外援助は、これらの国での経済成長のための基盤づくりと投資環境の整備につながっている。その結果、国際援助コミュニティによる支援だけでは不十分なインフラ投資を「補完」している面もある。
さらに、最近、DAC諸国を中心とする国際援助コミュニティは、DACのメンバーではない援助国と積極的に接触して、意思疎通や援助についての情報交換を図るようになってきた。2009年にはOECDのDAC内に「DAC中国研究会」という2年プロジェクトのスタディグループが設置された。中国の学者と役人はもちろん、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、ノルウェー、日本、そして世界銀行と欧州委員会からも代表が参加している(3)。DAC諸国による中国の対外援助への理解を深めるための活動として注目に値する。
最後に、近年、中国の対外援助が大きく変化しつつあることも強調しておきたい。中国の対外援助外交が国際社会からの批判の対象になっている事態に直面して、中国中央の指導者層も対策を講じている。例えば、2006年8月に中国共産党が大規模な中央外事工作会議を開催した背景には、中国企業の積極的な「対外進出」(「走出去」)戦略によって中国の国際的なイメージが悪化したことへの懸念がある(4)。以後、中国政府は、中国企業の海外投資活動を推進する一方で管理・統制を強化しようと、2009年3月の「海外投資管理弁法(境外投资管理办法)」の公布など具体的な対策を行っている(5)。
この他にも、中国政府は、中国の対外援助プログラムの質の向上を目指して様々な取り組みを始めているようである。イギリスの国際開発省やアメリカの国際開発庁など海外の援助機関と接触を開始し、援助の仕組みなどについて調査・研究をしている。また、中国は、日本も含め諸外国と援助に関しての政府高官レベルでの協議も行うようになっている。さらに、中国は最近、援助戦略を多様化させているようである。例えば、2008年9月に温家宝首相が、国連ミレニアム開発目標(MDGs)ハイレベル会合でMDGsの実現を支援するための中国の対外援助政策を発表したように、国際援助コミュニティの開発目標に整合する援助を行う姿勢もみせている。
中国の対外援助外交は、現在、過渡期にあるのかもしれない。中国の対外援助はどのような変化を遂げようとしているのか。こうした変化は、中国のみならず、日本をはじめとする国際援助コミュニティや被援助国にとってどのような意味を持っているのか。中国側の援助についての情報開示がまだ十分には進んでいないため、本質を見極めることは大変難しい。しかし、固定観念にとらわれずに、冷静に観察し、しっかりと分析していくべき重要なテーマである。
(1) 何中順『新時期中国経済外交―理論与実践』時事出版社、2007年、269頁。
(2) 同上、287頁。
(3)“The China-DAC Study Group,”
(4) Bonnie S. Glaser, “Ensuring the “Go Abroad” Policy Serves China’s Domestic Priorities,” China Brief, vol. 7, no. 5, May 9, 2007, pp.2-3.
(5) 海外投資管理弁法は、中国企業が海外投資を行いやすい環境を作ると同時に、一部の重要な海外投資、例えば、中国と外交関係のない国への投資、中国側の投資額が1億ドル以上の海外投資、複数の国家や地域の利益が関わる投資などは重点的に管理をするなど中国政府によるメリハリのある管理体制を実現しようとする法律である。
関連するエッセイ:
(1) 「中国と東アジアの多国間安全保障の制度化:上海協力機構への関与を中心として」
/高木誠一郎(日本国際問題研究所研究員、青山学院大学)
(2) 「中国の対外イメージ戦略」 /中居良文(学習院大学)
(3) 「国際経済システムと中国」 /大橋英夫(専修大学)
(4) 「中国の核軍縮・軍備管理政策」 /浅野 亮(同志社大学法学部教授)
(5) 「法による権力政治の展開:海洋とその上空への中国の進出」
/毛利亜樹(同志社大学法学部助教、海洋政策研究財団特別研究員)
(6) 「中国の対外援助外交」
/渡辺紫乃(埼玉大学教養学部准教授、日本国際問題研究所元研究員)