*** 日本国際問題研究所「中国外交の問題領域別分析研究会」 ***
「経済大国」・中国の台頭
一般に「経済大国」とは、世界屈指の経済力と成長力を有し、他国にも影響を及ぼしうる国際貿易・金融の担い手であり、同時に多様な国際レジームや世界標準の構築者でもある。1970年代末の改革開放以後、中国経済は世界最高の成長率を維持しており、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済規模になることが見込まれている。また中国はすでに世界最大の輸出国、経常黒字国、外貨準備高保有国でもある。リーマン・ショックにより世界経済が「世紀に一度」の危機に陥るなか、中国は積極的な景気刺激策により逸早く景気回復の軌道に乗り、世界経済の牽引車として決定的な役割を果たすようになった。
しかし、中国の1人当たりGDPは2009年に3000台ドル半ばにすぎず、中国経済はいまだ市場経済への移行過程にある。しかも政治体制はといえば、共産党の一党独裁下にあり、人権、民族自決、大量破壊兵器の不拡散といった今日的な国際規範を無条件に肯定しているわけでもない。国際経済システムの数あるレジームにおいて、中国は「責任ある大国」としての役割が期待されている段階にある。その意味では、中国は新たな「経済大国」像を国際社会に提示しているともいえよう。
もちろん、中国は現行の国際経済システムの構築に参与できなかったことに関して潜在的な不満を抱いており、建国以来、新国際経済秩序を何度か提唱してきた。改革開放後は、多大な国内調整コストを負担しつつも、中国は現行の国際経済システムに自らを統合させる道を選択した。もっとも、国際経済システムから享受した便益に比べると、中国が支払ったシステム運営コストは限定的であり、ある意味で中国は「フリー・ライダー」的行動に終始してきたかのようにもみえる。
ところが、中国経済の台頭に伴い、現行の国際経済システムに対する中国の態度も微妙に変化しつつある。なかでも、今般の国際金融危機の主因となった米国の不完全な金融監督・管理体制、一次産品市場の高騰を導いた米ドルの下落など、中国は米国主導の国際経済システム運営に対して厳しい批判を繰り返している。
それでは、中国は現行の国際経済システムの再構築を志向しているのだろうか。現行の国際経済システムのもとには、通商、金融、環境、資源・エネルギー、援助など、多様なレジームが存在する。しかし、いずれもグローバルな規範、ルール、制度を欠いており、それを受容する主体も特定諸国(たとえば、先進諸国のOECDや原油生産・輸出諸国のOPEC)に限定されている。ここでは、比較的制度化が進み、かつ包括性を備えた国際レジーム、なかでも紛争解決メカニズムの制度化が進んでいるGATT/WTO体制とIMF体制を取り上げて、国際経済システムと中国との関係を考察してみよう。
国際通商(GATT/WTO)体制と中国
中国のGATT/WTO体制に対する態度は、まずドーハ・ラウンドへの対応に反映されている。2008年7月のWTO閣僚会議で中国がドーハ・ラウンドの妥協案に応じることはなかった。中国は貿易自由化に伴う義務は負わないとの立場を一貫して表明しており、そのために「新規加盟国」(recently acceded member)といったカテゴリーの提案も行った。他のメンバーからすれば、中国にはほとんど妥協の意志はないと映ったのも同然であった。もちろん、ドーハ・ラウンド難航の「責任」という意味では、インドも「同罪」かもしれないし、そもそも日欧米も積極的であったとはいいがたい。しかし中国は自由貿易体制の最大の受益者であり、中国が享受してきた便益と自らが主張する権益との間にはかなりのギャップが存在する、と多くのWTOメンバーが感じるのも無理はなかろう。
次に、中国の自由貿易協定(FTA)への対応もやや特殊である。世界的なFTAブームのなかで、中国もFTAにはきわめて積極的である。しかし、中国にとってFTAは二国間外交の延長線にほかならない。中国とASEANのFTAはその典型であり、FTAの内容は必ずしも包括・拘束的ではなく、きわめて緩やかで範囲も限定的である。安全保障から外資導入にいたるまで、中国に圧倒されている近隣諸国に対する中国の「配慮」が色濃く滲んだ内容となっている。一方、経済的に意味のある厳密なFTA、たとえば、中国とオーストラリアとのFTA交渉の進展はきわめて緩慢である。
ここでは、GATT24条とこれに拘束されない「途上国」・中国のFTAとの整合性の問題がある。FTAに関するGATT24条は、①域内の関税その他の貿易障壁は実質的にすべて廃止すること、②域外諸国に対する関税その他の貿易障壁は設立以前より増大してはならないこと、③合理的な期間内に合理的なスケジュールに従って設立することを明確に規定している。しかし、「途上国」・中国のFTAには、数多くの例外規定や別枠の自由化スケジュールが設けられている。
中国の関与するFTAの増加は、東アジアに次のような課題をもたらしている。第1は、将来的には東アジア共同体とも関連してくる東アジアのFTAのあり方、つまりASEAN+3(日中韓)、ASEAN+6(3+インド、オーストラリア、ニュージーランド)、FTAAP(アジア太平洋全域)をめぐる議論である。第2は、米国との関係である。かつてのマハティール元マレーシア首相の東アジア経済グループ(EAEG)提案時と同様に、「太平洋に線を引く」ことをめぐる議論である。第3は、異質なFTAが東アジアに並存する「スパゲッティ・ボール」の固定化の懸念である。
中国のWTO加盟までは、世界屈指の貿易国となった中国をWTO体制に組み込むことが世界の関心事項であった。それでは、世界最大の輸出国となった「途上国」・中国のFTAがGATT24条と整合的でないという現実は、どのように捉えればよいのだろうか。
国際通貨(IMF)体制と中国
IMF体制との関係では、まず「過小評価」批判の的となっている人民元の取り扱いが焦点となる。世界の主要通貨はフロート制をとっており、国際収支の自動調整機能により不均衡の是正を図っている。これに対して、中国は管理フロート制をとっており、現実には大規模な経常黒字を背景として、人民元レート安定化のために外為市場での大規模な介入を繰り返し、外貨準備を急増させている。
事実上の米ドル・ペッグの問題はさておき、外為市場への大規模かつ継続的な介入による人民元の実勢レートからの乖離は、人為的な競争力の維持として受け取られかねない。またIMF協定の「為替操作、国際収支調整の回避、不公正な競争力の取得」に該当する可能性もある。一方、中国にとって通貨や為替レートは「主権の権能」にほかならない。こうして極端なグローバル・インバランスが顕在化し、経常赤字国では保護主義が台頭するという悪循環が生まれている。ここでも、世界最大の経常黒字・外貨準備保有国の中国が「途上国」であるというねじれ現象が、国際通貨体制の攪乱要因となっているのである。
もちろん、中国の姿勢にも変化がみられる。2000年代半ばから、中国は米ドルへの過度な依存を回避し、利便性を改善するために、人民元の国際化に積極的である。すでに香港では、2004年2月に人民元預金業務、2005年2月に人民元建外債の発行が認められ、中国の金融機関が人民元建債券・国債を発行している。2009年7月からは、上海・広東と香港・マカオ、ASEANを対象に貿易取引の人民元決済も始まった。さらに2008年12月から、中国は韓国、香港、マレーシア、ベラルーシ、インドネシア、アルゼンチンなどとスワップ協定を相次いで締結している。この協定の目的は短期流動性危機への対応であるが、人民元の提供を通した貿易金融の役割が同時に期待されている。
人民元の国際化の狙いとしては、まず為替リスク、対外資産のキャピタル・ロスの回避、取引コストの軽減化があげられる。また貿易手続きの簡素化・円滑化、人民元建取引による中国の金融機関の競争力強化や上海の国際金融センター化という狙いもみえてくる。さらにいえば、シニョリッジ(通貨発行益)、今日的にいえば、基軸通貨国の特権があげられる。ドルの増発により輸入を継続させている、今日の米国が享受している「特権」である。
しかし人民元の国際化は、マクロ経済政策の攪乱要因となるホットマネーという代償を伴う。ところで、国際金融の世界では、「独立した金融政策」、「自由な資本移動」、「為替の安定」は同時達成できないことが知られている。人民元の国際化は、このトリレンマのひとつ、「自由な資本移動」を促す条件となる。しかし多様な地域を包含する「大国経済」・中国にとって、「独立した金融政策」は不可欠である。またアジア通貨危機の教訓から、中国は資本取引の自由化にはきわめて慎重である。現実に金融・資本市場が未成熟なまま資本取引の自由化を進めたことにより、「資本収支危機」に陥った事例は世界中でみられる。
これまで中国は、「為替の安定」、つまり米ドル・ペッグの維持と「独立した金融政策」を確保するために、「自由な資本移動」を犠牲にしてきたともいえる。しかしWTO加盟後、中国をめぐる資本移動は活発化しており、「独立した金融政策」(とくにインフレ抑制)を可能にするためには、柔軟な為替レートへの移行が不可避となっている。2005年7月の人民元改革は、この動きに沿った措置である。人民元に関していえば、中国は現行の国際通貨体制からの逸脱は基本的に不可能である。
グローバル経済下の重商主義的価値観
中国経済の台頭に際して、我々はまず「経済大国」の概念を再考する必要がある。中国は、これまでの歴史でみられたような最先進国、かつ国際システムの構築者としての「経済大国」ではない。また中国の対外経済行動には、現状では重商主義的な価値観が色濃く残存しており、主権国家、国民経済、民族産業などが非常に重視されている。もっとも、その一方で中国の対外経済行動には、ボーダレスな「華僑」的価値観を同時に垣間みることもできる。今後、中国が現行の国際経済システムを容認して「合理的」行動を続けるのか、それともシステムの再構築を目指すのかは、結局、システムの再構築・運営に要するコスト次第ということになろう。しかし、現行の国際規範、ルール、制度からの離脱は、中国に多大なコストを負担させることになる。2009年6月のBRICsサミットでのブラジル、ロシア、インドの言動と比べると、中国の対応は現状維持勢力と呼ぶに相応しいものであった。したがって、現行の国際システムに対する中国の対応は、今後とも「口先介入」にとどまるものとみられる。ただし、その頻度と程度には注目しておく必要がある。
以上
関連するエッセイ:
(1) 「中国と東アジアの多国間安全保障の制度化:上海協力機構への関与を中心として」
/高木誠一郎(日本国際問題研究所研究員、青山学院大学)
(2) 「中国の対外イメージ戦略」 /中居良文(学習院大学)
(3) 「国際経済システムと中国」 /大橋英夫(専修大学)
(4) 「中国の核軍縮・軍備管理政策」 /浅野 亮(同志社大学法学部教授)
(5) 「法による権力政治の展開:海洋とその上空への中国の進出」
/毛利亜樹(同志社大学法学部助教、海洋政策研究財団特別研究員)
(6) 「中国の対外援助外交」
/渡辺紫乃(埼玉大学教養学部准教授、日本国際問題研究所元研究員)