コラム

クメール・ルージュ裁判:「国際水準の国内裁判」のジレンマ

2009-12-18
下谷内奈緒(研究員)
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先月末、カンボジアの首都プノンペンで開かれているクメール・ルージュ裁判の初公判が結審した。この裁判は1970年代後半に行われた自国民大虐殺に対するクメール・ルージュ(ポル・ポト派)幹部の責任を追及するもので、初公判では戦争犯罪と人道に対する罪等で起訴されたトゥールスレン政治犯収容所の元所長、カン・ケ・イウ(通称ドゥッチ)被告についての審理が行われた。同様に戦争犯罪を裁く旧ユーゴ法廷(ICTY)、ルワンダ法廷(ICTR)が国連安全保障理事会によって設置され、また、その後に設置された常設の国際刑事裁判所(ICC)が多国間条約に基づく国際刑事裁判であるのに対して、同裁判はカンボジアが国連の協力のもとに国内に設置した特別法廷であり、その意味で国際刑事司法を画一的に適用するのではなく当該国の個別性を反映した法廷としての役割が注目された。しかし、初公判に対してはすでに人権団体などから裁判の質と司法の独立性に対して厳しい批判が出されており、戦争犯罪を国際裁判によらずに当該国内で裁くことのジレンマが窺える。

1975年から1979年にかけてカンボジアで政権を握ったクメール・ルージュは、原始共産主義社会の実現を目指して自国民を農村に強制移住させ、また大規模な粛清を行うことで、国民の21%に相当する約170万人を虐殺したとされている。今回、公判が終了したドゥッチ被告には、クメール・ルージュ裁判の第一陣として、約1万5千人が拷問の末に虐殺された政治犯収容所の所長としての責任が問われた。ドゥッチ被告は今年2月の公判開始以来、一貫して罪状を認めた上で、上官の指示によるやむを得ない犯行であったとして情状酌量を求める戦術をとってきたが、最終弁論になって一転し、カンボジア人弁護士が無罪と本件が法廷の管轄権外であることを主張して釈放を要求し、関係者を驚かせた。共に弁護にあたってきたフランス人弁護士は、この最終弁論については事前に知らされていなかったと言い、カンボジア人弁護人と国際弁護人の間での意見の相違が露呈された(2009年11月28-29日付 Cambodian Daily)。この他、裁判については人権団体などから、国内の政治的安定を理由に裁判に消極的な現政権による政治介入や、裁判にあたるカンボジア人スタッフの汚職の問題が度々指摘されてきた。検察は懲役40年を求刑しており、判決は来年3月に出される予定であるが、二審性を採用しているため、控訴されれば判決の確定には時間がかかる見込みである。裁判ではこれまでにドゥッチ被告を含む5人が訴追されており、他の4人の公判は2011年に始まる予定である。

裁判をめぐる国際社会とカンボジアの軋轢は、今に始まったことではない。法廷設置の話し合いは、1997年にカンボジア政府の要請により国連と同国の間で始まったが、実際に裁判が始まったのは2006年7月である。交渉の当初、国連の専門家グループは、カンボジアの司法制度が未熟であり政治的な圧力を受けるおそれがあるとの理由から、クメール・ルージュ裁判を国際裁判とするよう勧告した。しかし、カンボジア政府は「不適切に裁判が行われれば、すでに投降している元クメール・ルージュ兵を混乱させ、内戦を再発させかねない」と主張してこれを拒否し、国内法廷とするよう求めた。その結果、カンボジア国内刑法と国際法の双方が適用され、カンボジア人と外国人の裁判官と検察官が共同で裁判にあたる「国際水準の国内裁判」の形態を取ることとなった。この間には裁判官と検察官の国内・国際比率や裁判に関する国内法と国連・カンボジア間の協定のいずれが優位にあるか等をめぐって議論が紛糾し、国連が交渉を打ち切る場面もあった。結局、裁判の組織構造については、裁判官の数はカンボジア人が多数を占めるが(5名のうち3名)、最低1名の国際判事の賛成がなければ、決定を行わないという妥協が図られたのだった。国連との共同で設置された国内特別法廷は、これまでにカンボジアの他、シエラレオネ、東チモール、コソボにみられるが、当該国の裁判官が多数を占める例はカンボジアのみであり、その点で、カンボジア特別法廷は当該国家の意向を最も強く反映し、個別性の要素を前面に打ち出した裁判機構だといえる(古谷修一「カンボジア特別裁判部の意義と問題」『国際法外交雑誌』第102巻4号)

近年、紛争後の平和構築において治安やガバナンスと並んで「法の支配」の重要性が指摘されている。その一方で、同じく平和構築において重視されてきた被援助国の自主性(オーナーシップ)を尊重する考えから、国際司法の普遍的な適用のみならず、当該国の状況に合わせた配慮がなされるべきだとの指摘もなされてきた。例えば、2004年8月に発行された国連事務総長の安保理宛報告書は、国際社会は全世界に共通する万能な法の支配支援策を追求するのではなく、当該国の政治状況や被害者を含む国民との協議を踏まえ、国内の司法制度改革を促すような支援を行うべきだと述べている(Report of the UN Secretary-General on “The Rule of Law and Transitional Justice in Conflict and Post-Conflict Societies”, S/2004/616)。

2002年には国際刑事裁判所(ICC)が発足し、ジェノサイド罪、人道に対する罪、戦争犯罪を犯した個人の責任を追及する体制が出来た。しかし、これにより全ての戦争犯罪がICCで裁かれることになるわけではなく、まず、ICCは当該国が被疑者の捜査や訴追を行う能力や意思を有している場合には受理しないという「補完性の原則」を採択しているため、国内裁判の可能性は残されている。さらには、近年のオーナーシップを尊重する平和構築の考えからは、カンボジア特別法廷のように、当該国の司法制度を利用し、それを国際社会が支援する形をとる、国際・国内裁判の両方の側面を有した混合型裁判のニーズが高まるものと考えられる。クメール・ルージュ裁判は、普遍的な正義の実現と安定を優先させる当該国の主張のバランスをいかに制度的に計っていくのかを占う事例の一つとして注目される。