コラム

アジアの低炭素発展を目指した地域協力(1)

2009-08-10
西岡秀三(国立環境研究所)
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はじめに

日中韓の3国は、21世紀での更なる発展にむけて解決せねばならない共通の課題を抱えている。少子高齢化、エネルギー不足、環境資源制約、都市居住環境での生活の質維持、越境大気汚染、そして気候変化などである。これらはまた、他のアジア諸国がこの3国に続いて経済発展するときに直面する課題でもある。


気候変化へ対応するには、これまで世界と各国がたどってきたエネルギー大量依存型発展の基盤を大きく変えねばならない。しかしこれはまた他の課題を同時に解決するきっかけにもなりうる。気候という地球公共財の維持には、各国間の「競争」に先立って世界的な「協調」を必要とする。3国が協力して気候変化へ立ち向かうことで、よい地域モデルがアジアで出来れば、それは世界発展のパスへの新たな道標となるであろう。


1.低炭素社会入りは必至

科学の進歩が気候変化の懸念を明確にし、防止に向けて世界が早急に対応することを要求している。地球温度の上昇は科学的観測で明確であり、その影響は既に多くの自然・生態系、さらには人間社会へも及んできている。アジアでは、今でも社会基盤は脆弱であるが、気候変化の進行により水資源、農業生産、都市生活への悪影響や自然災害頻発などの大きな被害が予想されている。また、最近の気候変化の原因が人為的温室効果ガス排出に起因することもほぼ確実とされてきた。


気候システムの持つ慣性のため、大気中の温室効果ガスを今のレベルにとどめておいたとしても今後30年間の気温上昇はとめようがない。変化する気候に追従して人間社会を変えてゆく「適応策」を打つことが緊急の課題となってきている。しかし、大気中の濃度が増加するにつれて影響も大きくなるから、人間社会の適応にも限界がある。さらに気候システム全体が変わってしまうような不可逆変化も懸念されている。いずれにしても早急に気候安定化に全力を投じる必要がある。気候変化の影響の現れ方は世界の地域や部門で異なり、危険の認識は主体によって異なることから、何度上昇したら危険という明快な閾値は一律に設定することは困難である。もし工業化以前から2度程度の上昇に抑えるというEUの目標を達成しようとすれば、この10-30年の間をピークとして、2050年には今の排出を50%以上削減する必要があると推定される。


気候を安定化するには、大気中の温室効果ガスを一定にしなければならず、そのためには大気中への排出を地球の海洋・陸上生態系の持つ吸収能力以下にしなければならない。ところが悪いことに、生態系の吸収能力は温度上昇と共に減少してゆき、100-200年後には吸収量は現在の排出量の4分の一にまで下がるとみられている。そうなると気候安定化のためには、排出もそれにあわせて4分の一にまで大幅な削減を必要とする。
安定した気候を得ようとするならば、温室効果ガスの排出を大幅におさえた「低炭素社会」にせざるを得ないというのが、このように科学の面から必然的に決まってくる。これはまさに21世紀の世界が直面する今世紀最大の課題である。


2.低炭素社会化に向けた発展

低炭素社会への転換は、産業革命以来われわれが依存してきたエネルギー高度依存型技術社会からの脱皮を意味する。人類にとって、これは極めて大きな文明体系の変革であり、以下のような諸変革に向けて世界は一致して挑戦せねばならない。


エネルギー依存社会からの脱皮:多くの研究が、21世紀の間にエネルギー消費を現在の半分以下に抑え、削減されたエネルギーを化石燃料ではなく再生可能エネルギーを主とする低炭素型一次エネルギーで供給することを必要としている。それだけでも不足で、さらに炭素隔離・貯留(CCS)や森林土壌・海洋による地球規模での吸収力強化が必要である。最終的には、バイオマスにより二酸化炭素を吸収し、そのバイオマスをエネルギーに利用し、そのとき出る二酸化炭素を地下貯留することで、地球規模でマイナス排出にするといった案までも考えられている。


省エネルギー技術競争の開始:テレビの待機電力で代表されるように、これまでの技術の多くはわずかな効用を高めるのに多くのエネルギーを消費してきた。しかしこれからの技術は、いかに少ないエネルギーで大きな効用を生みだすかという、省エネルギー技術の勝負となる。低炭素社会に向けてこれまでの技術開発速度を倍加せねばならない。
再生可能エネルギーの開発推進:究極的には温室効果ガス排出ゼロの社会にせねばならないことを考えると、技術体系を太陽エネルギー、風力、水力等再生可能エネルギーに依存するものにせねばならない。自然エネルギーは地域分散型であり、その開発利用のためにはそれぞれの地域・地域での開発利用能力の構築を必要とするが、このことは地域自立性をたかめるものでもある。


低炭素社会システムの構築:単体技術の開発だけでは省エネルギー社会は実現できない。都市・交通や住まい方、土地利用といったインフラ自身を省エネルギー型に設計し、新しいエネルギーシステムを受け入れるものを変える必要がある。また法制度や慣習、個人のライフスタイルといったソフトウエアも換わらねばならない。現代都市は交通や冷暖房などできわめてエネルギー多消費的であるが、それを空間的にコンパクトなものにして移動を少なくし、公共交通を張り巡らせる。ビルや住宅を高断熱建物に変え、太陽エネルギーや地域エネルギーを高度に利用したものにする。


炭素価格を経済システムに入れ込む:安定した気候はいわば希少資源である。この希少資源を多く使うものが多くの費用を分担し、節約するものが得をする経済システムにすることが望まれる。炭素価格をエネルギー価格に上乗せすることにより、家庭や都市などへの省エネルギー技術の取入れがすすむ。


世界秩序は協調のもとでの競争へ:安定した気候は地球公共財である。一人として抜けることなく、誰もが応分の努力を約束し、一致協力しなければ、公共財は守れない。現在気候に関するを約束ごとは、気候変動枠組み条約の下で作られつつある。その約束のもとで、公正な技術開発競争をすることで秩序ある進歩が得られる。CDMで代表される技術移転・資金メカニズムは、そのよい仕組みである。しかしCDMによる炭素削減規模では気候安定化には少なすぎる。セクターごとの技術協力や、都市インフラから見直す交通での削減など、さらに大規模な低炭素社会構築に向けた協力の仕組みを考えねばならない。既にエネルギー多消費型技術システムに入りこんでしまっている先進国としても、当分のあいだは途上国での削減に頼らなければ排出量はへらせないし、今後先進国以上の排出が見込まれる途上国が低炭素開発の道をたどらなければ世界は共倒れになることが明白であることを考えると、途上国と先進国の連携こそ最大の課題といってよい。


3.アジアの国は低炭素社会へ移行するのにいい位置にある

低炭素社会にむけて世界的に大転換を必要とする状況は、アジアの国々の低炭素開発に極めて有利に働く。日中韓を取り巻くアジアは、低炭素社会にLeap frogするのにまことにいい位置にあるといえる。


第一には、late comer’s Advantageである。多くのアジアの国は今まだ低炭素社会にある。しかしこの低炭素化の大変革時代を前にこれは大きな利点である。電話線という旧時代的インフラを有していなかった中国で、携帯電話が爆発的に普及したことがその好例である。先進国のエネルギーシステムは配電網で固めた中央集中型になっており、地域分散エネルギーを取り入れることに技術的障壁があるため、なかなか自然エネルギーの導入がすすまない。しかし、アジア諸国では、既に太陽エネルギー、バイオマスなど時代を先取りした再生可能エネルギーの多くが地域地域で開発利用されている。地域でエネルギー高依存型技術インフラなどの悪しき慣性を有しないことは、地域分散型再生可能エネルギーを導入する際に有利なことは明らかである。

80年前の自動車文明が来る前に地下鉄網を敷設してしまった東京は、いまや世界で交通エネルギー消費効率最高の都市になっている。自動車文明の真っ只中で石油文明がさらに続くと見て、道路インフラを中心にした交通網を整備したバンコクが、交通混雑、大気汚染に悩んでいるのは時代を読めなかった選択であった。今この転換期に、先を見た技術システムを自由に選べる、低炭素時代への社会システムを白紙に書けるという有利さをアジアの国は持っている。アジア諸国は今活発な経済発展の時期にあり、新しい設備やインフラ投資が進められている。ここでこの投資を、低炭素化の方向に進めてゆけば、長期にわたり省エネ効果を楽しめる。逆に、ここで従来の先進国並みに高速道路のようなエネルギー多消費型インフラに投資してしまっては、今後50年以上にわたって高エネルギー体質に閉じ込められ、低炭素化への道を閉ざすことになる。


第二には、低炭素社会作りに向けて取り入れることのできる低炭素技術が世界にすでに多く存在していることである。新しい技術開発を待つ必要はなく、発展の続くアジアの投資の中にこれらを適切に組み込むことが可能である。特に自らの資源はほとんどなく、狭い国土での公害を防ぐために努力して開発された日本の省エネルギー型製造技術、家庭電器、自動車技術は、低炭素社会時代の技術を先取りするものであり、日本が適切な枠組みのもとでの技術移転を進めれば、アジアの国の低炭素開発を助けることになる。


第三には、今後とも世界的エネルギーの枯渇と価格高騰が続くと見られていることである。多くの国が、エネルギー安全保障のため、省エネルギー社会の構築に向かわざるを得ず、それは低炭素社会化と軌を一にする。


第四には、地域公害解消とのco-benefitが生じることである。アジア地域は工業化の真っ只中にあり、地域公害は今後ますます増加しよう。省エネルギーが大気汚染、水質汚濁、化学物質削減に寄与することは、既に十分に確認されている。


第五には、気候安定のためには世界的協調が余儀なくされることにある。世界的に抜け駆けなしの約束と相互協力が不可欠である。このことは、途上国の低炭素化への先進国の協力が大いにすすまざるを得ないことを意味する。もちろん中国・インドのような排出大国が削減に協力することなしに気候の安定化はない。一人当たり排出の多い日本等先進国が率先して大幅削減するのは当然として、高エネルギー体質に染まってしまった先進国が減らそうにも減らせない分を、技術や資金を途上国に移転してそこでの削減を進めることになる。こうした協力は従来の競争世界では成り立たなかったものであり、気候が世界の共有財産になったことに気が付いてはじめてその必要性が認識される。アジア諸国はこの世界の大転換期に、その転換のために先進国が途上国に科学・技術・資金面で協力することが当たり前になっているという大きな利点を持つことになった。これで途上国には、先進国からの先端的技術を手に入れる機会が大きく開けた。


第六には、アジアの伝統・慣習・社会制度・智恵が低炭素社会向きではないかということである。この点はいまだ検証されない仮説ではある。アジア諸国で現在進行中の、先進工業国追従型都市発展の様子を見ると、とてもそうとは思えないが、それぞれの地域に残る、年長者尊重、家庭中心主義、里山など自然との共生慣習、入会い・漁業資源採集にみられる環境資源の適正管理制度、自然崇拝、結い(ユイ)などの地域共同、貯蓄習慣、グラミン銀行のような地域相互扶助など、これからの低炭素社会の個人・社会行動基盤となる可能性もある。


第七には、アジアには、他地域と比較して教育水準が高く、あらたな脱エネルギー社会つくりを担う人的資源が豊富である点である。バンガロールでのIT産業発展のように、グローバライゼーションの中での、時代を先取りした先端産業へ取り組む人的資源のプールがある。


低炭素社会への転換に向けてこうした多くの機会を有するアジア地域であるが、アジアの国々は、地域的、風土環境、社会制度や慣習、政治体制、発展段階でさまざまであり、その利点は決して一律・共通に有するのではなく、各国ごとに異なった様相で現れる。それぞれの国で、その国の状況に合わせて低炭素社会発展の道筋が模索されねばならないことはいうまでもない。


4.アジアの低炭素開発に向けた相互協力

アジアの国がこうした利点を生かして低炭素開発を推進するときの障壁も多く存在する。
気候変化に関する認識強化:従来のエネルギー・物質大量消費が主流の現在の経済発展段階では、低炭素社会への配慮は優先度が低いことである。気候変化の影響が、足元の経済基盤に実際に見える形で影響するまでは社会を動かすのは困難である。これは日本でも同じ状況である。気候変化に関する科学的知識の普及、低炭素社会への転換が長期的に必然であることの認識、気候の地球公共財的性格を踏まえた国際協力の必要性を認識すること、そして政府が長期的見通しの下で強いリーダーシップを持って低炭素開発の道を示し国民を動かす必要がある。


低炭素社会の主流化:各国政府は、低炭素社会をそれぞれの長期開発計画の中に入れ込み、道筋を明らかにする必要がある。それぞれの国に50年以上の先を見通した低炭素社会づくり・排出削減シナリオ作成がのぞまれる。
地域資金メカニズムの構築:活発な発展への投資の中で、収益の低い公害対策や低炭素化投資はとかく後回しにされる。シナリオに示された省エネルギー低炭素技術、エネルギー・交通・通信インフラに対して、低炭素社会投資に向ける十分な資金メカニズムをアジア地域において構築する必要がある。
技術移転に関する話し合い:国際競争のもとでの技術移転に関しては、知的所有権の扱いが困難である。民間ベースでの移転促進と共に、低炭素社会作りに必要な基盤的省エネルギー技術をプールし、地域共同での使用機構を作ることがのぞまれる。


これまでみてきたように、アジア地域は、持続可能な社会をめざした低炭素開発を進めるのに絶好の位置にある。この人類の歴史的転換期において、地域での技術・資金・政策協力によって、他地域に先駆けて低炭素社会を実現することが出来よう。そのためには日中韓3国が協力して、アジアと世界を牽引してゆかねばならない。


(1) 本コラムは、中国国際問題研究所、韓国外交安保研究院と当研究所の主催で2009年7月6日に北京で行われた日中韓三ヵ国会議に際し作成したディスカッション・ペーパーである。