コラム

核実験後の朝鮮半島(1)

2009-08-09
倉田秀也(日本国際問題研究所客員研究員/防衛大学校)
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1.はじめに――過去からの逸脱?

ブッシュ政権期に生まれた6者会談は本来、朝鮮半島の非核化のための多国間協議であった。しかし、北朝鮮はその目的に反し、その過程で再稼動した核施設からプルトニウムを抽出し続け、2006年10月に第1回の核実験を強行するに至った。朝鮮半島非核化のための6者会談は皮肉にも、北朝鮮に核兵器開発の時間的猶予を与える結果をもたらしたことになる。ところが、6者会談の過程を振り返ってみると、北朝鮮はもっぱら核兵器開発に邁進していたわけではなかった。北朝鮮は核兵器開発を進める一方、その節目ごとに対米取引を持ち出し、それが拒絶されると核兵器開発のレベルを上げていった。北朝鮮にとって6者会談は核兵器開発を温存しつつも、対米条件闘争を行う場でもあったのである。



発足直後のオバマ政権が6者会談を温存しつつ北朝鮮との対話に積極的な姿勢をみせていたにもかかわらず、北朝鮮は今年4月5日にミサイルを発射したのに続けて、5月25日に2回目の核実験を強行した。それと前後して北朝鮮が発表した声明、談話からは、北朝鮮がもはや6者会談から離脱しようとする決意すらみてとれる。本稿はまず、北朝鮮がミサイル発射と核実験を強行した意図を検討した後、北朝鮮が6者会談に関連して発表した声明、談話を分析し、それが6者会談で北朝鮮がとってきた姿勢からいかに逸脱しているのかについて過去の事例と対比して考えてみる。これらを通じて、北朝鮮の核開発問題について今後ありうる協議の形態について若干の展望を試みてみたい。



2.北朝鮮の確信犯的行動――核実験強行のための布石

北朝鮮が今回、人工衛星を発射しようとした可能性は一概に否定できない。しかし、「テポドンⅠ」発射(1998年8月31日)のときも、北朝鮮は人工衛星の打ち上げのための「ロケット」であると強弁したが、国際社会はそれを弾道ミサイル発射とし、国連安保理も報道声明を発表して遺憾の意を表明した。今回もこれと同様に、北朝鮮は「人工衛星」を発射したと主張しても、国際社会はそれを弾道ミサイル発射として非難するであろうと予期していたに違いない。そうだとすれば、北朝鮮があらかじめ国際海事機関(IMO)と国際民間航空機関(ICAO)に「人工衛星」打ち上げを通告するという「合法的」手続きを取ったのも、国際社会が「人工衛星」打ち上げを「ミサイル」発射として対応することを見越した上で、それを「不当」と主張するための布石であったことになる。さらに、イランが革命30周年にあたって、「サフィル2」ロケットで人工衛星「オミド」を発射したとき、北朝鮮はイランが宇宙の平和利用の権利をもつことを擁護していたが、国連安保理がそれを審議しなかったことを考えても、北朝鮮は自らの発射した「ロケット」にだけ国連安保理が審議をすることが「不当」であることを訴えようとしたのかもしれない。国際社会が北朝鮮に厳しく対応することを前提に対抗措置を取ることにこそ、今回のミサイル発射の目的があったと考えてよい。



事実、ミサイル発射の直前、北朝鮮はすでにその対応措置に言及していた。外務省代弁人は3月26日、「人工衛星」打ち上げを国連安保理に提起することは「敵対行為」であると強調した上で、そうなれば非核化のプロセスは「元に戻り、必要な強い措置が講じられる」と警告していた。非核化のプロセスが「元に戻」ることが意味するものは、核保有の既成事実化に他ならない。そのために「必要な強い措置」は当然、2回目の核実験の実施を含むことになる。実際、ミサイル発射に対して国連安保理が議長声明を発表すると、北朝鮮外務省は4月14日、それを「わが人民に対する耐え難い冒涜であり、永遠に許し難い犯罪行為」と非難するとともに、6者会談は「もはや必要なくなった」とした上で「2度と参加しない」とする声明を発表した。さらに、国連制裁委員会が北朝鮮企業3社を資産凍結対象に指定すると、北朝鮮外務省代弁人は4月29日、国連安保理が即時「謝罪」をしなければ「共和国の最高利益を守るためにやむを得ず追加的な自衛措置を取らざるを得ない」とし、そこには「核実験と大陸間弾道ミサイル実験が含まれるであろう」と断言した。国連安保理が「謝罪」しないことは北朝鮮も承知していたであろう。



かくして、北朝鮮は5月25日、2回目の核実験を強行した。2006年10月の第1回の核実験は吉州郡豊渓里の東側坑道で行われたが、今回はその西側坑道で行われたという。核実験に必要な工事、資材搬入などに要する時間を考慮すると、4月のミサイル発射の時点でほぼ核実験の準備は完了していたであろう。したがって、北朝鮮がミサイル発射に対する国際社会の対応をみて核実験の準備を始めたとは考えにくい。ミサイル発射が核実験を正当化するための布石であったことは明らかである。



3.北朝鮮の6者会談「離脱」の意思

(1)2005年「核保有宣言」との対比

北朝鮮が6者会談への参加を拒絶したのはこれが初めてではない。例えば2005年2月、ブッシュ政権が第2期を迎えるにあたってライス国務長官が発した「圧制の拠点」という言説に反発する形で北朝鮮が外務省声明で「核保有宣言」を発表したが、そのときも6者会談の「無期限中断」の意思を表明していた。しかし、この外務省声明は「われわれは6者会談を望んだ(中略)会議参加の名分が整って会談の結果を期待できる十分な条件と雰囲気」がなければならないと強調しており、6者会談の枠組みそれ自体を否定するものではなかった。新華社によると、その外務省声明が発表された直後、王家瑞中国共産党対外連絡部長が訪朝したとき、金正日は「これまで6者会談に反対したことはなく、ましてや6者会談から離脱しない。今後の一時期、各国の共通の努力を通じて第4回6者会談の条件が整えば、朝鮮側はいつでも交渉に戻ることを望んでいる」と述べたという。これを受け、3月3日の外務省備忘録では、北朝鮮は「米国がわが国の制度崩壊の意図を捨てれば協議に応じる」と明記された。実際その後、北朝鮮は2005年7月には第4回6者会談に参加し、同年9月には初の合意文書である共同声明が採択されたのである。



ただし、第4回6者会談に至る過程で、北朝鮮が「核保有」の既成事実化の上で6者会談を位置づける声明を発表していたことは強調されてよい。「核保有宣言」から間もない2005年3月31日、北朝鮮は外務省代弁人談話を通じて、「われわれが堂々たる核兵器保有国になったいま、6者会談は当然、参加国が平等な姿勢で問題を解決する軍縮会談にならなければならない」と述べた。これを他の参加国が受け入れるはずもなく、この外務省代弁人談話は、6者会談が再開されたという現実を考えると、北朝鮮が6者会談再開のために米国に突きつけた条件闘争の一環であったとみることができる。



2005年9月の共同声明は北朝鮮が非核化を確約した文書であったにもかかわらず、「金融制裁」に反発する形で、2006年7年のミサイル発射に続いて10月に核実験を強行したことは周知の通りである。これをうけ、ブッシュ政権は6者会談以外で米朝2国間協議には応じないという従来の方針を転換し、2007年1月にベルリンで米朝協議をもったのに続き、同年2月には第5回6者会談第3セッションが再開され、限定的にせよ北朝鮮が核兵器能力を保持した現状を凍結することから逆算して、核施設の閉鎖、無能力化を通じて北朝鮮を核解体に導く「2・13合意」が採択された。この文書をまとめるため、米国は「金融制裁」を自ら事実上解除せざるをえなかった。北朝鮮は6者会談で最終的な非核化を確約しながらも、その核保有を既成事実化しつつ、米国から譲歩を勝ち取っていたことになる。その後、6者会談は北朝鮮が限定的にせよ核兵器能力を保持したことを前提として、核兵器能力の向上を防ぐ枠組みに堕したといわざるをえない。



それでもなお、ブッシュ政権末期、北朝鮮が遅々としてではあったものの、6者会談の枠組みの中で対米交渉を行っていた事実は忘れてはならない。「2・13合意」の後、その「初期段階措置」が終了したとみなされると、2007年10月には第6回6者会談第2セッションで核施設の無能力化のための「第2段階措置」に合意をみた。これに従って2008年6月末には、寧辺の核施設のうち冷却塔が爆破された。確かに、その後の6者会談は核物質のサンプリングなど検証措置で紛糾したが、北朝鮮がその間、6者会談からの離脱を宣言することはなく、オバマ政権の発足直後の2009年2月初旬には、北朝鮮問題特別代表のボスワースがクリントン国務長官の親書を携えて訪朝し、そこで6者会談首席代表の金桂冠とも会談していたのである。



(2)ウラン濃縮計画の「是認」

北朝鮮のミサイル発射の兆候がみられたのはその直後であった。上にみたように、北朝鮮が核実験を正当化する布石としてミサイルを発射したとするなら、この前後に北朝鮮内部で6者会談との関連で何らかの政策転換があったことになる。ここで取り上げるべきは、国連安保理が議長声明を発表したことに対して、4月14日に発表された北朝鮮外務省声明の一文である。上述の通り、ここで北朝鮮は6者会談の「無期限中断」を表明した2005年の「核保有宣言」とは異なり、6者会談に「2度と参加しない」立場を強調しており、6者会談の枠組みを温存するとの発言はなかった。またこれと関連し、この声明は「われわれの主体的な原子力エネルギー工業構造を完備するために自前の軽水炉発電所の建設を積極的に検討するであろう」と述べていた。北朝鮮が軽水炉発電所建設に必要な技術をもっているとは考えにくい。だからこそ、北朝鮮は6者会談でほぼ一貫して軽水炉支援を求めてきたのである。軽水炉の燃料が低濃縮ウランであることを考えるとき、ここで北朝鮮は「自前の軽水炉発電所」という原子力平和利用の「名目」でウラン濃縮を検討することを明らかにしたことになる。



振り返ってみても、北朝鮮のウラン濃縮計画は、2002年から始まる「第2次核危機」の端緒であり、6者会談を停滞させた最大の要因であった。ブッシュ政権は北朝鮮が兵器級ウランを意味する高濃縮ウラン計画をもっていると主張したのに対して、北朝鮮は6者会談をはじめとする公的な場ではその存在自体を一貫して否定していた。ブッシュ政権が当初、北朝鮮にウラン濃縮計画の存在を認めた上で、それを含むすべての核計画の放棄を求めたのに対して、北朝鮮はその存在を否認しつつ、寧辺の核施設を再稼動しプルトニウムを抽出することで核実験に必要なプルトニウムを抽出することができた。北朝鮮がこれ以降も6者会談を有利に展開しようとするなら、ウラン濃縮計画を否認し続けなければならなかったはずである。この外務省声明で「自前の軽水炉発電所」の建設という「名目」でウラン濃縮の検討を示唆したことは、それまで6者会談で北朝鮮が駆使してきた取引材料を自ら放棄したことになる。4月29日、北朝鮮外務省は再び声明を発表し、「敵対勢力により6者会談とともに朝鮮半島非核化の念願は永遠に消えた」とまで断言したが、北朝鮮が共同声明をはじめ6者会談の場で、条件つき、段階的であれ、最終的には核の放棄を確約していたことを考えると、これは北朝鮮が自らそこから逆走することを宣言したに等しい。



しかも、北朝鮮は核実験を強行した後、6月13日の外務省声明で「新たに抽出されるプルトニウムの全量を兵器化する」とともに、「ウラン濃縮作業に着手する」と宣言した。しかも、この声明では「自前の軽水炉建設が決定されたことに従って、核燃料保障のためのウラン濃縮の技術開発が成功裏に行われ、試験段階に入った」と述べられていた。ウラン濃縮の技術開発が「成功裏に行われ」たと述べたことは、北朝鮮がそれまでの6者会談で否認していたウラン濃縮計画が実際に存在していたことを自認したに等しい。北朝鮮が軽水炉を建設する技術をもっていないとすれば、北朝鮮のウラン濃縮が低濃縮ウランの生産を目的にしているとは考えにくい。低濃縮ウランと高濃縮ウランの差がその濃縮度にしかないことを想起するとき、北朝鮮のウラン濃縮計画は、当初ブッシュ政権が指摘した通り、核兵器製造を目的にした高濃縮ウランであったと考えてよい。ウラン濃縮に関する態度を変えたことにみられるように、北朝鮮はこの時点でこれまでの6者会談のプロセスにいったんは終止符を打とうとしている。



4.米朝協議との両立性

このような北朝鮮の姿勢の変化が戦略的なものか、戦術的なものかを判断するのは時期尚早であるが、これらの決定が金正日の関与なく発表されたとは考えにくい。軍の発言力が高まっていることは事実であるが、それはここ数ヶ月の現象ではない。一連の決定が外務省声明という形で発表されていることからも、軍の独断によるものとも考えにくい。北朝鮮の姿勢に変化をもたらした最大の要因が、金正日の健康問題であったことは間違いない。今年4月以降、「150戦闘」のスローガンの下で動員運動を強化しているが、それも2008年の新年共同社説で言及されたように、金日成生誕100年にあたる2012年を「強盛大国の大門を開く」年にする上で、2009年を「決定的な転換の突破口を開く」年と位置づけているためである。



もとより、北朝鮮のいう「核抑止力」だけで「強盛大国」が完成するわけではない。そのためには米朝国交正常化、軍事停戦協定の平和協定への転換も必要であろう。北朝鮮が破綻した経済再生のために日朝国交正常化が必要としている状況も変わりない。これらはすべて6者会談共同声明と「2・13合意」に明記されているにもかかわらず、北朝鮮が6者会談に終止符を打とうとしているとすれば、北朝鮮は6者会談のプロセスを経ない対米直接交渉へと「正面突破」を考えたことになる。とりわけ、金正日は昨年夏に脳梗塞を患った後、6者会談で検証について厳しい条件をつけるブッシュ政権の対応をみて、6者会談のプロセスが2012年を「強盛大国」の「大門を開く」年にするには緩慢過ぎると判断したのかもしれない。ボスワース訪朝時に北朝鮮側に手交したというクリントン国務長官の書簡の内容も、「強盛大国」の完成を急ぐ金正日を期待させるには及ばなかったのであろう。



しかし反面、そうであればこそ、北朝鮮がやがて米国との協議に臨む可能性は排除できない。北朝鮮は2005年2月の「核保有宣言」の後、6者会談を「参加国が平等な姿勢で問題を討議する軍縮会談」にすることを提起していたが、対米「正面突破」を試みる現在の北朝鮮の念頭にあるのは、その「軍縮会談」を米朝2国間会談に読み換えることなのかもしれない。現在、二人の米国人記者が北朝鮮に抑留中であるが、この二人の釈放が新たな米朝協議の契機となるかもしれない。米朝「枠組み合意」署名後間もない1994年末、北朝鮮に不時着した在韓米軍ヘリコプター(OH-58)の死亡したパイロットの遺体返還と生存中のパイロット送還のため、ハバート国務次官補代理が訪朝し、事件の再発防止のため「適切な形態の軍事的接触」をもつことに合意した。そのとき北朝鮮は米朝平和協定のための軍事接触を考えていたが、北朝鮮が現在も米朝平和協定を望んでいるとすれば、依然として北朝鮮は米朝間の軍事接触を必要としているであろう。北朝鮮はそれを「核保有国」の既成事実化の上で交渉しようとしているのかもしれない。



断るまでもなく、米朝協議が決して北朝鮮の「核保有」の既成事実化に結びついてならない。とはいえ、発足当初からオバマ政権が強調していた「敵性国家」との直接交渉は、北朝鮮がミサイル発射と核実験を強行したことで後退したものの、挫折したわけではない。オバマ政権はいまも北朝鮮との交渉を模索しているであろうが、それが実現しないのは北朝鮮が「核保有」に固執し、6者会談で行った核放棄の誓約から逆走しているからに他ならない。しかし、「核保有」の既成事実化を図っている北朝鮮もやはり、米国からの「安全の保証」を求めていることには変わりはない。核不拡散体制の強化を強調するオバマ政権にとっても、北朝鮮に与える「安全の保証」が他の拡散懸念国に誤ったメッセージを与え、ひいては核不拡散体制がさらに動揺することは避けなければならない。軍事停戦協定の平和協定への転換は、朝鮮半島に固有の「安全の保証」であるため他の拡散懸念国に及ぼす波及効果がなく、オバマ政権の対北朝鮮政策の中核に位置づけられているであろう。今年2月13日、クリントン国務長官はアジア歴訪に旅立つ直前にアジア協会で行った演説で、「北朝鮮が完全に、検証可能な形で核兵器開発計画を除去(eliminate)する用意があるのなら、オバマ政権は米朝2国間関係を正常化し、長期にわたる停戦協定に代えて恒久的な平和条約(permanent peace treaty)を締結」する意思があると述べていたが、ここでクリントンはオバマ政権が向こう4年以内に米朝関係で果たすべき政策目標を掲げたといってよい。オバマ政権は米朝国交正常化、平和体制樹立などを一括して提示し、北朝鮮に再び6者会談で行った非核化の誓約を再確認させようとするであろう。ただし、これらは6者会談共同声明、「2・13合意」に言及されており、二つの文書を生んだ6者会談それ自体を北朝鮮が拒絶している以上、北朝鮮が即座に応じるとは思えない。オバマ政権は6者会談で扱えなかったミサイル問題を含むより包括的な枠組みを考慮しているのかもしれない。そうだとすれば、それは「テポドンⅠ」発射後、当時のクリントン政権に対し、核兵器開発の問題だけではなく、弾道ミサイルの問題などを含む「包括的アプローチ」を提起した「ペリー・レポート」が生まれる過程と酷似している。


5.おわりに――「6-1」と「5+1」

ミサイル発射と核実験で、6者会談で確約された非核化から逆走している北朝鮮を6者会談に再び誘導することは容易なことではない。少なくとも現在は、2回目の核実験を強行した北朝鮮に対し、「核保有」を前提とした交渉は必ず行き詰まると実感させることが緊要である。いったん核放棄から逆走した北朝鮮を核放棄に再び軌道修正させるには、米国だけではなく日本、韓国、そして中国もそれだけ多くのリスクを覚悟しなければならない。局地的な緊張の激化も当然想定される。国際的な圧力をより効果的に加える一環として現在構想されているのが、北朝鮮以外の6者会談参加国による「5者会談」構想である。これは米国の一部、日本、韓国、ロシアの間で浮上している構想であるが、中国はこれにより北朝鮮が再々度のミサイル発射、核実験を強行する可能性に加え、北朝鮮問題で独自の外交的行動半径を狭めることを懸念している。



しかし、すでに核実験に対して国連安保理決議1874が採択された以上、それを確実に実施し、制裁が効果的に北朝鮮に作用するために関連国が協議することは当然といってよい。そもそも、6者会談は北朝鮮の高濃縮ウラン計画の疑惑と北朝鮮のNPT脱退表明後、IAEAから保障措置協定違反の報告を受けながら、国連安保理が審議を回避して地域レベルで開かれた協議であった。ところが、いまや2006年の核実験と先般の核実験で国連安保理が二つの制裁決議を採択したのを受け、北朝鮮を当面「外部化」した政策協議の場になりつつある。それが「5者会談」という形で公式化、定例化されるかどうかは別として、北朝鮮に対する制裁を確実に実行していくために、その「5者」の中で2国間、3国間の協議が随時行われることはむしろ自然である。いわば国連安保理の審議を回避して生まれた北朝鮮を「内部化」した6者会談が、国連安保理の決定事項を地域レベルで確認し、北朝鮮を「外部化」する機能をもつことが求められている。その限りでは、「5者会談」を「6-1」と呼ぶこともできなくはない。



しかし他方、「5者会談」が北朝鮮の非核化の必要性を共有する6者会談の参加国によって構成される以上、その目的は北朝鮮を「外部化」すること自体にあるのではない。「5者会談」も6者会談再開のための一形態であって、「5者」もそれを恒常化することを望んでいるわけではない。したがって、北朝鮮が再び6者会談への復帰の用意を示せば、「5者会談」は北朝鮮を「内部化」した6者会談という常態に戻ることになる。その限りで、「5者会談」は「6-1」というよりも「5+1」に近い。



先にも指摘したように、北朝鮮が対米「正面突破」を試みている以上、まず米朝2国間協議が先行することになるであろう。しかし、そこで米国は日本、韓国、中国など6者会談参加国の利害を代表して協議に臨まなければならず、「5者会談」――それが公式化、定例化されるかは別として――もそのための事前の政策調整として機能しなければならない。そこにはクリントン国務長官の演説に示された米朝国交樹立、平和体制樹立などの問題も含まれるであろう。それは同時に、来るべき米朝2国間協議が、他の6者会談参加国の利害を犠牲にして成立するものではないことを北朝鮮に認識させる上でも不可欠である。



※ここに示された見解は、筆者の個人的見解であり、筆者の所属する防衛大学校、防衛省、日本国際問題研究所を代表するものではありません。


(1)本コラムは、中国国際問題研究所、韓国外交安保研究院と当研究所の主催で2009年7月6日に北京で行われた日中韓三ヵ国会議に際し作成したディスカッション・ペーパーである。