北朝鮮では、軍隊を創設して以来、兵力数を公表したことがない。北朝鮮の最高指導者であった金日成が、社会主義国家では人口比率で最も軍人の数が多いと1963年に語ったことがあり、人口の割には兵力数が多いことは容易に想像できる。しかし、実際にその数となると算定することが不可能であった。そのため、他国の様々な機関が、北朝鮮の兵力数を推定してきた。
例えば、英国際戦略研究所(IISS)が発刊する『ミリタリーバランス』や日本防衛省の『防衛白書』では、北朝鮮の推定兵力数を記している。2008年版『ミリタリーバランス』では110万6000名であり、平成20年版『防衛白書』では約110万人である。『ミリタリーバランス』と『防衛白書』はほぼ同数であり、同年版では『ミリタリーバランス』が先に出版されるため、『防衛白書』は『ミリタリーバランス』を参考にしているのかも知れない。韓国国防部の『国防白書』ではそれよりも少し多めに見積もっている。2008年版『国防白書』では約119万である。同じ年版でも、『ミリタリーバランス』や『防衛白書』と『国防白書』では、兵力数が異なる。実際の所、各機関が発表する北朝鮮の兵力数は、推定値というよりも、憶測の域を出ないものと考えられよう。
現在の所、北朝鮮の人口センサスの結果から割り出せる兵力数が、北朝鮮から発表されたデータを基にしたものとしては唯一であろう。北朝鮮の人口センサスは、1993年に初めて実施された。人口センサスそのものは北朝鮮当局が実施したものであるが、国連人口基金(UNFPA)との技術的・資金的協力があって可能となったものである。そのセンサス結果は、人口統計学上で正確性を問う基準である選考指数と集中指数ともに信頼に足るものであった。選考指数とは、申告年齢の末位の数字が0から9のどの数字を選考しているかを総合的に考察するもので、指数が0であれば、選考集積はないと見なす。このセンサスの場合、指数は5.29で「まあまあ良い」と評価できる。しかし「十分に信頼に足る」の基準である5以下をわずかに上回っただけであるので、途上国にありがちな選考集積はそれほどないと評価できよう。集中指数とは、申告年齢が5の倍数の年齢にどれだけ集中しているのかを表したものであり、指数が100であれば、集中集積はないと見なす。このセンサスの場合、指数は104.96で「十分に信頼できる」と評価できる。このことから、北朝鮮の人口センサスには、政治的な歪曲は認められず、途上国に見られがちな技術的な未熟さが少し見られる程度である。
1993年の人口センサスの結果から北朝鮮の兵力数を割り出したのは、当時、一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程であった文浩一(ムン・ホイル)である(*1)。
以下に文浩一の論文を簡略に説明する。1993年の人口センサスデータ(以下、93年データ)では、特に16歳から26歳の間に著しく男性が女性に比べて少ないことが分かる(図1参照)。高齢層では男性が女性に比べて少なくて当然なのであるが、若年層となると自然状態では考えにくい(*2)。1999年に発表された北朝鮮の人口研究所研究員の論文では、これは「軍人を除いた」ためと説明されている。93年データから軍人が漏れた結果、不自然な男女人口差が現れたと考えられよう。
一方、1993年のセンサス分析書(以下、93年分析)では、年齢別(5歳毎)人口数で若年層に男女差の歪みが見られない。すなわち、93年分析では軍人が含まれているのである。従って、93年分析の合計人口から93年データの合計人口を差し引けば、兵力数が割り出せる。結果は、以下の通り。
691,027 (総兵力数) = 652,036(男子兵力数) + 38,991(女子兵力数) |
さて、2008年10月1日から15日にかけて、北朝鮮では再び人口センサスを実施した。今回、センサス実施の資金の多くを韓国が国連人口基金に拠出したことで実施が可能となった。その結果の一部は、2009年2月に発表された。そこでは、地域別の男女人口が記されている。まだ分析中であり、選考指数や集中指数、年齢別人口などのデータは発表されていない。しかし、1993年に比べればセンサスの技術は上がっているものと想定される。さらに、今回は兵力数がすぐ分かるように発表されている。男女人口の小計と人口の総計が異なるのである。さらに、注釈で、総計には軍人を含めたことを示している。従って、総計から小計を差し引けば兵力数が割り出せる。結果は以下の通り。
702,373 (総兵力数) = 662,347(男子兵力数) + 40,026 (女子兵力数) |
これは『ミリタリーバランス』などの推定兵力数に比べれば、相当に少ないといえよう。『ミリタリーバランス』などでは、北朝鮮の兵力数を過大評価しているのかも知れない。ただし、人口センサスから割り出せる北朝鮮の総兵力数は常備軍のものである。北朝鮮には、予備軍が存在し、有事においては兵力数が格段に増えることが予想される(ただし、韓国にも予備軍が存在する)。残念ながら予備軍を算出することは不可能である。
また、2008年センサスの結果から、北朝鮮では1993年から2008年までに総兵力数が11,346名増えたことが分かる。しかし、総人口における軍人比率は下がっている。1993年センサスでは、約3.3%であったのが、2008年センサスでは約2.9%である(*3)。それでも、韓国の約1.4%や米国の約0.5%、日本の約0.2%に比べればかなり高い。『ミリタリーバランス』などの推定兵力数に比べれば、約2.9%というのは少ないかも知れないが、金日成が語ったように、人口に比べて軍人の数が多い国であることに間違いはないであろう。
*1 | 文浩一の論文の目的は、兵力数を算出することではなく、人口センサスデータに基づいた北朝鮮の平均年齢や出生率などの人口分析である。以下が今回参考にした彼の論文である。文浩一「朝鮮民主主義人民共和国の人口変動分析(Ⅰ)-死亡率と出生力-」『アジア経済』第41巻第12号(2000年12月)2-27。文浩一「朝鮮民主主義人民共和国の人口変動分析(Ⅱ)-死亡率と出生力-」『アジア経済』第42巻第1号(2001年1月)20-37。 |
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*2 | 自然状態では、おおよそ男性が105に対して、女性が100の割合で生まれる。よって若年層では男性が多い。しかし、高齢になれば、女性が多くなる。女性の生存率は男性に比べて高いからである。 |
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*3 | 1990年代後半に飢餓に見舞われたにもかかわらず、1993年から2008年の15年間で北朝鮮の総人口数は、2,837,840名も増えた。餓死者数や脱北者数は、一般にいわれる何百万という数字ではないのであろう。飢餓に伴う出生率の低下もそれほど悪くないのかも知れない。文浩一は、1994年から2000 年における飢餓による損失人口を33 万6000人程度と計算した。以下を参照、 http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15262/1/D07-241.pdf |