はじめに
しかし、これらの選挙において、アフリカ系は自ら大統領選挙に立候補したわけではなく、いわば《当事者》の立場には無かったことに留意すべきである。アフリカ系が直接大統領選挙に立候補し、いわば大統領選挙の《当事者》となることは――特に20世紀の前半までは――きわめて稀なケースであったといわざるを得ない。勿論、19世紀を代表する黒人解放運動家であったフレデリック・ダグラス(Frederick Douglass)が1848年を皮切りに第三政党の副大統領候補に数回挙げられたような例外もある。とはいっても、二大政党からアフリカ系が大統領選挙に立候補し、予備選を戦う例は20世紀の後半に至るまでみられなかった。
シャリー・チゾム、そしてジェシー・ジャクソン
転機となったのは1972年の民主党予備選挙であった。アメリカ史上初の黒人女性連邦下院議員であったシャリー・チゾム(Shirley Anita Chisholm;ニューヨーク州選出)が1972年の民主党予備選挙にアフリカ系として初めて立候補したのである。彼女は民主党全国党大会において152の代議員票を獲得しているが、これは文字通り画期的であった。しかし、チゾムは152人の代議員を獲得したとはいえ民主党代議員全体の僅か5%を獲得したに過ぎなかった。チゾムに続いて、1984年・1988年の民主党予備選挙にジェシー・ジャクソン(Jesse Jackson, Sr.)が出馬し、1984年の全国党大会では465.5票(11.9%)、1988年では1218.5票(29.6%)と徐々に票を伸ばしたものの、やはり民主党の大統領候補指名を勝ち取るまでには至らなかった(Stanley and Niemi, p.73.)。
以上のような歴史的背景を念頭に置けば、そもそもオバマが予備選挙を勝ち抜いて民主党の大統領候補になることができたということだけでも2008年の大統領選挙はまさに歴史的であったといわざるを得ないであろう。しかし、ではオバマの選挙は同じアフリカ系の民主党大統領候補であったチゾムやジャクソンと比較して、どこがどのように異なっているのであろうか。
何といっても、最大の相違点はチゾムやジャクソンといったこれまでのアフリカ系民主党大統領候補が公民権運動やブラック・ナショナリスト運動との深い繋がりを有しており、彼らの大統領選挙もまた、その延長線上という性格を色濃く反映するものであったのに対して、オバマがそこから一線を引いていたという点ではないだろうか。チゾムは自伝の中で幼少期のことを物語っている。貧しいバルバドス移民の子としてブルックリンのゲットー地区で育ったチゾムであるが、両親は慎ましく質素で教養があったという。特にマーカス・ガーヴィーの信奉者であったという父親を経由して、チゾムは幼少期にすでにブラック・ナショナリズムを思想的バックグラウンドとして有していた(Chisholm, pp.3-21.)。さらに、チゾムが選挙に出馬したとき彼女の選挙戦を支えたのはNAACPなどのアフリカ系人種団体、およびNOWなどの女性団体であり、公民権運動を直接体験しているチゾムは、まさに「アフリカ系をはじめとするマイノリティの候補」という色彩を強く持っていたといえる(Havel, p.107.)。このことはジェシー・ジャクソンに関してもいえることである。有名な「虹の連合」(Rainbow Coalition)を形成して選挙に臨んだ1988年の選挙戦ではジャクソンの選挙運動は労働階層や貧困家庭への援助など社会階層的色彩を強め、1984年に比べて「アフリカ系の候補」という位置づけは希薄化した(Kimball, p.x.)。だが、ジャクソンが1980年代のアメリカにおけるブラック・ナショナリズムを体現する人物であったことに疑いはなく(ジェニングス、40頁)、マイノリティの抑圧を強い調子で非難するジャクソンの選挙戦術はまさに黒人政治から編み出された政治戦術を駆使するものであり、その意味ではやはり〈黒人〉政治家の代表というべき存在であった(松岡、19-20、33頁)。
これに対して、1961年生まれのオバマはもはや公民権運動を直接体験している世代ではない。オバマは「60年代の申し子」を自称してはいるものの、彼の60年代体験は直接的なものではなく、母親を経由しての間接的経験である(オバマ『合衆国再生』、34頁)。彼が思い浮かべる公民権運動のイメージはテレビの画像や写真で見た光景の焼き直しにすぎない。さらにオバマは人種的アイデンティティに苦悩した高校生時代に「答え」を探す思いで黒人文学を読み漁ったという。青年オバマに影響を与えたものの一つがマルコムXの自伝であったというが、青年オバマはマルコムの人種主義に共感したわけではなく、「何度も生まれ変わった彼の生き方に心を奪われた」のであり、マルコムの人生と思想の中に「はるか遠い未来にではあるが、次第に世界が融和できるのではないかという希望」を見たのであった(オバマ自伝、101-102頁)。ここからも窺われるように、オバマは思想的なバックグラウンドとしても、世代経験としても、ブラック・ナショナリズムや公民権運動から直接的かつ甚大な影響を受けているとはいえない。また、オバマはジャクソンのようにマイノリティに対する抑圧を苛烈な言葉で扇情的に訴える選挙戦術を継承しているわけでもない。オバマが長年にわたって師と仰いできたジェレマイア・ライト牧師と訣別したのも、或いは逆にジャクソンがオバマを「白人のような人物」であり「黒人を侮蔑している」という趣旨の表現で非難したことも、これまでの黒人指導者とオバマとの間に横たわる政治的スタイルの差を如実に物語るエピソードといってよい。また、渡辺将人も指摘するように、オバマはハワイ出身で黒人コミュニティとのつながりも希薄で、黒人奴隷の子孫でもない。公民権運動を直接体験せず、ブラック・ナショナリズムの思想的影響も希薄で、黒人奴隷の子孫でもないオバマに対する黒人コミュニティの反応は実に複雑なものであるともいわれている(渡辺、75頁)。
以上から窺われるように、オバマには従来までの黒人の民主党政治家に共通してみられた特徴が顕著ではない。2008年におけるオバマの予備選での勝利はアフリカ系有権者にラディカルなブラック・ナショナリズムを訴えて政治的支持を調達する「ジャクソン型」の政治家とその手法が少なくとも国政レヴェルで完全に影を潜めた兆候であるのかもしれない。それと同時に、オバマが少なからぬ数の白人有権者にも支持されたという事実は、かつて多く見られた「黒人政治家=怒れる公民権運動の指導者」というバイアスやステロタイプが払拭されつつあるということを意味するものでもあるのではないだろうか(松岡、2006、)。オバマの登場はアメリカにおける選挙における人種ファクター、ならびに黒人政治家の位置づけが大きく変化しつつある兆候のように思われてならない。
若干の考察
バラク・オバマの登場は取りも直さずアフリカ系政治勢力が変貌をとげつつあり、かつてのチゾムやジャクソンのような<黒人>政治家にかわって、オバマのような黒人<政治家>が主流になりつつことを示す端的な例なのではないだろうか。また、アフリカ系政治勢力は革命的とまでいわれた公民権運動の記憶をすでに遠い過去のものとし、いまや新たな政治的次元へと移り変わりつつあるのではないだろうか。そして、われわれが目撃しているこのような変化は近い将来アメリカ政治の対立軸を一変するような大変化の胎動でもあるのかもしれない。2008年の大統領選挙は以上のような「文脈」に照らしても、刮目に値するものといえるであろう。
【参考文献】
:バラク・オバマ『マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝』白倉三紀子・木内裕也訳
(ダイヤモンド社、2007年)
:バラク・オバマ『合衆国再生―大いなる希望を抱いて』棚橋志行訳(ダイヤモンド社、2007年)
:渡辺将人『現代アメリカ選挙の集票過程―アウトリーチ戦略と政治意識の変容』
(日本評論社、2008年)
:松岡泰『アメリカ政治とマイノリティ―公民権運動以降の黒人問題の変容』(ミネルヴァ書房、2006年)
:松岡泰「アメリカ政治とマイノリティ」『アメリカ政治』(有斐閣アルマ、2006年)
:ジェイムズ・ジェニングズ『ブラック・エンパワーメントの政治―アメリカ都市部における黒人行動主義の変容』河田潤一訳(ミネルヴァ書房、1998年)
:Harold W. Stanley and Richard G. Niemi, Vital Statistics on American Politics 1999-2000: A Comprehensive Reference of over 200 Tables and Figures (CQ Press, 2000)
:Shirley Chisholm, Unbought and Unbossed (Houghton Mifflin, 1970)
:Penn Kimball, Keep Hope Alive! Super Tuesday and Jesse Jackson’s 1988 Campaign for the Presidency (Joint Center for Political and Economic Studies Press, 1992)
:James T. Havel, U.S. Presidential Candidates and the Elections: A Biographical and Historical Guide, Volume 1: The Candidates (Macmillan Library Reference USA, 1996)