コラム

ASEAN地域フォーラムの現状と展望

2008-04-30
湯澤 武(研究員)
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アジア太平洋地域における全域的な安全保障対話・協力の枠組みとして1994年に発足したASEAN地域フォーラム(ARF)は、今年で設立から14年目を迎える。参加国も当初の18カ国から27カ国(+EU)に増え、この地域唯一の政府間の多国間安全保障枠組みとしての地位を確立している。しかしながらその有用性については、研究者・政策立案者の間で長年議論の的となってきた。ARFは遅々としたペースであるが着実に進展しているという評価がある一方で、その将来性について悲観的な意見も多く見受けられる。本稿は、ARFのこれまでの成果と問題点を明らかにした上で、今後の展望について考えるものである。



ARFの現状

その設立から14年たった現在、ARFは如何なる状況にあるのか。ARFのこれまでの成果と問題点について考察してみたい。ARFの成果として最初に挙げられるのは、参加国間の信頼醸成の促進に「ある程度」の貢献をしてきたことである。ARFは、閣僚会合、高級事務レベル会合、各種インターセッショナル会合、ARF安全保障政策会議などを通して参加国間の人的交流や地域情勢に関する意見交換を促進させてきた。またこれらに加えてARF参加国は、国防白書の発行や年次安保概観の提出といった具体的な信頼醸成措置(CBM)を(定期的にはではないが)実施してきた。これら活動を通してARFは、参加国間における共通認識の拡大や相互理解の促進にある程度貢献してきた。



二つ目の成果は、ARFが独善的な行動をとる国家に集団的な批判と圧力を加える場として活用されていることである。例えば、95年の中国の核実験や南シナ海における衝突、98年のインドとパキスタンの核実験、また99年・06年の北朝鮮のミサイル発射実験といった問題は、ARFの各種会合において非難の対象となり、当事国の反対があっても議長声明に強い懸念を表明する文言が盛り込まれた。ARFにおける集中的な批判が、当事国の行動の抑制に直接的につながっているとは言えない。しかし、メディアも注目する多国間協議の場で多数の国から集中的に批判を浴びせられることは、当事国には相当な圧力となるのは事実である。
三つ目は、非伝統的安全保障分野における協力の進展である。長年ARFは、対話だけで具体的な協力活動を醸成することができない「トークショップ」として批判されてきた。しかし、近年、テロ対策に関する情報交換や災害救援に関する机上演習といったように、基礎的ではあるが具体的な協力活動が行われ始めている。



最後にARFは、大国に貴重な二国間外相会談の機会を提供することによって、大国間の緊張緩和に貢献している。ARFはその成立以来、特に米中間における危機発生後の「手打ち」の場として活用されてきた。例えば、96年の台湾海峡危機、99年の米国による在ユーゴ中国大使館の誤爆、01年の海南島上空での米中軍用機接触事故のような米中関係を極度に悪化させる事件が起きた時は、米中両国はきまってARF閣僚会合の合間に二国間外相会談を開き、そこで関係改善への努力を確認してきた。また、ARFは、外交的孤立を深める北朝鮮との貴重なコンタクトポイントとしても活用されている。ARF閣僚会合の機会を利用して、米朝、日朝間で外相会談が開かれるのはその良い例である。



このように、ARFは地域の安全保障環境の向上にある程度の貢献をしてきた。しかしながら、ARFにはその将来性に疑問を投げかける数多くの問題点も存在する。第1の問題点としては、ARFで合意されてきたCBMsの低水準性が挙げられる。これまでARFは数々のCBMsを合意してきたが、その多くは対話・交流を目的としたものであり、各国の国防政策の透明性向上には殆ど効果がない。実際に軍事的透明性に寄与できるCBMsは、国防白書の発行や年次安保概観の提出など限定的なものに留まっている。その主な理由は、軍事的透明性を嫌う中国や一部ASEAN諸国の反対により、ARF内では実効的なCBMsに合意を得ることができないからである。ARF参加国間の信頼醸成を高めるためには、国防政策の不透明性から生じる国家間の猜疑心を軽減することが重要であるが、ARFは軍事的透明性の向上には大した貢献ができないのが現状である。



第2の問題は、ARFの議論・活動の拡散である。ARFの活動の焦点は、90年代末から、主に伝統的安全保障分野ではコンセンサスが形成されにくいといった理由により、非軍事・非伝統的安全保障分野に移行していった。近年、アジア地域においてもテロや海賊問題が深刻化していることを考えると、ARFがこれら非伝統的安全保障問題に取り組む必要性は高まっているといえる。しかしながら、近年、ARFの限られた組織的・人的資源や他の地域協力の枠組みとの役割分担といった問題が検討されることなしに、ARFの活動領域がなし崩し的に拡大されている。例えば、最近では、エネルギーの備蓄問題や鳥インフルエンザ、重症急性呼吸器症候群(SARS)といった伝染病問題に関する会合までARF内で開催されている。信頼醸成や予防外交といったARFの主要アジェンダへの取り組みが不十分であるにも拘らず、ARFの対象領域をむやみに拡げることは、ARFの実効性をますます損なうことにつながりかねない。



第3の問題は実行力の欠如である。ARFにおける合意事項は全て非拘束的なものとなっている。そのため、ARFでは閣僚会議での合意事項が実施されないなどの問題が起きている。例えば、国防白書や年次安保概観といった基礎的なCBMsでさえも十分に実施されていない。つまりARFは、「合意の積み上げ」はできても、参加国間の信頼醸成促進に必要な「協力の実績の積み上げ」が十分にできない状況にある。



第4の問題は、予防外交に向けたプロセスの停滞である。ARF参加国は、95年の第2回会合において、①信頼醸成、②予防外交、③紛争のアプローチという3段階に沿って発展させていくことで合意し、97年から予防外交措置の整備に取り組んできた。01年にARFは、予防外交の概念と原則」、「ARF議長の役割の強化」「専門家・賢人登録制度」といった予防外交に関する基本的な考えを記したペーパーを採択した。しかし、内政不干渉原則に固執する参加国の反対により、ARFの予防外交の対象領域は「国家間における紛争」に限定され、また予防外交を行うに不可欠とされる「早期警報」「事実調査」「調停者の派遣」といった措置も同様の理由から取り入れられないなど、ARFが予防外交で効果的な役割を果たせるか疑問である。



今後の課題と展望

今後、ARFを対話の枠組みから信頼醸成や紛争予防に貢献できる実効的な安全保障制度へと発展させるためには、まず参加国間に「協力の合意」ではなく「協力の実績」を積み上げることができる体制をARF内に構築することが不可欠である。そのためには現在ARFの運営原則となっている「ASEAN Way」に替わって、一定の拘束力を生み出すことができるアプローチを新たな原則として取り入れる必要がある。「コンセンサスによる意思決定」・「内政不干渉」・「合意事項の非拘束化」といった原則に代表されるASEAN Wayは、その非拘束的な内容から中国から支持を受け、中国のARFへの持続的な関与を引き出すなど、ARF初期の発展に貢献してきた。しかし、このような運営原則は、ARFの過度の発展を望まない抵抗勢力がARFの運営を事実上コントロールすることを許すなど、ARFの進展を妨げる障害にもなっている。ここ10年の間はその利点よりも弊害のほうが目立っている。ASEAN憲章案を巡るASEAN内の対立が示すように、近年、ASEAN Way に対する批判はASEAN内部からも出始めており、公式レベルにおいてもその是非について議論がされるようになった。長期的に見ればARFがASEAN Wayから部分的に脱却することは夢ではないだろう。少なくともこれまでARFで合意されたCBMsの実施を全参加国に義務化するといったことは可能であると考えられる。



二つ目の課題は、制度化への取り組みである。参加国間の協力を拡大・深化させ、協力関係を定着化させるには、参加国間の意見調整や合意事項の実行状況の監視などを行うことができる事務局をARF内に設置することが不可欠である。また、ARFが予防外交で意義ある役割を果たすためには、事実調査や研究、調停者の派遣といった予防外交措置の実行をサポートできる事務的機能をARF内に整備する必要がある。04年にASEAN事務局内にARF Unitが開設されたことにより、ARFは「会議の連続体」から事務局を持つ「組織体」への一歩を踏出した。しかし、ARF Unitはその構成員がたったの3人という極めて小さな事務局であり、関連文書の管理だけで精一杯の感がある。今後は、参加国間の公平性という観点からもASEAN事務局から独立したARF独自の事務局を設立する必要がある。



三つ目の課題は、予防外交措置の整備である。アジア地域には25以上の顕在的・潜在的紛争があると言われている中で、紛争を未然に防ぐメカニズムを構築するべきであるという認識は多くの参加国の間で共有されている。今後の課題は、いかにしてARFの予防外交を「国内紛争」に適用可能とし、実効的な措置を整備するかである。前述のように、その実現には内政不干渉原則の見直しが必要となる。近年、ASEAN内においては不干渉原則見直しの機運が高まってきており(ミャンマーなど一部ASEAN加盟国は不干渉原則の見直しに依然強硬に反対しているが)、実際に国内紛争への第三者の介入を容認する国も現れている。例えば、インドネシアのアチェ紛争やフィリピンのミンダナオ紛争の和平プロセスには、第三国の政府やNGOが参加し大きな役割を果たしている。ARFが当事国の同意なしに勝手に国内紛争などに介入することは非現実的であるが、当事国の許可を得た上で事実調査や調停者の派遣を行えるような予防外交システムを構築することは長期的には可能であると考えられる。



まとめ

これまで考察してきたように、ARFは信頼醸成や非伝統的安全保障協力の分野においてある程度の成果を見せてはいるが、組織の特性から生じる多くの構造的な問題を抱えており、そのプロセスは停滞傾向にある。運営原則(ASEAN Way)の見直しなど一連の組織改革を行わない限り、ARFが信頼醸成や予防外交に役割を果たすことができる安全保障制度へと発展する可能性は、少なくとも近い将来においては極めて低いといえる。これまで日本や米国といったARFプロセスの進展に積極的な「改革勢力」から多くの組織改革案が提示されてきたが、それら提案はASEANや中国といった「抵抗勢力」の反対により実現しなかった。そのため改革勢力の間には諦め空気が漂い、それら参加国のARFへの関心も著しく低下した。しかしながら、前述のようにASEAN Wayの見直しを支持する勢力はASEAN内部からも出現しており、ARF改革の可能性は以前より高まっている。日本はARFにはその成立過程から積極的に関与してきており、改革を主導するにふさわしい発言権を有している。今後、ARF改革に向けた日本の新たなイニシアティブが期待される。