「ポスト・プーチン」を決めるロシア大統領選挙が3月2日に迫っているが、選挙の行方は、当初の予想というか想定通り、プーチン大統領から「後継指名」されたメドヴェージェフ第一副首相の圧勝で間違いない。有力な世論調査機関である全ロシア世論調査センターが1月31日に発表した調査結果によれば、来る大統領選挙は投票率が約71%、各候補の得票率は、メドヴェージェフ候補が約75%、共産党のジュガーノフ候補が約13%、自由民主党のジリノフスキー候補が約11%、民主党のボグダノフ候補が約!%である。プーチン大統領が再選を果たした4年前の大統領選挙では投票率が約64%、プーチン候補の得票率が約71%であったことを考慮すると、上記世論調査結果は、いかにもあり得る数値であろう。結局、今回の大統領選挙によって、「メドヴェージェフ後継体制」が国民の圧倒的な信任を得て成立することになる。
プーチン大統領よりも13歳年少であるメドヴェージェフ第一副首相は、レニングラード(現・サンクトペテルブルグ)に生まれたのが1965年、レニングラード大学(現・サンクトペテルブルグ大学)の法学部を卒業したのが1987年であるから、世代的には、ソ連の盛期よりはむしろペレストロイカから新生ロシアの誕生を知る人物であるといえる。メドヴェージェフ第一副首相は、プーチン政権の中では経済政策に明るいリベラル派とされるが、実際、弁護士の資格を生かし、これまで数多くの企業の法律顧問を務めた経歴を持っている。経済に対する彼の現実感覚は、サンクトペテルブルグ経済フォーラム(2006.6.13)でのグローバル化に関する演説から、クラスノダール経済フォーラム(2008.1.30)でのロシア経済に関する演説に至るまで、多くのものから窺い知ることができるだろう。総じて、メドヴェージェフ「次期」大統領は、「ポスト・プーチン」として名前があがった人物たちの中では、西側先進国にとって、付き合っていくのに悪くない相手だといえよう。
しかし、それではメドヴェージェフ「新政権」の将来が明るいかといえば、必ずしもそうではない。権力交替の度に大事件が発生しがちなロシアで、この度、強大な権力が平穏裡に移譲されること自体は一定の評価に値しよう。しかし、権力委譲それ自体の成功は別にして、メドヴェージェフ「新政権」そのものについて考えをめぐらすと、少なからぬ不安定要因が浮かび上がるのである。
まず、政治権力や経済利権が少数のエリートに集中しているという国家体制である。プーチン政権は、エリツィン時代の民営化に乗じて莫大な蓄財をなした「オリガルヒ」(新興財閥)を駆逐したが、その過程において、「オリガルヒ」潰しに政治権力を恣意的に用いたばかりか、「オリガルヒ」の資産を身内に再配分したことで、政権を運営する少数のエリートを「新たな特権階級」として生まれ変わらせる結果を生んだ。さらに、そうした権力の濫用と権力内部での利権の配分は、資源産業の分野に限らず、社会の広範な分野でも行われていった。ロシアで深刻な問題となっている汚職の蔓延も、そうした権力と利権をめぐる状況の中で生まれたものに他ならない。権力と民意が一体であり、誰もが「豊かさ」を享受できる状態が国家体制として望ましいものであるとすれば、今のロシアの国家体制は、それとは相当に離れた状態にあるといわざるを得まい。権力と財力が一極に集中するのは「ロシアの伝統」の類なのかもしれないが、それにも自ずと限度があろう。
ロシアは今、統計的数値に基づくならば、経済的繁栄を享受している。しかしそれは、基本的には国際原油価格の高止まりとロシアの原油輸出の好調に支えられているに過ぎない。国際原油価格はあくまで外的な要因であってロシアが好きなように管理できるものではないし、原油輸出の好調も設備更新や資源探査の遅れといった技術的な要因に大きく左右されるのであって、いつまでも現在のような良い状態が続く保証はない。さらに、総体的には国民の購買力は向上しているけれども、消費者物価の高騰や貧富の格差の拡大といった深刻な問題が発生しており、それに対する有効な解決策はなお打ち出されていない。現在のロシアの繁栄が「本物」として今後も続くのか、それとも「偽物」として終息に向かうのかは、まさに今後の政権の経済政策にかかっている。
こうした課題に取り組むには、大統領のリーダーシップの下、政権が強固にまとまっていることが必要であるが、恐らく、メドヴェージェフ「新大統領」は、プーチン政権を支えた「シロビキ」(治安機関出身者からなる強硬派)など各派閥との関係、またプーチンその人との関係において、難しい舵取りを迫られざるを得ないだろう。
メドヴェージェフ「新政権」の母体となるプーチン政権は、「シロビキ」他のいくつかの派閥のバランスの上に成り立っていたが、かつて各派閥からなるピラミッドの頂点に立って派閥の関係を調整していたプーチン大統領が大統領を辞する今、メドヴェージェフ「新大統領」がどこまで派閥の関係、とりわけ「シロビキ」をめぐる関係をうまく調整できるかは、メドヴェージェフ政権の安定性に大きな影響を与える問題である。メドヴェージェフ「新大統領」は、少なくともこれまでは、治安機関に有力なパイプを持ってこなかった。ロシアの治安機関が巨大な権力維持装置であると同時に謀略機関でもあり、権力にとってさえある意味で危険な存在であることは、今さらいうまでもない。
さらに、メドヴェージェフ「新大統領」においては、「元大統領」となるプーチン氏との関係においても、難しい問題がある。プーチン大統領がメドヴェージェフ政権下で首相に就任したと仮定しての話だが(プーチン大統領については、首相以外にも就くべきポストとして複数の選択肢がある)、そもそもロシアでは大統領と首相の権力には非常に大きな違いがある。首相は政府の首班に過ぎず、国民の批判の矢面に立ちつつ大統領に対して政策に関する報告を行う立場であって、プーチン「首相」がメドヴェージェフ「大統領」の下でそうした役回りをこなす状況は、何ともきまりがよくない。「メドヴェージェフ=プーチンの傀儡」であれば話は別だが、メドヴェージェフ第一副首相はその経歴が示すとおり十分に優れた実務家かつ戦略家であるし、実際に大統領に就任してしまえば彼にも相応の権力や風格が備わるに違いなく、「メドヴェージェフ=プーチンの傀儡」と理解することは、どうしても難しい。結局、この二人が決定的に対立する事態こそ想定し難いものの、二人がどこまで首尾よくコンビを組んでいけるかは、メドヴェージェフがどこまで独自色を出すかに依るところが大きいと思われ、何とも不透明であるとしかいえない。
また、以上に述べたことのほかにも、チェチェンやイングーシといった北カフカスの問題や、ロシアとCIS諸国との関係の問題など、少なからぬ課題がロシアには山積しているのである。42歳の若さにして大国ロシアを率いることとなるメドヴェージェフ「新大統領」は、こうした課題にどう立ち向かっていくのだろうか。空虚かつ陳腐な決まり文句で申し訳ないが、「今後の動向に特段の関心が持たれる」ところである。