先週、米紙ロサンゼルス・タイムズは、同紙のジェームズ・オシー編集局長が編集部門の予算を巡る発行者側との対立で退任すると報じた。退任の時期や後任は明らかにされていないが、実現すれば、ここ3年間で3度目の編集局長交代劇である。問題は同紙に限らない。米国内に限らず世界各地で、ケーブルテレビやインターネット、ブログの登場で脅かされる新聞メディアは存在意義を問われ、生き残りをかけて悪戦苦闘してきた。時代の推移に伴うメディアの変容が突きつけているのは、ジャーナリズムは誰のために、そして何のためにあるのか、という根源的な問いである。
1881年に創刊されたロサンゼルス・タイムズは、発行部数で全米第4位のクオリティ紙。しかし、長年にわたる同紙の発行元・タイムズミラー社が2000年にシカゴのトリビューン社に買収されて以降、同紙の編集と経営を巡るいざこざが世間を賑わすことになる。新経営陣は経営改善を主眼に、度重なる編集部門の予算・人員削減を求めた。この数字重視の傾向は、トリビューン社がさらに昨年、不動産投資家サミュエル・ゼル氏に売却されて以降も続いた。この結果、過去8年間で編集部門のスタッフは1200人から900人に減少、発行部数も100万部から80万部に落ち込んだ。今回のオシー編集局長と経営側の対立の焦点は、米大統領選や北京オリンピックを控えた2008年度の編集予算案(2007年度は1億2300万ドル)について、編集局長が300万ドルの増額を求めたのに対し、経営側が前年比1%削減を求めて折り合わなかった点にある。「新聞の財務問題は、会計士ではなく記者に任せよ。」オシー編集局長はニューズルームでの別れの挨拶でこう言い放ち、同僚たちの拍手を受けた。(ロサンゼルス・タイムズ紙電子版2008年1月21日/22日付)。
近年のIT技術の発達で、新聞業界は大きな痛手を負ってきた。読者は新聞の購読を取りやめてインターネットとテレビをニュースの主な情報源とするようになり、広告主は新興のケーブルテレビ番組やインターネットサイトに奪われた。こうした時代の荒波に、新聞業界は経営合理化策で対処してきた。米国新聞協会によると、2000年から2004年までの5年間で新聞業界の雇用者数は約42万人から約37万に減少した(毎日新聞2007年2月12日付)。また、新聞社をめぐる買収劇が繰り広げられ、ロサンゼルス・タイムズ以外にも、ウォール・ストリート・ジャーナルの米メディア・娯楽大手ニューズ社による買収、140年の歴史を持ち32紙を傘下に擁するナイト・リッダー社の同業マクラッチー社による買収などが相次いだ。中でも経営合理化策の矛先となっているのが編集部門であり、徹底した予算削減と紙面の大衆化が計られた。
米新聞業界では長く、経営側が編集に干渉しないことが良識とされてきた。同じく予算削減を巡る経営側との対立で退任した元ロサンゼルス・タイムズ編集局長ジョン・キャロル氏(オシー編集局長の前々任者)が「石をひっくり返す」作業と呼ぶように、新聞記者の仕事には、何が出てくるか不確実な中で粘り強く取材を続けて真相を掴む、あるいは雑談やブラブラと町を歩き回る中でスクープの種が生まれるなど、多分に「無駄」な要素が必要だ。こうした合理主義とは相容れない記者の取材活動を経営側が金銭的・精神的に支えることが理想とされてきた。よい例がワシントン・ポストをニューヨーク・タイムズに伍する一流紙に育て上げたキャサリン・グラハム社主とベン・ブラッドリー編集局長の関係である。
夫のピストル自殺を受けて1963年にワシントン・ポスト社主の座についたキャサリン・グラハム氏は、2年後に「ニューズ・ウィーク」誌のワシントン支局長を務めていたブラッドリー氏を編集局長に迎え入れた。ブラッドリー氏以前のワシントン・ポストは、米国でも二流新聞との評価で、ブラッドリー氏自身、20代の駆け出し記者時代をワシントン・ポストで過ごしたが、社の方針で海外特派員の希望がかなわず同紙を去った経緯がある。新社主となったキャサリン・グラハム氏はブラッドリー氏に編集体制を一任、ブラッドリー氏は記者の給料を業界随一のレベルに引き上げて質の高い記者を他紙から引き抜き、数年後にはピューリッツァー賞受賞者を輩出する一流紙に成長させた。ニクソン大統領を辞任に追い込み、米ジャーナリズムの黄金時代を築いたボブ・ウッドワード/カール・バーンスタイン両記者によるウォーターゲート事件取材も、このグラハム/ブラッドリー体制下で記者への信頼と取材の自由が保障されていたからこそ実現したものだった。
ロサンゼルス・タイムズにしても、同紙を一流紙に仲間入りさせたのは、1960年代から70年代にかけて発行人を務めたオーティス・チャンドラー氏が編集スタッフと取材費の拡充により編集部門の大胆な改革を試みたからであった。背景には、発行元・タイムズミラー社のチャンドラー一族が不動産業等で築いた巨万の富があった。このように、米国ではジャーナリズムに理解のある裕福な一族による安定した経営が「正義の夜警番」たる報道の質を維持するために必要と理解されているが、こうした一族経営の伝統が残っているのは現在では、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストくらいである。(ロサンゼルス・タイムズのトリビューン社への売却は、チャンドラー家がジャーナリズムへの情熱を失ったことが原因とされている。)
近年の新聞経営合理化策は、紙面の質に大きな影響を及ぼしている。編集予算の削減は、海外支局の閉鎖、ワシントンや地元議会をカバーする政治記者の削減、さらには総紙面数の減少として表れ、広告主の要求する「お金になる」記事や大衆受けするスキャンダルやゴシップを扱った内容が増加することとなった。ついには、新聞社に編集者は不要、何がニュース足り得るかの価値判断は市場に任せればいいとの極論さえ出ている。そこには、かつてベトナム戦争に関する機密文書『ペンタゴン・ペーパーズ』掲載を巡り、社命をかけて政権とやりあった米ジャーナリズムの気概はもはや見られない。
メディアの難しさは目的が公益でありながら、政府機関と異なり自ら採算をあげていかなければならない点にある。記者たちは、広告主でも株主でもなく、一般国民すなわち読者のために仕事をすることを誇りとしてきた。根底にあるのは、良質の情報を国民に提供し、その国民の声が国政に反映されるという民主主義への信頼だった。市場原理の荒波に放り込まれ、大衆化する新聞ジャーナリズムに未来はあるのだろうか?
元ロサンゼルス・タイムズ編集局長・ジョン・キャロル氏は、編集局長辞任後の2006年4月に全米新聞編集者協会で行った演説で、「お金がすべて」となった新聞経営体制への苛立ちをあらわにしつつ、新聞ジャーナリズムに未来があるとすれば、それは編集者・記者らがもう一度ジャーナリズムの使命を再確認すること、そして地元の理解ある有力者が経営権を買い取ってくれることにあるとした。「我々が直面している課題は、単にいい記事を書くことでも、特定の新聞社を救うことでもなく、大げさに聞こえるかもしれないが、それはジャーナリズム自体の救済なのだ。」
米国以外でも、新聞社は苦戦を強いられてきた。英国では、200年以上の歴史を持つザ・タイムズがタブロイド版の発行に踏み切り、フランスでは哲学者サルトルらが創刊した代表的な左派紙「リベラシオン」が廃刊の危機に追い込まれている。こうした中で、整備された宅配制度を持ち、新聞購読が浸透している日本の新聞メディアは比較的安定した地位を保っている。しかし、記者クラブ制度を中心とした日本のマスコミには、官庁や業界団体の「発表もの」に依拠しがちな情報の画一性や批判精神の欠如といった点で海外からも強い批判が出されており、ジャーナリズムの問題からは決して無縁ではない。