2007年12月19日に韓国で第17代大統領を選ぶ選挙が実施された。韓国では第17代大統領選挙と呼ばれている。当選者は、ハンナラ党の候補者・李明博である。以前のコラムでも書いたように、韓国の政党は、全羅道を支持基盤とする「進歩勢力(与党圏)」の政党と慶尚道を支持基盤とする「保守勢力(野党圏)」の政党に分かれて対立している。今回、保守勢力の政党であるハンナラ党の候補者が、進歩勢力の政党候補者を破って当選した。進歩勢力は、1998年の金大中政権以来、10年にわたって政権を維持し続けたが、ついに政権の座を保守勢力に引き渡すことになる。李明博の大統領就任予定日は、2月25日である。
今回の大統領選挙では、いくつかの目立った特徴があった。それを本稿で挙げてみようと思う。まず、その投票率の低さである。今回の大統領選挙における選挙人数は37,653,518名であり、総投票数は23,732,854票であった。従って、投票率は63.0%であり、韓国の大統領選挙では過去最低記録である。 また、表2で見られるように、今回の大統領選挙には10名の候補者が出馬した。これは、韓国の大統領選挙では過去最多記録である。保守・進歩勢力からもそれぞれ複数の候補者が出馬し、保守・進歩勢力に属さない候補者も数多く出馬した。
進歩勢力はもともと大統合民主新党と民主党に分かれており、それぞれ別の候補を選出していた。民主新党では、比較的国民に人気があった孫鶴圭を抑えて、党内組織票を集めた鄭東泳が候補者に選出された。民主党では、前回の大統領選挙における党内予備選で盧武鉉に敗れた李仁済が候補に選出された。また、保守勢力では、ハンナラ党が李明博を候補者として選出し、候補の単一化に成功していたが、前々回と前回のハンナラ党大統領候補者であった李会昌がハンナラ党を脱党し、無所属で大統領選挙に出馬することを2007年11月7日に宣言した。こうして保守勢力の票は二人の候補に分かれることになった。他にも、新たに誕生した新党なども加えて、9政党の公認候補と1無所属候補が大統領選挙で争った(大統領選挙候補者登録時は11政党、1無所属)。 また、今回の大統領選挙の当選者である李明博は、11,492,389票を獲得した。総投票数の48.7%という得票率である。表3で示されるように、1987年の民主化以降の大統領選挙において最多得票率で当選したのは、現大統領の盧武鉉であり、48.9%であった。
李明博の得票率は僅かな差ではあるが、過去2番目の高さとなる。なお、民主化以前の選挙では、制度が時期によって異なるので単純に比較できないが、1963年10月15日に実施された大統領選挙(第5代)において朴正熙が46.6%の得票率で当選したのが最低記録であり、他は50%以上の得票率で当選している。 当選者と2位候補者の得票差も、民主化以降においては新記録の5,317,708票である。今までの最高得票差は、1987年12月16日に実施された大統領選挙(第13代)における盧泰愚と金泳三の得票差である1,945,157票であった。今回の得票差は、その約3倍にもなる。なお、この記録は、2人以上の候補者が出馬した韓国の大統領選挙では、民主化以前でも過去最高得票差となる。ただし、1960年3月15日に実施された大統領選挙(第4代)で、野党候補の趙炳玉が選挙前に死亡し、李承晩が選挙に単独出馬したため、2位候補者が不在のまま9,633,376票を獲得し、当選したことがあった。出馬できなかった候補者である趙炳玉は、当然0票であり、李承晩の得票がそのまま趙炳玉との得票差となって、歴代最高得票差となる。李承晩の得票率は100%であるため、民主主義制度の下では破ることが不可能な記録である。 また、保守勢力と進歩勢力の支持基盤における得票格差(地域主義)が、民主化以来、韓国の選挙に最も大きな影響を与えてきた要因であることを前回のコラムに書いたが、今回の大統領選挙でも地域主義の影響は確認できる。表4で見られるように、進歩勢力候補者は、その支持基盤である全羅道で、民主主義制度下の選挙としては信じ難い高得票率を確保してきた。
しかし、今回、その得票率は過去最低である。反対に、保守勢力候補者の得票率は全羅道では低い水準に留まってきたが、今回は比較的高い得票率を確保した(第13代に続いて過去2位)。これだけで地域主義が弱まったとはいえないが、支持基盤である全羅道で進歩勢力の候補者の得票率が約80%まで落ちたのは興味深い。 また、今回の大統領選挙の特徴として、約4ヶ月後の4月9日に国会議員選挙が控えていることが挙げられる。今回のように、大統領選挙の直後に国会議員選挙が実施されるのは、韓国の現行憲法下では20年に1度しかない。大統領の任期が5年であり、国会議員の任期が4年だからである。 |