ロシアでは、2008年3月2日の大統領選挙に先立つこと3ヶ月となる12月2日、4年ぶりとなる下院議員選挙が、完全比例代表制によって実施された。本稿を執筆している時点で、最終結果はまだ出ていないが、当初の予想通り、選挙は与党「統一ロシア」の圧勝に終わった。プーチン政権の「統一ロシア」への強い肩入れからすれば、「統一ロシア」の得票率63%というのはやや低い感があり、少ないながらも政権への批判票の根強さも看守されるが、それでもなお、「統一ロシア」は下院の三分の二以上もの議席を確保するに至った。以下、今回の選挙が持つ意味について、簡単に考察してみたい。
まず注意しなければならないのは、今回の「統一ロシア」の圧勝は、単に国民が「統一ロシア」を選んだということではなく、むしろ、プーチン政権が「ポスト・プーチン」体制構築の一里塚として生み出したものであることだ。確かに、国民がプーチン政権下での「大国ロシアの復活」を評価していること、その流れにおいて「統一ロシア」が国民の支持を得ていることは、事実である。また、いかにプーチン政権といえども、選挙結果自体を捏造することまではできないだろう。そうした意味では、この選挙結果は「国民の選択」には違いない。しかし、現在のロシアでは、メディアや支持団体を使っての大掛かりなキャンペーンなど、選挙はその相当部分が政権のコントロール下にある。今のロシアにおいて政権の思惑と大きく異なる選挙結果が出ることはあり得ない。選挙戦終盤、プーチン大統領は明確に「統一ロシア」への支持を表明していた。「統一ロシア」の圧勝は、プーチン政権の筋書きに従って起こるべくして起きたものである。
プーチン政権としては、とかく欧米諸国から「民主主義の未熟」を批判されており、「統一ロシア」を勝利させながらも例えば「公正ロシア」を第二与党として処することで「一党独裁」的な色を薄めることもできただろう。しかし、プーチン政権はそうした道を選ばなかった。それはやはり、「ポスト・プーチン」体制を構築する上での事情によるのだろう。即ち、現在の政治体制の継続、より具体的には今の政治エリートの権益を総体としてそのまま引き継ぐことを「ポスト・プーチン」体制構築の主眼とするプーチン政権にとっては、中途半端な多党制は必要ない。求められるのは、大統領、政府、下院といった政治機構が全て一体として、「プーチン・グループ」ともいうべきプーチン大統領を中心とする政治エリートの手中にあることなのである。しかも、そうした体制が「国民の支持」に基づいているという形をとらなければならない。そうした意味からは、今回の選挙は、「ポスト・プーチン」体制を構築する上での第一段階が終了したことを意味する。プーチン政権は、「政党制の強化」や「体制の安定」の旗印の下、与党による一党支配体制を構築したのである。
下院議員選挙を首尾よく終えた今、プーチン政権にとっての次の課題は大統領選挙である。しかし、「ポスト・プーチン」体制構築の鍵が上記のようなものである以上、誰が大統領になるかということ自体は、さほど重要な問題ではない。「プーチン・グループ」から推挙される者として次期大統領が具備すべき要件は明らかであるが、極論すれば、その要件さえ具備するなら人物としては誰でもいいのである。その要件とは、これまでのプーチン大統領が採ってきた路線を継承できること、プーチン政権の中に存在する派閥の権力バランスを調整できること、「プーチン・グループ」の利権を守り抜けること、「強い大統領」のイメージを持ちつつもプーチン大統領を上回る人気をもち得ないこと、などであろう。現時点では、イワノフ第一副首相が本命、メドベージェフ第一副首相が対抗馬とみられるが、ともかく、大統領選挙への立候補者は12月23日までに中央選挙管理委員会に届出をしなければならないので、次期大統領が誰かは、その時までには明らかになろう。
ところで、そもそもプーチン政権とはどのような性格のものなのだろうか。恐らく、プーチン政権は、プーチン大統領が独裁的に権力を掌握しているものではない。むしろ、プーチン政権は、プーチン大統領を頂点に、いくつかの派閥のバランスの上に成り立っているものであり、頂点としてのプーチン大統領とそれを支える派閥は、不可分の関係にある。プーチン政権については、とかく「シロビキ」(政権内で高い地位に就いている治安機関出身者の呼称。ロシア語で力を意味する「シーラ」が語源)の影響力の強さが指摘されるが、「シロビキ」が主導しているのは富の再分配や言論統制などの分野であって、「シロビキ」がプーチン政権全体を仕切っているわけではない。実際、プーチン政権の人員配置をみると、例えばクドリン副首相やスルコフ大統領府副長官など、「シロビキ」ではない高官が少なからず見受けられる。むしろ、今のプーチン政権において特徴的なのは、サンクトペテルブルグ人脈を重用する「側近政治」であろう。上記した政権内のいくつかの派閥の領袖は、プーチン大統領とサンクトペテルブルグ大学の同窓であったりサンクトペテルブルグ市役所の同僚であったり、ほとんど全てがサンクトペテルブルグ絡みである。
さて、それでは、2008年5月に統領任期を満了するプーチン大統領は、2008年5月以降どうなるのだろうか(プーチン大統領が常々否定しているにもかかわらず「プーチン三選説」が根強いが、ここではプーチン大統領三選はないと考える)。次期クレムリンも結局は「プーチン・グループ」によって成り立つに違いない状況にあって、その総帥であるプーチン大統領自身が完全に政界から身を引く事態は想定し難い。プーチン大統領がレイムダック化していれば格別、プーチン大統領は依然として国民の高い支持を得ている上に1951年生まれとまだ若く、あらゆる点から判断して、プーチン大統領が2008年5月をもって政治の表舞台から去る事態は想定し難い。この点について、プーチン大統領は「ロシアの鄧小平」となることを企図しているとの見方があったが、ロシアは基本的に、帝政の伝統を持つ国、強い指導者を求める国であり、然るべき地位を伴わない人間が国家指導者として君臨することを許す風土とは思われず、やはり相応のポストが必要であろう。
そうしたことから、2008年5月以降にプーチン大統領が就くべきポストとして、下院議長、首相、「統一ロシア」党首、「ガスプロム」(世界最大のガス企業)会長など、これまでいくつかの説が唱えられてきた。こうしたことについて、プーチン大統領自身は、「大統領と政府の権限の再配分はしない」、「自分はビジネスには向いていない」などと述べており、どうも首相や「ガスプロム」会長は、あまりありそうにない。他方で、「統一ロシア」がプーチン大統領との一体性を強固にし、ロシアにおける「唯一政党」あるいは「指導的政党」となった今は、「統一ロシア」党首というポストはありそうにも思える。しかしながら、この問題もいずれ明らかになる話に過ぎない。むしろ本質的な意味で問題なのは、「ポスト・プーチン」時代も「プーチン・グループ」によるプーチン政治が続くという状況である。
こうした流れは、ロシアに政治的な安定をもたらすものである一方、どうしても「変形された独裁」の色彩を帯びざるを得ない。特に、プーチン政権下では、政治権力のみならず、富までが「プーチン・グループ」の中において再配分されているばかりか、地方にいたるまで巨大な「集金システム」が動いている様子が窺われる。「政治と金」について、プーチン大統領は、エリツィン時代の民営化に乗じて莫大な財を成したオリガルヒ(新興財閥)に対する妥協なき姿勢によって国民の人気を得た。しかし、「石油王」ホドルコフスキーや「政商」ベレゾフスキーといった政権に批判的な「オリガルヒ」が政権による徹底的な弾圧を受ける一方で(ホドルコフスキーはシベリアの刑務所に服役中、ベレゾフスキーは英国に亡命中)、「アルミ王」デリパスカなど政権に忠実なオリガルヒは、政権との協力関係を背景に今もロシア国内で豊かな生活を享受している。そもそも、プーチン大統領自身、オリガルヒのバックアップによって大統領に就任したわけだし、汚職のうわさが絶えなかったエリツィン大統領に不逮捕特権を与えるなどエリツィンを最後まで守ったのもプーチン大統領だった。そうしたことを考えると、プーチン大統領の「全ては国民のため」という言葉も、心なしか空しく響く。
国際原油価格の高止まりという幸運に大いに助けられたとはいえ、プーチン大統領の統治下でロシアが発展を遂げてきたことは事実である。国力の増大を背景に、国際舞台におけるロシアの発言力も、明らかに増大している。そうした実績に裏付けられ、ロシアでは国民の多くがプーチン大統領を支持している。しかし、「ポスト・プーチン」時代が近づく中で明らかになりつつあるロシアの姿が、「ロシア的」民主主義によるものとして国際社会において広く是認されるべきものかどうかは、なかなか判断が難しい。ロシア固有の歴史や国民性から、欧米的な民主主義がロシアに根付かないことは当然だが、少なくとも、権力や富の過度な一極集中が民主主義であるとは言えないだろう。共産党一党支配体制の末にソ連が崩壊したのはわずか16年前のことである。ロシアは、大国として復活しつつある影で、徐々に病魔に冒されてはいないだろうか。