コラム

ロシア下院議員選挙を控えて~ロシアにおける政党制について考える

2007-11-01
猪股浩司(主任研究員)
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12月2日、ロシアで連邦院(以下、下院)議員選挙が行われる。これは、プーチン大統領の任期満了を2008年5月に控え、2008年3月に大統領選挙が実施されることとの関係において、「ポスト・プーチン」体制のあり方を決める上での大きな要素である。一応、ロシアも権力分立体制をとっており、下院は、政府不信任の決議や大統領弾劾の発議、法律案の優先審議などの権限を有していて、実際、エリツィン大統領の時代には、野党である共産党が下院に大きな勢力を占め、大統領と鋭く対立した経緯もある。そうした意味では、どの政党が下院でどれほどの勢力を占めるは、政権の舵取りにとって極めて重要な問題であるといえる。

もっとも、来る下院議員選挙の結果自体は、既に相当以前から明白である。即ち、与党「統一ロシア」が過半数を大きく越える議席を得て圧勝し、ロシア連邦共産党(以下、共産党)、「公正ロシア」、ロシア自由民主党(以下、自由民主党)が大差をつけられてこれに続き、それ以外の政党は議席の確保すら難しい、と展望されるのである(因みに、今般の下院議員選挙には、上記4政党のほか、農業党、「市民の力」、民主党、社会公正党、「ロシアの愛国者」、右派勢力同盟、「ヤブロコ」が参加。参加政党は、全部で11政党)。「統一ロシア」は、前回(2003年12月)の下院議員選挙で圧勝し、下院会派として450議席の3分の2以上の議席を確保したが、それ以降現在まで、ロシアでは経済の成長と政治の安定という状況が基本的に続いており、野党が勢力を伸張させ得る要素は容易に見出し難い。実際、今般の下院議員選挙の9ヶ月前となる2007年3月に実施されたダゲスタン共和国やモスクワ州など14の連邦構成主体議会選挙では、得票率に換算して、「統一ロシア」が約54%、共産党が約18%、「公正ロシア」が約17%、自由民主党が約10%、という結果が出ている。

さらに、「統一ロシア」は、プーチン大統領の人気が依然として高い水準を維持する状況下で、その選挙綱領を「プーチン・プラン-偉大な国のふさわしい勝利」と名づけ、さらに、その名簿第一位(下院議員選挙は完全比例代表制による)にプーチン大統領を載せるなど、「プーチン大統領との一体性」を前面に打ち出しており、恐らくその結果として、「統一ロシア」に対する支持率はさらに上がっている模様である(全ロシア世論調査センターが行った結果では、この間に「統一ロシア」の支持率が48%から54%に増加)。プーチン政権の政党対策や議会対策、選挙運動やマスコミへの管理などとも相俟って、具体的な議席数はともかく、「統一ロシア」の圧勝に疑問をはさむ余地は、ほとんどない。与党が下院を支配する状況が続くことは、少なくとも政治の安定にとっては好ましいものであるといえよう。

ところで、プーチン大統領は、これまでもたびたび「政党制の強化」に言及している。ロシアでは、下院議員選挙の制度自体、今回の選挙から、それまでの比例代表制と選挙区制の併用から比例代表制へと一本化され、かつ、政党が下院に議席を得るのに必要な得票率がそれまでの5%から7%へと引き上げられ(全体の7%以上の得票がなければ議席は得られない)、これにより、下院議員選挙は、政党を中心にして行われることになった。これについては、「少数意見の排除を狙ったもので、民主主義に逆行するもの」との批判があるが、これに対してプーチン大統領は、「しっかりした政党を主体にした選挙が行われることは、民主主義に合致する」旨説明している。なるほど、中央の目が届きにくいことを利用して地域に密着し怪しげな資金活動を行っているような「地方貴族」的な政治家もいるだろうことを考えると、プーチン大統領の説明にも一定の説得力はあろう。

しかし、ここで注意しなければならないのは、「政党制の強化が民主主義の強化につながる」には、政党が民意を吸い上げるシステムが機能していなければならないということである。本来あるべきスタイルは、まず民意があり、それを各政党が受けて、その政党の相互作用によって政治が進められるという、いわば「ボトムアップ」的なものだろう。しかし、ロシアでは、敢えて大まかに言えば、まず大統領を中心とする政治エリート集団がいて、その意向の受け皿として政党があって、これらが決めたことを民意が受けるという、いわば「トップダウン」的なスタイルに、実際はなっているとみられる。要するに、枠組みと中身が一致していないのである。与党「統一ロシア」が絶対多数を占める下院が「大統領サイドが提案する法案を追認するだけの機関」になっているとの批判は、決して的外れではない。

確かに、こうした状況にも、やむを得ない点は多々ある。そもそも、民主主義や政党制は、西欧諸国において国民が長く苦しい闘争の末にかち取ったものとしての歴史がある。しかし、ロシアは、もともと専制国家だったのがロシア革命で突如として社会主義国家に変貌し、社会主義国家たるソ連が冷戦に敗れて連邦解体に至り、これまた突然に民主主義国家として再生せざるを得なくなったという激しい歴史を持っている。その民主主義国家への再生が行われたのがわずか16年前、さらに、その過程でルーブル危機などの大きな社会混乱をも経験している。そんなロシアにおいて、民族の価値観が西側先進国のそれと大きくずれているとしても、何の不思議もない。結局、ロシアは、西側先進国的な政治体制を造ろうにもその土台を持っておらず、とりあえず改革を「上から」進めざるを得ない面があるわけだ。「ロシア流の」とはプーチン大統領もよくいうが、それは、政党制のあり方についてもいえることであろう。

とはいえ、民意という裏づけを持たない「上から」の改革は、過渡期においては許されるものの、いずれ中身を伴わせるのでなければ、形骸化と腐敗は免れないだろう。今後、ロシアにおいて、政党が民意の受け皿として機能してゆくのか、それがどう実際の政治に反映されていくのか、それは全く不透明である。ロシアの民主主義のあり方をめぐって、西側先進国とロシアとの軋轢が強まっている中、来る下院議員選挙、ひいては大統領選挙についても、「官製の出来レース」、「民主主義とは到底言えない」などの批判が起こることは、明らかである。ロシアは、これにどう答えるのだろうか。ロシアにおける政党制強化のプロセスは、ロシアが西側先進国を中心とした国際社会にどう統合していけるかにも関わる問題だと思われる。

なお、最後になったが、以下、先にあげたロシアの主要四政党の現状について、ごく簡単に記す。

「統一ロシア」:全ロシア社会組織「統一」、「祖国」、「全ロシア」の統合と再編を経て2001年に成立。プーチン大統領と密接な関係にある。資源産業や軍需産業を重視しつつ、これを国家の管理下に置き、経済成長を持続させることを目指す。高所得者層やホワイトカラー層が支持基盤。他方、権力と利権が目当て、あるいは「勝ち馬に乗りたい」者の寄り合い所帯的な性格から、理念的にも組織的にも政党としての強固な一体性に欠けるきらいがある。党首は、ボリス・グルィズロフ(1950年、沿海地方ウラジオストク市生まれ。レニングラード電気技術大学卒。下院議員、内務相などを歴任し、2004年から党首)。

共産党:1990年に設立されたが、翌年「8月クーデター事件」(共産党保守派がゴルバチョフ大統領を軟禁して非常事態を宣言したものの、クーデターとしては失敗に終わった事件)によってゴルバチョフ大統領から活動を停止され、1993年に再建。エリツィン政権下で財を成した経営者層を批判し、福祉国家の実現を標榜。農民、低所得者層、年金生活者層が支持基盤。エリツィン時代には第一野党として政権と鋭く対立した実績があるが、政策も含めて「古いイメージ」がつきまとい、若年層に支持が拡大できておらず、ここ数年は凋落傾向にあって、政治の一線に舞い戻ることは考え難い状況。党首は、ゲンナジー・ジュガノフ(1944年、オリョール州ムイムリノ村生まれ。ムイムリノ中学卒。ソ連共産党での活動を経て、1993年から党首)。

「公正ロシア」:年金党、「祖国」、生活党が合一して2006年に結成。貧困の撲滅や社会的公正の実現を主張するが、基本的には調整型市場経済を指向しており、中産階級や年金生活者をターゲットにする。第二与党を目指しており、2007年3月の地方議会選挙では予想外に善戦したが、「統一ロシア」との違いが曖昧なほか、ミロノフ党首個人への依存度が高く、党勢が一時的なブームに終わってしまう可能性も否定できない。党首は、上記セルゲイ・ミロノフ(1953年、レニングラード市生まれ。サンクトペテルブルグ大学卒。上院議員、生活党党首などを経て、2006年から党首)。

自由民主党:民族主義者のジリノフスキーが1989年に結成した政治グループを母体に、1992年に政党登録。極端な民族主義的スローガンを掲げた宣伝活動で知られるが、政治の実際面では政府に同調することが多い。1993年の下院議員選挙で躍進して注目されるが、ジリノフスキー党首のパフォーマンス頼りの現状で、基本的には低学歴層を中心とした浮動票に頼らざるを得ない。
党首は、上記ウラジーミル・ジリノフスキー(1946年、カザフスタン共和国アルマアタ市生まれ。モスクワ大学卒。軍勤務などを経て1988年から政治活動に取り組む)。