去る4月、中国の温家宝総理が訪日した際に発出された日中共同プレス発表の第三項に、「台湾問題に閲し、日本側は、日中共同声明において表明した立場を堅持する旨表明した」という一文がある。ここでいう「日中共同声明において表明した立場」とは、具体的にどのようなものなのか。英語でInstitutional memoryという言葉がある。特定の組織が、当該組織に属したことがある個人ではなく、組織として継承している過去の記憶のことである。今年は、日中国交正常化35周年に当たる。35年前に国交正常化を合意した日中共同声明の主要な争点の一つであった台湾問題についての日本政府の当時の交渉記憶が正確なものかどうかを、この機会に改めて検証してみる必要があるように思われる。
「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて
表明する。
日本政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に
基づく立場を堅持する。」
右に引用したのが、台湾の地位について合意された日中共同声明第三項である。同項は、1972年9月、北京での国交正常化交渉において最後まで残った争点であり、また、共同声明の中で今日でも実体的意味を持っている唯一の規定なのである。(当時筆者は、条約課長として、田中総理、大平外相に随行し、高島条約局長を補佐して中国側との交渉に参画した。)
そもそも、中国との国交正常化を公約に掲げて72年7月に登場した田中内閣が対応を迫られたのが、当時中国政府が国交正常化の前提条件として提示していた対日復交三原則であった。このうちの第一原則、すなわち中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であると認めることは、戦後わが国が外交関係を維持してきた台湾に存在する中華民国政府との公的関係を、「一国一政府」という国際法の原則に従って終了させることを意味した。これは、日本政府にとって、大きな政治的決断を必要とする問題であったが、中華人民共和国との国交正常化を実現しようとするのであれば、いずれにせよ避けて通ることはできない関門であった。
対日復交三原則の第三原則は、わが国が1952年に中華民国との間に締結した平和条約は、不法、無効であり、廃棄されなくてはならない、とするものであった。この主張は、中華人民共和国 (1949年に樹立宣言) の立場からすれば当然とも言えるが、他方、わが国としても、戦後わが国の国際社会復帰の枠組みの一環であった日華平和条約が不法、無効と認めるわけにはいかないことは明白であった。この双方の立場の違いを克服するには、交渉当事者の現実主義と外交的智恵を要したが、決して不可能なことではなかった。実際にも、この問題は、共同声明発出直後に行われた記者会見において、大平外務大臣が「日華平和条約は、日中国交正常化の結果として、存続の意義を失い、終了したものと認められる」との一方的声明を行う(これに対し、中国政府が意義を唱えない)ことにより解決したのである。
第二原則は、台湾の地位に関し、先に引用した共同声明第三項の前段に述べられている中華人民共和国政府の立場を認めることを求めるものであった。この台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国の立場を受け入れることには、三つの基本的問題が存在した。第一は、1949年に誕生した中華人民共和国は一度も台湾に実効的支配を及ぼしたことはなく、同地域は、中華人民共和国の支配を拒否する国民党政権 (当時) によって継続的に統治されてきている、という政治的現実である。第二は法的な問題である。台湾の法的地位に関しては、サンフランシスコ平和条約がわが国の領有権を含む「すべての権利、権原」の放棄を規定するに止まり、同地域の最終的帰属を定めなかったという経緯がある。これは、1949年以降の中国が、大陸を支配する中華人民共和国と台湾を支配する中華民国の二つに事実上分裂した事態の下で、サンフランシスコ平和条約の当事国である米国その他の連合国の間で、台湾をいずれの中国に帰属させるかについての合意が得られなかったことによるものである。そして第三が、日米安保体制に係わる問題である。
日中国交正常化に先立つ同じ1972年の5月に沖縄の本土復帰が実現したが、沖縄返還交渉において米国との間で最大の争点となったのは、返還後の同島の米軍基地に、安保条約に基づく事前協議制度が変更なしに適用されるのかどうか、という問題であった。これが、いわゆる「本土並み」返還の問題である。
事前協議制度の下では、わが国が攻撃されていない状況において、米軍が戦闘作戦行動を目的として在日基地を使用するためには、事前に日本政府の許諾を得る必要がある。日本政府は、当然この事前協議制度はそのままの形で沖縄の米軍基地にも適用されるべきである、との立場で対米交渉に臨んだ。しかし、韓国、中華民国(台湾)との間に相互防衛条約を結んでいる米国としては、万一朝鮮半島あるいは台湾海峡有事の際に、事前協議に基づく日本政府の許諾が得られず、沖縄の米軍基地の使用が著しく制約されれば、韓国、中華民国に対する防衛義務を効果的に果たせなくなることが懸念され、そのような事態は是非とも避けなくてはならない、という軍事上の要請があった。
そもそも安保条約は、日本防衛と同時に、条約上は極東と呼ばれる、わが国を含む東アジアの安全を確保する地域的安全保障システムの中核という性格を併せ持っている。しかし、この地域的システムは、朝鮮半島や台湾地域の平和と安全の重要性について日米両国が共通の認識を持たなくては機能しないことは明らかである。したがって、沖縄の「本土並み」返還を実現するためには、事前協議制度は維持しつつ、別途何らかの方法で、地域的システムとしての安保体制が、いざというときに機能不全に陥ることはないことを示すことによって、米国の懸念を取り除く必要があった。そのために考え出されたのが、1969年11月の佐藤栄作総理(当時)の訪米時に発出された日米共同声明である。(この間の経緯については、東郷文彦「日米外交三十年」に詳述されている。)
同共同声明の第四項において、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」と同時に、「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとって極めて重要な要素である」との総理大臣の認識が表明されている。更にこれを受けて第七項は、次のとおり述べている。
「総理大臣と大統領は、施政権返還にあたっては、日米安保条約及びこれに関連する諸取決め
が変更なしに沖縄に適用されることに意見の一致をみた。これに関連して、総理大臣は、日本の
安全は極東における平和と安全なくしては十分に維持することができないものであり、したがっ
て極東の諸国の安全は日本の重大な関心事であるとの日本政府の認識を明らかにした。
総理大臣は、日本政府のかかる認識に照らせば、前記のような態様による沖縄の施政権返還
は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げと
なるようなものではないとの見解を表明した。大統領は、総理大臣の見解と同意見である旨を述
べた。」
すなわち、極東の平和と安全についての日米の認識の共有を確認することにより、日本側は、事前協議に際して「ノー」と言う(戦闘作戦行動のための基地の使用を認めない)権利を留保しつつも、実際にその権利を行使する可能性は極めて小さいという政治的保証を米側に与え、「本土並み」返還への合意を取り付けたのである。なお、訪中の一ケ月前の八月未にハワイでニクソン大統領と会談した田中総理は、中国との国交正常化は安保条約と関わりない態様で行う旨を述べて、同大統領の了解を得た経緯があるが、これは、右に触れた日米共同声明を念頭に置いてなされたものである。
以上の背景を踏まえながら、わが国として、台湾問題に関しどのような立場をとるべきであろうか。これが、当時の外務省事務当局に与えられた課題であった。
台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国の主張を受け入れた場合は、台湾に対する中国の武力行使は国際法上内戦の一環(正統政府による反乱政権に対する制圧行動)として正当化され、他方、台湾防衛のための米国の軍事行動(中国の国内問題への違法な干渉)をわが国が支援する法的根拠が失われてしまう。これは、まさに地域的安全保障システムとしての安保体制の崩壊を意味する。わが国がこのような立場に立たされることは、中国が武力による台湾「解放」の可能性を排除しないとの立場をとっている以上、どうしても避けなくてはならないことは明らかであった。そこでわが方が中国側に提示した共同声明の台湾問題に関する原案は、まず前段において、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国の立場を引用し、後段で、「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」としたのである。北京の人民大会堂で開催された第一回外相会談において、日本側は共同声明案を提示し、高島条約局長(当時)が大平大臣の指示に基づいて逐条的に案文の説明を行った。台湾については、サンフラン シスコ条約の下で全ての権利、権原を放棄したわが国は、同島の地位について発言する立場にないとの認識を述べた。
日中交渉の七ヶ月前の二月にニクソン大統領が訪中し、米中和解を謳う歴史的な上海コミュニケが発出された。その中で台湾問題について、米側は、「米国は、台湾海峡の両岸のすべての中国人は、中国は一つであり、台湾は中国の一部であると主張していることを認識する(acknowledge)」と述べるに止まった。日本としては、この米国の立場から踏み出すわけにはいかない、というのが共同声明案を起草した外務省(条約局) の考えであった。(ちなみに、わが方の照会に対する米側の非公式の説明は、「アクノレッジ」とは、文字通りアクノレッジという意味であり、それ以上のものではない、とのことであった。すなわち、中国人が主張している事実を認めたのであって、主張そのものを認めたものではない、という意味であると理解されたのである。)
さて、「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重する」とのわが方案に対し、中国側の回答は、「ノー」であった。このような厳しい反応は、台湾に対して強い影響力を有している国は米国に次いで日本との実情を考えれば、予想されないことではなかった。したがって、訪中前に条約局は、中国がわが方案を拒否した場合に備え、ぎりぎりの第二次案を考えておく必要があると判断したのである。そして、そのような案としてわれわれ事務当局がポケットに入れておいたのが、当初案の末尾につなげて「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」との一文を加えたものであった。
わが国が降伏に際して受諾したポツダム宣言 (日本の降伏条件を規定した宣言として、1945年7月26日付で米・英・中華民国三国首脳により発出)は、その第八項 (領土条項)において、「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルべク」と規定している。そして、同じ三国の首脳が1947年11月に発出したカイロ宣言は、台湾、膨湖諸島は中華民国(当時)に返還することが対日戦争の目的の一つであると述べている。「一つの中国」という立場から、中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の正統政府と認めるのであれば、カイロ宣言にいう「中華民国」とは、中華人民共和国が継承した中国である。したがって、カイロ宣言の履行を謳っているポツダム宣言第八項に基づく立場とは、中国すなわち中華人民共和国への台湾の返還を認めるとする立場を意味するのである。
姫鵬飛外相を通じてわが方の第二次案を受け取った周恩来総理は、これを受け入れる決断をした。中国側の同意を知らされたわれわれは、筆者を含め、これで正常化交渉はまとまったと感じた。ポツダム宣言第八項に基づき、台湾の中国への返還を認めるとの立場は、次の二つのことを意味している。第一に、台湾の最終的地位は未解決であるとの認識である。これは、台湾が中華人民共和国の領土の一部になっているとする中国の立場とは異なるものである。しかし、中国にとってより重要な第二の意味は、台湾が中華人民共和国政府によって代表される中国に返還されるのをわが国が認めることであるから、「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」は認めない(すなわち、台湾独立は支持しない)、ということである。周総理は、この日本の第二次案を正確に理解し、台湾の地位に関する法律論よりも、日本が台湾の中国への返還にコミットしたことが持つ長期的かつ政治的意味を重視したものと思われる(すくなくとも筆者はそのように考えている)。また同総理は、結局台湾問題の鍵を握っているのは米国であり、その米国が譲れない線を越えて日本が譲歩することはあり得ない、と判断したのであろう。
このようにして合意された日中共同声明第三項については、時の経過と共にinstitutional memoryが薄れ、不正確な理解の侭に議論が行われる傾向がある。
誤りの第一は、同項の日本国政府の立場表明の重点は、後段のポツダム宣言への言及部分ではなく、前段の「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し」の部分にあり、かつ、その趣旨は、中華人民共和国政府の立場を受け入れたものとする解釈である。この解釈が正しくないことは、すでに述べたとおり、当該部分がまさに中国が拒否したわが方の第一次案であったという交渉経緯に照らせば明白である。中国は、「十分理解し、尊重し」の表現は不満足と考えたからこそ、受け入れなかったのである。
第二の誤りは、同項全体が中国の立場を認めたものであるから、台湾の地位をめぐる問題は中国の国内問題と認識されるべきであり、したがって、台湾は安保条約の対象外(同条約で言う「極東」 の範囲から除かれる) とする議論である。この点については、政府統一見解として行われた、次のような大平外務大臣の国会答弁(1973年衆議院予算委貞会議録第五号) があることに留意する必要がある。
「中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、
問題であると考えます。わが国としてはこの問題が当事者間で平和的に解決されることを希望す
るものであり、かつこの問題が武力紛争に発展する可能性はないと考えております。なお安保条
約の運用につきましては、わが国としては、今後の日中両国間の友好関係をも念頭において慎重
に配慮する所存でございます。」
右の統一見解は当時慎重に準備されたものであり、これをより平易な表現に書き直すと次のようになる。
「台湾問題は、台湾海峡の両岸の当事者間の話し合いによって平和的に解決されるというのが
わが国の希望であり、その結果、台湾が中華人民共和国に統一されるのであれば、わが国は当
然これを受け入れる(それが共同声明第三項の意味である)のであって、当事者間の平和的話
し合いが行われている限り、台湾問題は第三者が介入すべきではない中国の国内問題と認識さ
れる。
「基本的には」とは、そのような意味である。こうした認識を踏まえれば、武力紛争の可能性がな
いと考えられる現状では、台湾をめぐり安保条約の運用上の問題が生じることはない。
しかし、将来万一中国が武力を用いて台湾を統一しようとして武力紛争が発生した場合には、事
情が根本的に異なるので、わが国の対応については、立場を留保せざるを得ない。」
多少説明が長くなったが、以上が日中国交正常化に際して政府がとった立場であり、日中共同声明第三項の意味である。その後35年の間に二つの変化が生じた。一つは、米中国交正常化が実現し、米国の条約上の台湾防衛義務は消滅したことである。しかし、米国の行政府は、国内法(台湾関係法) によって、有事に際しては適切な対応を義務づけられているから、米台関係の問題の本質は変わっていない。二つ目の、そしてより重要な変化は、台湾における民主主義の定着である。その結果、台湾住民の圧倒的多数は政治体制に関する基本的価値観が異なる本土との統一を望まない、という現実を無視することの不条理が一層明らかになってきている。このような状況の下で東アジアの平和と安定を確保していくためにわが国がとるべき道は、一方において、本稿冒頭で言及した4月の日中共同プレス発表のとおり、日中共同声明に表明されている立場を今後とも堅持する(必要に応じ、わが国は台湾独立を支持しない旨を台湾当局に明確に伝えることを含む)ことであり、他方中国に対しては、台湾問題の平和的解決が日中両国が目指す「戦略的互恵関係」に欠かせない要素であることを訴え続けることであろう。
国際関係においては、時にはいかに努力しても解決できない問題が存在する。そのような場合の唯一の策は、無理に現状を変えようとせずに、辛抱強く時が経つのを待つことである。時間が現状を変え、当初は見えなかった解決策が浮かんでくることが期待できるようになる。台湾問題は、そのようなケースのように思われる。
(編集者注. この論文は『霞関会会報』2007年10月号に掲載されたもので、同会報および執筆者の了承を得て転載しました。)