仏米関係全般
仏米関係は、これまで単純であった試しは一度も無い。常に複雑なものであった。イギリス、ドイツ、イタリア、スペイン、また日本も、歴史上一度は、米国と戦争を戦った経験を有する。しかし、仏は米国と一度として戦争を行ったことはない。にも拘わらず、仏は「反米主義」の最も激しい国とされる。仏米関係は、友情、ライバル心、連帯、嫌悪など複雑な感情が混じりあったものである。ド・ゴールが1966年に米国と対峙し、NATOの軍事機構から脱退して以来、仏は世界において反米国家のレッテルを貼られた。
武力行使を巡る仏米対立
イラク情勢を巡っての米仏の対立の先鋭化は、ド・ゴールがNATOを脱退した時以上に激しいものとなっている。
仏のポジションは一貫していた。平和主義的な理想主義から、戦争に反対しているのではなく、単純な反米主義から反対しているのでもなく、イラクとの権益 1 を守るために抵抗しているのでもなく、21世紀の国際秩序の問題として米国の対応に抵抗しているのである。確かに、国内にイスラム教徒を500万人も抱え、中東和平プロセスにおいても一貫してパレスティナ寄りの政策を取り、「親アラブ」の対中東外交を貫き通すという側面もあるかもしれないが、仏にとって、最も重要なのは、武力行使を巡る国際社会の正当性の問題なのである。仏は、平和と集団的安全保障の問題に対する国連及び国連安保理の役割の優位性、武力行使における国際法の優位性、武力行使の最終決定者は国連安保理でなければならないという原則を守ろうとしているのである。
また、米英主導の国連安保理決議により、武力行使を認めた場合は、国連安保理が国際社会の重要な決定を議論する場ではなく、単なる登録所、即ち国連安保理の完全なるマージナル化、弱体化を認めることにもなるからである。その国連安保理の国際社会における正当性を守るためにも仏は、勝ち目のない戦いを挑んでいるのである。
米国は、武力行使のみが、サダム・フセインの使い分けている二枚舌を叩き切ることが出来ると考えている。仏を始めとする武力行使慎重派は、湾岸戦争以来の査察が、米英による空爆より多くの武器を破壊したという事実を盾に取り査察の強化を主張する。査察の強化と継続は、爆撃よりコストの掛からず、実効性のある外交努力であると主張する。
米国の対応も明白であり、一貫している。戦争は必要であり、不可避である。仏らの対応に痺れを切らした米国は、安保理決議なしでも行動に踏み切るつもりである。対テロ掃討作戦以来のあの「米国の味方か敵か」という単純明快な二分法とともに。
仏のジレンマ
仏は大きなジレンマに直面することになろう。仏は、これまで多くの外交的なオプションを蓄財してきた。仏はイラク情勢を巡る米国との議論の中で、力の上に位置する法の役割、米国のユニラテラルな意思よりもマルチラテラルの原則を再確認しようとし、世界の共感を獲得した。仏に最も居心地の良い解決策は、三つしかない。サダム・フセインが国際社会の外交的圧力によって自ら武器放棄に応じるか、査察によってサダム・フセインの悪事の現場が白日公然の下に晒されるか、米国が国連安保理を無視して単独で戦争を行うことである。
武力行使に関する決議の採択を米国が迫り、米国の圧力よって、安保理の過半数の支持を獲得した場合、仏は非常に困難な選択を迫られるであろう。拒否権を発動し、反対することは、米国の激しい怒りを買うであろうし、そのことによって国連を無視して米国が単独行動を行い、冷戦後復権し始めた国連を再び無力化にしてしまう可能性も排除できなくなるであろう。米国案の決議を否決させた場合も同様である。戦争を承諾することは、過去において獲得した信頼性を使い果たすことになってしまうであろう。
仏のユニラテラリズム?
結局のところ、仏は欧州の代表者として、国連の正当性を盾に、米国のユニラテラリズムに抗ってきたが、欧州内でユニラテラルに振舞うことによって、国際社会で獲得したその信頼を失いつつある。仏は大失態を演じていると筆者は考えている。国連決議1441の採択までが仏外交のプレステージの最大の見せ場であり、勝利の瞬間であった。国連決議1441の採択により、仏が主張してきた武力行使に関する国連安保理の正当性は守られていたのである。国連決議1441の採択及び第二段階の決議採択の可能性こそが、仏が主張してきたことであり、米国としても譲歩の境界線であった。
2003年2月以降、仏はルビコン川を渡ってしまったようである。査察強化の為の仏独共同イニシアティブ、東欧諸国への注意喚起 2 、アフリカ・仏首脳会議におけるムガベ・ジンバブエ大統領の招待等、仏は、明らかに遠くに行き過ぎてしまった感がある。
もとより、仏の傲慢な自尊心、古めかしい「偉大さ」や「栄光」の誇示、美文長のレトリックの多用等に対して辟易としている欧州諸国は多い。イタリアやスペインなどがその代表格である。イラクを巡る問題で、仏は歴史上の古い大国としての傲慢さを無意識のうちに東欧諸国を始めとした欧州の中堅国に対して感じさせてしまった。仏は米国の傲慢さを非難していたにもかかわらず。
この「戦い」においては、米国が失うものは殆どないが、仏の失うものは極めて大きい。仏は、恐らく大きな代償を払うことになろう。欧州を代表して、国連の正当性を守るために、米のユニラテラリズムに抗っていた政策が、結果として欧州のみならず、国連までをも分裂させ、自国の米国との関係のみならず、他の欧州諸国、東欧諸国との関係までをも悪化させてしまったのである。仏がその必要性と重要性を主張してきた国際機関における主権国家間の団結そのものを仏自身が壊してしまったのである。
仏は、恐らく最後まで突き進むであろう。当初考えられていたような最終的な迎合と軍事オペレーションの参加は、現時点(2003年3月5日)では考えにくい。何れにしても、将来的には米国と意見を違えることはより困難になってくるであろう。また、安保理常任理事国の地位も脅かされるに違いない。そうなったしても、仏としては、21世紀における国連の正当性の擁護のために、最後まで米国と意見を違え、抗うことも国益に繋がると考えているのかもしれない 3 。
何れにしても、仏米関係がここまで拗れてしまったのは、歴史上初めてのことであろう。ド・ゴールはここまで米国との関係を悪化させなかった。ド・ゴールと米国の問題は、二国間関係、米欧関係をめぐる問題であった。因みに、ド・ゴールは、国連には大きな関心を示していなかった。1966年にド・ゴールが、仏国内にいる全ての米軍を追い出すことを要請した際、ジョンソン大統領は激昂し不満を顕わにしたが、策定された日程に則った仏の要請に満足していた。ド・ゴールが同じく1966年にブノンペンで、ヴェトナム戦争を公然と非難したり、翌年にモントリオールでは「自由ケベック万歳」と叫んだ時も、当時の米国首脳部は苦々しい顔をしたものの、仏はいざと言う時に頼りになる忠実な同盟国であることは信じて疑っていなかったからである。
1 : 仏の石油会社Totalfinaelfのイラクにおける権益は、言われているほど多くは無い。Totalfinaelfの前身のTotalは、確かに1927年以来、イラクに進出し、ビン・ユマールやマジュヌンの油田の共同開発の契約を締結しようとしているが、未だに実施に至っていない。寧ろ、米国のエクソン・モービルは現在でも主要なバイヤーである。エクソン・モービル、シェヴロン・テキサコ、シェルなどが戦後の石油採掘権を虎視眈々と狙っている。従って、利権が絡んでいるのは寧ろ米英企業の方である。また、石油の利権だけが、米国政府を戦争に駆り立てているのではない。石油に絡む利権の問題は、極めて副次的なものである。
2 : 「こうした諸国(ポーランド、ハンガリー、チェコ)は民主的に成長しきれていない」というシラク大統領の発言。
3 : 嘗て、ド・ゴールは、長年に亘り右腕であったジャック・フォカール・大統領府アフリカ・マダガスカル担当事務総長に対しては、「1940年以来、私は、フランスに堅固で、確固たる国家という幻想を与えていた。私は劇場にいるのと同じである。私は信じる振りをしてきた。『フランスが大国である』ということを信じる振りをしてきたのである。それは永遠の幻想である。」旨述べている。ド・ゴールにとって、「フランスの偉大さ」を追求した外交とは、国内的にはフランス国民に、国外的には外国人に「フランスが大国である」という共同幻想を植え付けることに他ならなかったのである。