最初に、CIS(独立国家共同体)の創設経緯をごく簡単に振り返ってみよう。15年前の1991年暮れ、ウクライナ独立宣言などで既にソ連の体制が大きく揺らぐ中、ゴルバチョフ・ソ連大統領は、新連邦条約によってなおも連邦制を維持しようと企図していた。しかし、これを阻まんとするエリツィン・ロシア大統領の主導により、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三国は、秘密会談を経て12月8日にCISの創設とソ連の消滅を宣言。ソ連の中軸を成していた三国のこの動きを見て、バルト三国とグルジアを除くソ連構成国も同月21日、CISに加盟した(注1)。こうした事態を前に、万事休したゴルバチョフ・ソ連大統領は、同月25日にソ連大統領を辞任。翌26日、ソ連最高会議共和国会議は、ソ連消滅宣言を採択した。
この経緯に明らかな通り、CISは、ソ連を消滅させることをそもそもの主眼として創設されたものである(プーチン大統領も、2005年8月のCIS首脳会議を前に、「CISはソ連を文明的に解体するための組織だった」との認識を表明している)。CISは、どうしても「ソ連的再統合の可能性」といった求心力の観点から見られがちだが、CISにはもともと求心力よりも遠心力が強く働かざるを得ない事情がある。
(注1)ただし、グルジアは遅れて1993年に加盟した。また、1995年に永世中立国となったトルクメニスタンは、2005年に準加盟国へと地位を変更。
ソ連解体後においてCISがソ連の莫大な「遺産」の管理に果たした役割の大きさは、言うまでもない。しかし、あらゆる民族や風土を越えて広大な空間を支配していたソ連という人工的な枠組みを外してしまった以上、時間の経過とともに各国が独自の道を往くようになるのは成り行きとして避けられなかった。まして、国際情勢はますますグローバル化しており、「ソ連の盟主」ロシアも、CISに働く遠心力に歯止めをかけることはできなかった。CISでは、域内経済の規模は年を追って縮小し、各種会議の開催や多数の協力文書の調印にもかかわらず実際の活動がなかなか伴わない、という状況が現出するようになる。こうしたことから、ここ数年、CISの形骸化が指摘され続けている。
なるほど、CIS諸国は、好むと好まざるとにかかわらず、互いに歴史的・地理的に深い関係を持つ隣国であり、安全保障や民族問題など、相互協力なしに解決できない多くの問題を抱えている。相互協力の枠組みを残しておくこと自体には、大きなデメリットはないだろう。しかし、既にCISは、「ソ連的統合の機構」では全くなく、広大な空間を極めて緩く繋ぐだけの「主権国家間による普通の地域協力機構」(注2)となっており、明確な目標と具体的な活動を伴わずには、一層の形骸化が避けられない。11月28日、ベラルーシのミンスクで今年のCIS首脳会議が開催されたが、会議では、テロ対策や不法移民問題などでの協力に関する文書に調印がなされた一方で、CIS間の国境問題では合意できず、「CIS改革概念」を来年1月までに採択することが決定された。こうしたことは、まさにCISが形骸化の流れの中で存在意義を求めて迷走していることを示すものだろう。
(注2)プーチン大統領は2005年8月、タタールスタンのカザンで開催されたCIS首脳会議の後、「(署名された)CIS人道協力協定は、CIS諸国の多面的協力関係、即ち、新しい経済的条件、対等・相互尊重・実利主義に基づく協力関係のための、必要かつ総合的な具体的基盤を構築している」旨指摘。
また、CISについては、形骸化の一方で、CIS枠内のサブグループの活動による域内多様化の動きも目に付くようになっている。即ち、CISの枠内では、集団安全保障条約機構(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン、アルメニア)、ユーラシア経済共同体(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン)、GUAM(グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバ)が活動しているほか、統一経済圏(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナ)の創設に向けた取り組み(注3)が進展中であるし、「反ロシア色」の濃いウクライナとグルジアがバルトや東欧諸国を巻き込んで民主的選択共同体を設立している。さらに、これらサブグループのそれぞれにも、例えばユーラシア経済共同体の中央アジア協力機構(注4)の吸収(2005年10月)など、断続的に組織改変の動きがみられる。
こうしたサブグループの活動は、当然CIS域内における特定の地域と分野に限られざるを得ないけれども、小規模であるだけに、より実務的かつ密度の濃いものになり得る。グローバル化する世界の中でCIS各国の路線の違いが顕在化し、総体としてのCISの存在意義が薄れる一方で、情勢に適合した新たな協力関係の構築を模索するサブグループは、CISの域内でその存在意義を増しつつあるようだ。
(注3)ただし、欧米志向のウクライナは、他の三国とは一線を画す姿勢。
(注4)2001年、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタンで創設。
さて、それでは、CISは今後「用済み」のものとして消滅に向かうのだろうか。正直、それは分からない。変化する国際情勢の中でCISが変質してきたように、今後のCISの運命も国際情勢の変化に依るところが極めて大きく、CISの将来はなおはっきりしないと言わざるを得ない。ただ、恐らくいえることは、CISがその形骸化と域内多様化の動きに有効な歯止めをかけられない状況は今後も続くだろうこと、その裏返しとして、CISがロシアを軸にソ連的再統合に向かうことはないだろうということである(注5)。
(注5)なお、ロシアのCIS諸国へのガス供給価格引き上げを「ロシアが資源を武器にしてCIS諸国に圧力をかけているもの」と見る向きが多いが、ロシアとCIS諸国との経済関係の実態に照らせば、そうした見方は客観性を欠く不適当なものであると言わざるを得ない。敢えて政治的な解釈を施すことは、本質を見失うことにつながる。