2004年初頭以来、イラクで人道支援を続けてきた陸上自衛隊(以下、陸自)の撤収がこのほど完了した(1)。陸自が活動してきたサマワを含むムサンナ県の治安権限がイラク新政権へ委譲されるタイミングにあわせたものである。当初、自衛隊のイラク派遣(以下、イラク派遣)に関しては政治の場においても国民の中にも大きな反対の声があったが、結果として一応の成功をおさめたと言えよう。
しかし、より長期的観点からは、今回のイラクでの活動は今後真剣に検討していかなければならないいくつかの問題を残した。その中で、特に重要なことは、①日本が集団的自衛権を行使できないという事情により、自衛隊の活動の幅が大きく制限されたこと、②イラク派遣に際しては新たに特措法を立法する必要があったこと、③陸自の活動はイラクの復興に対し、実際問題として、どの程度資することができたか疑問が残ること――という3点である。
第一の集団的自衛権問題は、これまで度々日米同盟における主要な懸案事項として語られてきたが、イラク派遣に際しては自衛隊が自身の安全を託したオランダ軍、英国軍、オーストラリア軍などの協力関係に難しい問題を投げかけた(2)。自衛隊は安全確保をこれら友軍に頼らざるを得なかった一方、彼らが危機に直面した場合でもそれを助けることができないといういびつな構造を露呈したのである。おのれだけが危険から身を遠ざける身勝手が、日々危険と隣り合わせで行う平和活動の前線において奇異に映らないはずはない。多くの識者が指摘しているように、今後、早い時期に改善を検討していかなければならない問題である。
第二の特措法に関する問題は、自衛隊の海外任務に関する恒久法整備の必要性を示唆している。現在のところ、恒久的な枠組みを持つ法律だけをとってみても、自衛隊法のほかにPKO協力法、国際緊急援助法、周辺事態法などがあり、さらに現在、自衛艦のインド洋派遣とイラク支援の一環としての空自の輸送活動に関し、二つの特措法がある。このように自衛隊の活動目的・内容を厳格に定めた類似の法律が複数存在している現状では、これらの法律で想定されていない状況下で自衛隊を使う必要が生じた場合、新たに立法作業を行わなければならない。この現状では、一刻も早い対応が求められるような危機的状況においても、自衛隊の現地への展開が迅速に進まない事態が発生しがちである(そして、これは実際にイラク派遣の際に生じた問題だった)。したがって、わが国が実効性のある国際協力活動を行っていくための一要素として、自衛隊の海外派遣に関する恒久法整備は早期に実現しなければならない課題である。
これら二つの問題は、自衛隊の今後の役割を考えていく上できわめて重要である。しかし、これまで新聞紙上などでもしばしば取り上げられてきたため、本稿では、第三の問題、すなわち「陸自の活動はイラクの復興に対し、実際問題として、どの程度資することができたのか」という問題に的を絞り、以下で検討することにしよう。
陸自は、約2年半にわたり給水活動、医療サービスの提供、学校などのインフラ修復、さらに雇用の創出など様々な形でサマワの復興に尽力した。さらに、自衛隊員は地元住民と交わり、信頼関係を築く努力も惜しまなかった。生命の危険と隣り合わせになりながらも、灼熱の過酷な環境の中で奮闘した自衛隊員たちの労はいくらねぎらっても十分すぎるということはない。それにもかかわらず、イラク情勢全体を鳥瞰的に見渡した場合、自衛隊の活動がイラクの復興に実際どの程度役に立ったかということになると、やや辛口の評価をせざるを得ない。周知のように、イラク情勢はフセイン政権崩壊から3年以上がたった今も極めて深刻な状態が続いており、イラク新政権が発足したとはいえ、その後の道のりに楽観的な要素は多くはない。しかし、これらの諸問題は自衛隊の活動そのもの不足や欠点に由来するというよりは、イラク問題自体の困難さ、特に遅々として改善しない治安環境に起因するものだ。
イラクで深刻な治安環境が依然として続いている原因としては、いくつかの要因が複雑に錯綜しており、単純化して語ることはできない。しかし山積する諸問題の中でもっとも本質的な問題の一つは、イラクで活動する諸外国の活動の中立性に関する疑念だ。平和活動展開後も紛争がくすぶり続け、治安状況が大きく改善しないことは珍しくないし、国連など国際的な介入が現地住民から反発を受けることも度々ある。しかし、イラクの復興活動に携わる諸外国がこれまでに比類がないほどの激烈な暴力と憎悪の標的になっている背景としては、現在のイラクに混沌を引き起こした直接の当事者である米国の関与がイラク復興活動の中立性を大きく損なっているという面がある。
国連による平和活動は、伝統的に中立性を旨としてきた。安保理常任理事国の五カ国に代表される大国が、冷戦期、平和維持活動に参加しなかったのも活動の中立性を守るための措置だった。それが、冷戦後には大国も積極的に平和活動に参加するようになり、「人道的介入」など武力行使を伴った軍事活動を取るようになるにつれ、平和活動も徐々に米英仏など(特に欧米の)大国主導へと変容してきたのである。
一方、冷戦後の平和活動は単なる紛争の鎮静化ではなく、民主主義や人権など自由主義的な価値観を世界にあまねく伝播する役割を担うようになってきた。冷戦期の平和活動は、紛争や暴力の除去を意味する「消極的な平和」、つまり停戦の監視を主たる任務としていたため、その活動には思想的・信条的な要素が入り込む余地は少なかった。(だからこそ、東西の厳しいイデオロギー対立の下でも平和活動を行うことは可能であったのだともいえる。)一方、近年の平和活動は平和構築に特に大きな重点を置き、「積極的な平和」、すなわち単に物理的な暴力のない状態を超えて、人々の暮らしの質や高めるような環境の構築を目指すようになった。ここで、「平和」という言葉は、価値観のあり方に大きく影響されるようになる。どのような環境(特に国家のあり方)が、「人々の暮らしの質や高めるような」ものであるかは、価値観の有り様によって様々に規定されうるからである。
しかし、国際的な大きな潮流としては、平和活動で追求されるべき価値観は、民主主義や人権の至高性を標榜する自由主義的思想が圧倒的な優位を占めるようになった。その理由としては、一つには自由主義を掲げる西側陣営が冷戦に勝利したことによって、その優位性が強固になったこと、さらに、自由主義の思想自体に、多くの人々に支持されるある種の普遍性があるからといえよう。このような流れの中で、冷戦後の平和活動は、その本質において、自由主義を伝播するための活動として発展してきたのである。
伝統的な内政不干渉原則の下では一国の政治制度・文化を外的な働きかけで変えることは容易ではなかったが、国家の破綻は、自由主義思想にそった政治体制を非民主的な国家に移植する大きな好機でもあるのである。しかし、その混乱状態を作り出した当事者が同時に価値観や制度の変革者たることの困難さを、現在のイラクの深刻な状況は証明している。平和の執行者に対する信頼感がないとき、その尊敬されざる執行者が推し進めようとする価値観を誰がすすんで受け入れようとするだろうか。そして、そのような不信感は、今日のイラクの混乱に対して直接的な責任のある米国だけでなく、より広く「自由主義の伝播者」たろうとしてイラクで活動する諸外国にも向けられているのだといえよう。もちろん、日本という国、そしてその代表としてイラクで活動してきた自衛隊もその例外ではない。そのような厳しい環境において、自衛隊のイラク派遣の成果は大きく制約されざるを得なかったのである。
陸自は撤退したとはいえ、自由主義をどのようにイラクに根付かせ、そして長期的に自立への道を歩ませていくかという問題は、まだこれからも(そして、おそらくは非常に長期間にわたって)残っていく。われわれは、そのことを忘れてはならない。
【注】
(1) 陸上自衛隊撤収後も、航空自衛隊はクウェートに拠点をおき、イラクとの間で輸送業務を続けている。
(2) 集団的自衛権の行使禁止は憲法に明示されているものではなく、政府が1956年5月29日、稲葉誠一衆議院議員の質問主意書に対する答弁の中で示した解釈によるものである。それによると、わが国は集団的自衛権、つまり「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」を保持しているにも関わらず、その行使は必要最小限の自衛の範囲を超えるものであり、憲法上許されていないとされた。この解釈は今日にいたるまで維持されているが、明確な憲法による禁止ではない以上、手続き的には、政府がこの解釈を変更すれば日本は集団的自衛権を行使することができるようになる可能性がある。しかし、集団的自衛権を行使できるようにするためには憲法改正が必要との意見も根強いため、現在のところこの問題に関して具体的な動きはない。