中国は、北朝鮮にとって最大貿易国であり、北朝鮮の要人の往来が最も活発な国家である。そのために、中国の北朝鮮に対する政治的な影響力はかなり大きいと考えられてきた。しかし、2006年7月5日に北朝鮮がミサイルを発射したことによって、その影響力は疑われつつある。中国が事前に憂慮を表明していたにもかかわらず、北朝鮮はミサイルを発射した。しかも、北朝鮮はミサイル発射を中国に通告しなかったと伝えられている。さらに、7月10日から14日にかけて平壌を訪問した武大偉・中国外務次官は、6ヶ国協議再開とミサイル追加発射凍結について交渉したが、北朝鮮から満足した回答を得られなかった。なぜ、中国の北朝鮮に対する影響力はこれほど限られていたのか。
この疑問を解き明かすには、中朝の経済関係の密接度が手がかりとなろう。中国が北朝鮮に政治的な影響力があると信じられてきたのは、北朝鮮が中国に経済的に依存していると考えられてきたからである。どれほど経済的に依存しているかを論じるのは困難であるが、どれほど密接な経済関係があるのかを理解することによって、その経済依存度の一端を明らかにできよう。
韓国も中国との経済関係が深いが、中国には韓国の安全保障政策に干渉できるような影響力はない。中韓経済関係が中朝経済関係よりも密接であれば、当然中国の北朝鮮に対する影響力もかなり限られていると見ることができよう。そこで、南北朝鮮がそれぞれの経済規模に比べて、どれほど中国と経済関係があるのか比較してみたい。北朝鮮は経済規模を示す数値をほとんど発表しないので、若干信憑性に欠けるが、韓国銀行の推定値を使いたい。表1で示されるように、GNI(国民総所得)で見ると韓国の経済規模は、北朝鮮の32.8倍(2004年度)である。1998年度から2004年度まで見ても、おおよそ30倍前後の格差があることが分かる。
年度 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | |
北朝鮮 | 兆ウォン | 17.6 | 18.7 | 19 | 20.3 | 21.3 | 21.9 | 23.8 |
億USドル | 126 | 158 | 168 | 157 | 170 | 184 | 208 | |
韓国 | 兆ウォン | 476.2 | 523.4 | 576.2 | 621 | 685.1 | 725.4 | 779.5 |
億USドル | 3,404 | 4,400 | 5,096 | 4,811 | 5,475 | 6,086 | 6,810 | |
南北の経済 規模格差※ | 27.1倍 | 28.0倍 | 30.3倍 | 30.6倍 | 32.2倍 | 33.1倍 | 32.8倍 | ※韓国GNI(兆ウォン)/北朝鮮GNI(兆ウォン) 出典:韓国銀行 |
表2で示されるように中国のデータによると、中国企業の南北朝鮮に対する投資額も2003年度末までの累計で、約30倍の格差である。この点では、中国と南北朝鮮の経済密接度はあまり差がないといえる。ただ、2004年度以降のデータはないが、中国企業の韓国への投資は急増する傾向にあり、いくら北朝鮮への投資も増えたといっても、現在その格差はさらに開いていると想定される。
年度 | 2001 | 2002 | 2003 | 累計 (2003年末) | ※累計の 南北格差 | |
北朝鮮 | 企業数 | 2 | 4 | 5 | 24 | 企業数 |
中国側投資額 | 260 | 150 | 353 | 1,036 | 3倍 | |
韓国 | 企業数 | 2 | 7 | 10 | 72 | 投資額 |
中国側投資額 | 81 | 8,344 | 19,466 | 30,249 | 29.2倍 | |
※累計(2003年末)における韓国への投資企業件数・金額/北朝鮮への投資企業件数・金額 出典:『中国データ・ファイル2005年版』(日本貿易振興機構、2005年)p.187 |
しかも、中国のデータから見た南北朝鮮の対中貿易規模は、30倍どころの格差ではない。表3から分かるように、2004年度の韓国の対中貿易規模は、北朝鮮の65.4倍であり、2005年度には70.8倍にもなっている。北朝鮮よりも韓国の方がはるかに中国と密接な経済関係を築いているのである。中国の北朝鮮に対する影響力が限られている要因の一つとして、中朝経済関係が意外に密接でないことが挙げられよう。
年度 | 北朝鮮 | 韓国 | ※南北 の格差 | ||||
対中輸出 | 対中輸入 | 貿易収支 | 対中輸出 | 対中輸入 | 貿易収支 | ||
1998 | 51.089 | 356.661 | -305.572 | 15,020.62 | 6,265.85 | 8,754.78 | 52.2倍 |
1999 | 41.722 | 328.634 | -286.912 | 17,232.26 | 7,817.32 | 9,414.93 | 67.6倍 |
2000 | 37.214 | 450.839 | -413.625 | 23,207.94 | 11,286.62 | 11,921.33 | 70.7倍 |
2001 | 166.797 | 570.66 | -403.863 | 23,395.72 | 12,544.37 | 10,851.34 | 48.7倍 |
2002 | 270.863 | 467.309 | -196.446 | 28,580.98 | 15,507.99 | 13,072.99 | 59.7倍 |
2003 | 395.546 | 627.995 | -232.449 | 43,160.54 | 20,104.85 | 23,055.69 | 61.8倍 |
2004 | 582.193 | 794.525 | -212.332 | 62,165.56 | 27,809.46 | 34,356.09 | 65.4倍 |
2005 | 496.511 | 1,084.72 | -588.212 | 76,873.77 | 35,116.78 | 41,756.99 | 70.8倍 |
※韓国の対中貿易規模(輸出+輸入)/北朝鮮の対中貿易規模(輸出+輸入) 出典:China Annual (Revised), World Trade Atlas |
ただ、中国が北朝鮮に影響を及ぼせるカードとして、経済援助が挙げられる。北朝鮮の対中貿易は赤字が続いている。北朝鮮の対ソ貿易赤字をソ連が援助として補填していたことが分かっているので、それと同じようにこの赤字分も中国が北朝鮮に援助していると推定できよう。その額は、2004年度で見ると、北朝鮮のGNIの約1%に該当する。2005年度は赤字額が倍増しているので、2%を超えているであろう。この点で、北朝鮮は中国に経済的に大きく依存しているといえるかも知れない。
しかし、中国は、この援助をカードとして使うつもりは全くなさそうである。中朝貿易は、現在に至るまでほとんど北朝鮮の赤字である。中朝関係がかなり悪化した時期でも、それは変わらなかった。毛沢東の時代から中国は、どれだけ中朝関係が悪化しても、中朝貿易における北朝鮮の赤字を補填し続けてきたのであろう。将来もそれは続くと予想される。
それに、この援助をカードとして使っても、北朝鮮が安全保障問題で中国に譲歩するとは考えにくい。というのは、いくら援助してくれても、米国から攻撃された場合に中国が北朝鮮を守ってくれる訳ではないからである。中朝間には軍事同盟も存在するが、その効力を北朝鮮は信じていない。国連安保理決議の翌日である7月16日に発表された北朝鮮外務省の声明で「国連はもちろん、誰も我々を守ってくれない」とあるのは、それを如実に示している。経済はともかく安全保障に限れば、北朝鮮は中国に頼れないので、独力で米国からの攻撃を抑止しようとするであろう。だから北朝鮮は、核兵器やミサイルを開発するのである。
北朝鮮は経済発展に支障を出してまで安全保障を重視するだろうか、という疑問もあろう。しかし、それについて北朝鮮は以前から答えを出している。それが、金正日の政治方針といわれる「先軍政治」である。「先軍政治」には、経済発展に支障が出ても軍事力を優先的に強化するという意味がある。「先軍政治」という言葉が対外的に最初に出たのは、1999年6月16日の『労働新聞』と『勤労者』の共同論説である。しかし、1960年代には「経済と国防の併進路線」という同様の概念が見られ、かなり以前から北朝鮮は、経済発展よりも安全保障の確立を優先してきたことが分かる。
従って、中国の影響力によって北朝鮮にミサイル発射を止めさせることは期待しにくい。まして、ミサイルや核兵器の開発を止めさせるような影響力があるとは考えにくい。その意味で、太陽政策によって経済関係を活発化させて、北朝鮮を宥和しようとする韓国にも同じことがいえる。同様に、日朝関係やロ朝関係が経済的に発展しても、北朝鮮のミサイルや核兵器開発を止めさせることは難しいはずである。北朝鮮との経済関係によって、核兵器やミサイルを放棄させるような影響力を行使することは大きな限界があるといえよう。